見出し画像

父への思慕 倭建命様其の四九 神話は今も生きている ことの葉綴り五七七

大安+一粒万倍日

おはようございます。九月も残り三日ですね。
二十八日(火)は、万事よし大吉の「大安吉日」と、吉祥日の一粒が万倍の実る稲穂になるという「一粒万倍日いちりゅうまんばいび」が重なります。婚礼や新たに何かをスタートするのに佳き日ですね。さらに神社のお参りにいい「神吉日かみよしにち」も!
十二直は、物事を突破する「やぶる」。二十八宿は、婚礼、開店開業、建築、設備工事、引っ越し、薬の飲み始めに吉の「」。
お時間あればお参りいかがでしょう。また嬉しいお知らせ頂戴しました。
有難うございます。今日も、皆さんにとり佳日でありますように!!

画像2

さて、早速、神話の物語に入ります。

<ことの葉綴り>全体のご案内
神話の物語編は、魅力的な神さま別に「マガジン」分けしています。
お好きな神さまの名前や、ご興味あるものをご覧くださいね。

画像1

草薙剣くさなぎのつるぎ

英雄神として知られる倭建命やまとたけるのみことさま。
伊吹山の山の神の祟りに遭われ、お身体が衰弱されていきます。
腫れあがった足を引きずられ御杖をついて、故郷の大和を目指しますが、能煩野のぼのに至られるや、もう動けなくなられました。そしてご自身で死期を悟られたのか、大和への望郷の想いの「国思くにしのい歌」の御歌を詠まれ……そして、最後に、后となられた美夜受比賣みやずひめさまの元に残してきた「草薙剣くさなぎのつるぎ」が、「今、手元にあったならば……」と、詠われた直後、息を引き取られたのです。

嬢子をとめの 床の邊とこのべ
我が置きし つるぎの大刀たち
その大刀たちはや

美夜受比賣みやずひめと契りを交わした寝床のそばに
置いてきた草薙剣くさなぎのつるぎ
ああ~草薙剣くさなぎのつるぎが、この手にあったならば……。


東征の折り、焼津で、騙されて野火に囲まれて絶対絶命のピンチを救ったのが、「草薙剣くさなぎのつるぎ」でした。

皇祖神天照大御神さまをお祀りする伊勢の神宮の斎宮いつきのみやである叔母、倭姫命やまとひめのみことさまより賜りし、ご神剣
艱難辛苦の東征でも、きっと何度も、邪を祓い悪神の祟りを退けて、皇子の倭建命やまとたけるのみことさまを、お守りされていたでしょう。

もし、「草薙剣くさなぎのつるぎ」が、倭建命やまとたけるのみことさまと共にあったならば……と、思わずにはいられませんよね。

それを倭建命やまとたけるのみことさまご自身が、いちばん感じていらっしゃったことでしょう……この御歌を詠まれそのまま身罷られたのです。

画像3


倭建命やまとたけるのみことさま薨去こうきょ


倭建命やまとたけるのみこと薨去こうきょ
すぐさま「駅使はゆまづかひ」が、大和の朝廷へと遣わされました。

この「駅使はゆまづかひ」は、倭姫命やまとひめのみことさまのご巡幸の物語にも「御送駅使はゆまつかひ」として、登場していますが、公用の急務を知らせるために早馬を走らせる使者のことです。

倭建命やまとたけるのみことさま御年、三十……
(『日本書記』にはそうありますが、若干の差はあるようです)

覚えていらっしゃいますか?
まだ、小碓命をうすのみことと呼ばれていた頃のことを。
まっすぐすぎるご気性で、兄の大碓命おほうすのみことが、父の景行けいこう天皇を裏切ったことを許せずにあやめてしまわれて……そのことで、父から恐れられ、遠ざけられ、熊曾くまそ討伐へ追いやられてました。
その時、まだ一五~一六で、幼さの残る少年でした。天皇のみことのりは、危険すぎて、誰もがもう生きて帰れないだろうと思っていました。

そして、“美しい乙女”に変装して、熊曾建兄弟を討ち取れるほど少年だった|小碓命《をうすのみこと》さま……。
この征伐を遂げれば、父は許してくれるはずだ!
ただ、ただ父の、天皇のお役に立ちたい! それだけで遂行したのです。


一度、大和へ戻るや否や、またすぐに東の国の征伐に追いやられました。父の勅命に、ショックを受けられて、伊勢の神宮の倭姫命やまとひめのみことさまに「父は私のことを死んでもいいと思っていらっしゃるのか……」と、涙を流されて嘆かれて……。

それから、一度も、故郷の地に戻れていないのです。

画像4

父に奏上した文

少しお話が遡ります。
日本書記』には、倭建命やまとたけるのみことさま・日本武尊さまが、ご自身に残された時がないと悟られて、捕虜として連れてきた蝦夷えみしの人たちを、伊勢の神宮に献上されます。
そして、家臣の吉備武彦きびたけひこ(『古事記』では、吉備臣きびのおみ等の祖、御鉏友耳建日子みすきともみみたけひことあります)を、大和の朝廷へと派遣されて、景行けいこう天皇に、気持ちを綴った文を奏上していることが綴られています。

画像6

ちょっと、ご紹介させてください。

「私は、朝廷のご命令を受けて、遠く東方のひなの国を討伐いたしました。
神恩をこうむり、天皇のご威光によって、反逆者は罪に伏し、荒ぶる神も自然に成れ親しむようになりました。
これによって、鎧を脱ぎほこを収めて、戦争を止めて、心安らいで帰ってまいりました。

願うことは、いつの日いつの時にか、天朝に復命申し上げようということでした。

しかしながら天命が突然やってきて、余命いくばくもありません。
そのため、ひとり曠野あらのに臥して、誰に語ろうということもございません。
どうして我が身が死に失せることを惜しみましょうか。

ただ無念なことは、父君の御前にお仕えできなくなったことだけでございます」
『日本書記』1(巻第一神代[上]~邪第十応身天皇 日本古典文学全集 小学館より)

小碓命をうすのみことの頃より、倭建命やまとたけるのみことさまの父、景行天皇への想いは、何一つ変わっていなかったのですね……。

……綴っていて泣きそうになりました。

画像5

―次回へ
#一度は行きたいあの場所
#私の作品紹介


この記事が参加している募集

私の作品紹介

一度は行きたいあの場所

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?