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兄の死 神様も“失敗”して成長した ことの葉綴り。百九八

太陽を背にして、相手に向かう

おはようございます。薄曇りの月曜日の朝です。
「ことの葉綴り。」から一週間の始まります。
神話の物語におつきあいください。

高千穂の宮から、国の平定のためい、東へ旅立った、
天孫の御子の伊波禮毘古(いわれびこ)と、
兄の五瀬命(いつせのみこと)の兄弟

大和の豪族の那賀須泥毘古(ながすねびこ)の軍勢の烈しい攻撃に、船から楯を取り出して応戦しますが、
相手の放った一本の矢で、兄の五瀬命が深手を負ってしまいます。

船へと退却した伊波禮比古(いわれびこ)たち。

負傷した五瀬命が、激意識がもうろうとする中、
天孫の御子として、とても大切なことに気づくのです。

天孫の御子の私たちが、太陽の昇る東へ向かって戦をしたのは
天の道に逆らうことだったのだ。
だから卑しいものに、ケガをさせられた。
よいか、これより先は、方角を変えて
太陽を背中にして相手に向かうのだ。

その言葉に、伊波禮毘古も素直に従いました。

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無 念

南じゃ、南へ舵をきるのじゃ

大阪湾に出た一行の船団は、大坂の和泉から紀伊へ向かい南下します。
海に出ると、和泉のあたりで、五瀬命は、流血が止まらない腕の傷を洗い流しました。
五瀬命の傷は深く、出血は止まらず、その海も真っ赤に染まってしまうほどでした。
そのことから、そこを血沼海と呼ばれるようになったそうです。

船はさらに、南へ向かい進んでいきます。

五瀬命のケガはいっこうによくなりません。
顔いろも青ざめていき、汗もとまりません。

伊波禮毘古は、兄に寄り添い、看病をしています。

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五瀬命、崩御

船が、紀国(和歌山)の紀ノ川の河口の水門に来たときです。
伊波禮毘古は、清らかな紀ノ川の水を兄に飲ませようとしていました。

兄の五瀬命が、突然、目を見開くと雄たけびをあげたのです!

ああああ~~
賤しい奴が、私に傷を負わせたことで、
私は、死なねばならぬのかっー!!!!!

うぉおおおおお―――――!!!!!

体中の細胞から力を出し切っての雄たけびでした。
そして、そのまま五瀬命は、息を引き取り亡くなりました……

兄上~~~
兄上~~~


船上で、兄の五瀬命を抱きしめて涙する、伊波禮毘古の姿がありました。

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兄との別れ

四人兄弟だった末っ子の伊波禮毘古。
二番目と三番目の兄たちは、常世の国と、母の玉依毘賣のいる海の世界へと旅立って、もう、すでにいません。

長兄の五瀬命と、ずっと、ずっと一緒でした。

懐かしい、日向の高千穂の宮で過ごした歳月。

そこから、平けく天の下の政を統べるために、東へいきたいと、
天孫の御子としての、使命を果たすために、
兄と相談をして、共に手をとり助け合いながらの旅でした。

十六年にも及ぶ、東への進出。

訪れた土地土地で、国つ神たちに、声をかけて
天孫の御子としての志を語り、
素直に聞いて、従い、そして、平定させていきました。

よいことばかりではありません。

話をするまでに、何年もかかることもあったでしょう。


けれど、いつも、伊波禮毘古の側には、兄がいました

兄上……。
兄上が、命を懸けて訓えてくれた、太陽を背にして向かう!
天孫の御子として、決して忘れはしません。
私、一人になっても、兄上との夢を
この天の下を、平けく、安らけく、統べるために
私は、東へ進み続けます。

どうか、どうか、これからも私を見守っていてください


五瀬命が、雄たけびを上げて、崩御したことから、この紀伊の水門は、男之水門(おのみなと)といわれるようになりました。

五瀬命は、紀伊の国の名草郡の竈山(かまやま)という土地に葬られたといいます。

伊波禮毘古は、兄を失った悲しみを抱きながらも、
兄と共に成し遂げようとしていた使命を果たすべく
立ち上がります

兄の言葉通り、東の大和へと向かう陸路を迂回して、
船で南へ向かいやがて、紀州の熊野へと辿りつきました。

伊波禮毘古の東征の旅は、まだまだ続いていきます。

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―次回へ。

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