「酉の市」の始まりは倭建命様? 五四 神話は今も生きている ことの葉綴り五八二
おはようございます。秋晴れの日曜日。気温も上がりそうで、衣替えもなかなかできずに、何を着たらいいか迷いますね(^^)。
皆さんは、いかがですか?
十月三日(日)の暦は、六曜は「仏滅」で、勝負なしの日。十二直は、すべてを閉じ込める「閉」で金銭を納めるのにはいい。
二十八宿は、衣服の新調、学び初めにいい「虚」。そして、何かをはじめるのによい「一粒万倍日」と「神吉日」の吉祥日です。
悲劇の英雄の皇子の一生
悲劇の英雄、倭建命(日本武尊)さまの物語を綴ってきました。
父の景行天皇を大切に思うあまり、兄を殺めた猛々しい皇子、小碓命時代。
父に疎まれて各地の平定へ向かわれ、知恵を使い討伐し、「倭建命」の名を譲られて、若き英雄へと成長。
父に愛されず苦悩し涙する姿に、皇祖神の天照大御神さまをお祀りする伊勢の神宮の斎宮、倭姫命さまより、皇統の御印のご神剣、のちの「草薙剣」を譲られます。
東国で、窮地の皇子を救ったのも「草薙剣」でした。
愛する后の弟橘比賣命さまの犠牲により海の神の祟りから命を救われるも、悲しい別れを経験します。
各地の平定を成し遂げた後、尾張の美夜受比賣さまと結ばれるも、「草薙剣」を后の元においたまま出かけて、山の神の祟りに遭われてしまい……そして。
全国にお祀りされるご祭神に
故郷の大和への望郷の想いを募らせながらも、叶うことなく、若くしてこの世を去られます。
その御霊は、美しい白鳥と姿を変えて、故郷へとようやく“帰還”を果たします。
そして、再び、この白鳥は、空高く舞い上がり、天翔けていかれました。
倭建命(日本武尊)さまの御霊は、ご自身が訪れ、言向けし平定された地を、天高くから見守られていたのでしょうね。
倭建命(日本武尊)さまが、東征の際に、立ち寄られて御祈願されたお社や、縁あるある地ではご祭神としてお祀りされています。
東京の冬の風物詩「酉の市」で知られる、“おとりさま”こと浅草「 鷲神社」さんもそうです!
酉の市の神さまは、倭建命(日本武尊)さま!
倭建命(日本武尊)さまが、この「鷲《おおとり》神社」さんで、戦勝を御祈願されて、その後、平定の志を遂げられての帰路、再び、お参りをして、こちらの松に、武具の「熊手」を翔けて、勝ちをお祝いし、お礼参りをされたのです。
それが、十一月の「酉の日」だったことから、鷲神社さんの例祭日となり、「酉の祭」と定められたと神社の社伝にはあるそうです。
それが開運・商売繁盛で有名「酉の市」のはじまりです。
それから、このお社に、倭建命(日本武尊)さまもご祭神としてお祀りされています!!
この「酉の市」の、熊手守は、ご祭神の御分霊なのです!
白鳥が、舞い降りられたところにお社を建てられた、大阪府堺市の「大鳥神社」さんも、倭建命さまがご祭神で、11月の「酉の市」がおこなわれます。
今年の「酉の市」には、倭建命(日本武尊)さまに想いを馳せながら、お参りして、熊手守をいただいてこようと思います!! って、もう来月~!早っ!!
令和三年の「酉の市」は、11月9日、11月21日の「二の酉」だそうです。
神話ってホントに今も生きていますよね。
皆さんも、「酉の市」に行かれたら、倭建命(日本武尊)さまを思い出してみてくださいね。
そうそう、倭建命(日本武尊)さまで、とっても大切なこと!!
皇子の最期の御歌、覚えていらっしゃいますか?
嬢子の 床の邊に
我が置きし つるぎの大刀
その大刀はや
美夜受比賣と契りを交わした寝床のそばに
置いてきた草薙剣よ
ああ~草薙剣が、この手にあったならば……。
この御歌を詠まれて身罷られましたが……皇統の御印の「草薙剣」と、お后となられた美夜受比賣さまは、皇子が亡くなられたあと、どうなったのでしょうね……そのお話は、ぜひ次回!
―次回へ
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