古から市で賑わった蛭子神社 倭姫命さまご巡幸地巡り六ことの葉綴り七九二
お朔日&牡牛座新月
おはようございます!五月に入りましたね。そして朝5時代には、新月を迎えました。
お朔日参りに出かけたり、新たな目標を立てて、文章にしてみるのもいいですね。
五月朔日の暦は、六曜は「仏滅」で、勝負なしの日とされます。十二直は、開き通じる「開」。運を開くために、祭祀、建築、引っ越し、婚礼にいいとされる日。
二十八宿は「星」祭祀、お参りに吉。お手洗いの改修、治療をスタートするのもいいとされる日です。
そして、金運招来の「寅の日」の縁起日です。千里を往き千里を還る寅にあやかりましょう!
いつもより、更新が遅くなりましたが、今日も皆さん、佳日でありますように!!
倭姫命さまご巡幸の聖地巡り
二千年以上前、天照大御神さまが永久にお鎮まりになる聖地を求めて、豊鋤入姫命さまと、倭姫命さまの二人の皇女が、ご巡幸の旅にでられました。
天照大御神さまが伊勢の神宮にお祀りされるまでのご巡幸地は、「元伊勢」と呼ばれます。
「元伊勢」のことを綴ったマガジンはこちらです。
ご巡幸地の流れ
倭姫命さまご一行のご巡幸の続きをご紹介しますね。
奈良県宇陀市の「阿紀神社」さん→「篠畑神社」さん。
こちらは、大和国の「宇多秋宮」さんと、「佐佐波多宮」さんと比定されているお宮です。
どちらも、清らかで静謐で柔らかな気に満ちていました。
そして、宇陀川から、名張川、大和国から伊賀国へと、“国境”を超えられて、「市守宮」だろうとされている「宇流冨志禰神社」さん。
名張川は、今も、魚釣りのスポットが多いです。
こちらには、倭姫命さまが、お休みになられた「弁天岩」があるとご紹介しました。
名張のもう一つの「隠市守宮」
と、もう一つ、「宇流冨志禰神社」さんから、本当にすぐ近くに、古来から「市守宮」地元では呼ばれていた「蛭子神社」(三重県名張市鍛冶町)さんが、ご鎮座されています。
境内の入り口と拝殿にも「隠市守宮」の文字がありました!!
ご鎮座の由来にも、こう書かれていました。
この蛭子神社さんは、古来より、ひと月に六回、「六箇日市」という市場が開かれ、人々や物が行き来して賑わったようです。
宇多川と名張川の合流地点でもあり、大和国から伊賀国、伊勢国へと往来も多かったのでしょうね。
ご祭神は、蛭子神・恵比寿神(えびすかみ)ともいわれる、八重事代主命さまで、商業、漁業を司る神さま。
地元の皆さんには「えべっさん」と呼ばれ、二月八日「八日えびす」で賑わうそうです。
十月の最終土日におこなわれる「宇流冨志禰神社」さんの秋まつりには、この町の皆さんが、「七福神の舞」を披露されるようです。
他にも三筒男命こと住吉大社のご祭神住吉三神さま。
伊邪那岐命さま。天照大御神さまの父神さまですね。
火乃迦具土命さま。
そして!! 天照大御神さまが、お祀りされています。
古来から人々が行き交った町。
倭姫命さまのころも、小舟で名張川を進まれて、弁天岩でお休みになり、こちらに二年すごされたのでしょうね……。
そして、また次の「元伊勢」へ。
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