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今も昔も共に生きる 神話は今も生きている ことの葉綴り。二三六


第六代 孝安天皇(こうあんてんのう)

おはようございます。今日は午前中に「ことの葉綴り。」のひとときが持てました。

そして、物語は、今日も、“知られていない神さま”がた、
『欠史八代』と呼ばれる、系譜の続きです。
漢字が多いけれど、読みがなも書くので、読んでやってくださいね(苦笑)

前回は、第五代孝昭天皇(こうしょうてんのう)が、九十三歳で身罷られて、御子のうち、弟の大倭帯日子國押人命(おほやまとたらしひこくにおしびとのみこと)が、皇位継承されたこと。

長男の天押帯日子命(あめおしたらしひこのみこと)の子孫からは、臣(おみ)とよばれる有力豪族が多く出て、中には、万葉集の歌人で知られる柿本人麻呂もいた、というところまでを紹介しました。

皇位を継承された、弟の大倭帯日子國押人命(おほやまとたらしひこくにおしびとのみこと)は、父と同じ、奈良県の葛城の室(むろ)の秋津宮(あきづかまのみや)にて天下を治められました。
第六代 孝安天皇(こうあんてんのう)です

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姪っ子の媛を皇后に

このお宮があったのは、現在の御所市室市です。
市内には、前方後円墳の宮山古墳があり、その後円部の麓の、八幡神社さんがご鎮座されています。
この神社の境内には、第六代考案天皇の「葛城室之秋津島」(かづらきのむろのあきづしまのみや)の宮跡だと伝える石碑が建っているのです。


そして天皇が皇后に娶られたのは、
姪っ子の、忍鹿比賣命(おしかひめのみこと)でした。
前回、多くの「臣」の祖となった、天皇のお兄さん、天押帯日子命(あめおしたらしひこのみこと)の、末の娘さんだったともいわれています。

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大倭根子日子(おほやまとねこひこ)の意味

そしてお生まれになったのが、
長男、大吉備諸進命(おおきびものすすのみこと)。
次に、大倭根子日子賦斗邇命(おほやまとねこひこふとにのみこと)です。長い名前ですよね。
ここでも、大倭(おほやまと)が出てきましたね。
この「大倭根子日子」(おほやまとねこひこ)は、この後も三代にわたり登場する、天皇の呼び名です。
この大きな大和の国の根っこ、根幹、天孫の御子」であるという意味をもちます。

はい、今回はクイズにはなりませんね。
皇位を継承したのは、弟の大倭根子日子賦斗邇命(おほやまとねこひこふとにのみこと)です。

そして、第六代孝安天皇(こうあんてんのう)は、ご長寿で、百二十三歳まで天寿を全うされて、身罷られました。
葛城の室のお宮の近くの、玉手の岡の上に御陵がつくられました。


孝安天皇玉手丘上陵(こうあんてんのうたまてのおかのえのみささぎ)」です。
父である、第五代孝昭天皇(こうしょうてんのう)の御陵とは、約2㎞と、遠くありません。歩いていける距離ですね。

古の物語から、父から子へと、皇位を継ぐと、その先代の皇居の近くに新たなお宮を建てて、天下を治められて。
やがて御陵も近くに眠られていて……と、命の連綿が、一代一代、受け継がれている、一つの筋を感じられますね

そして現在、第百二十六代目の今上天皇陛下がいらっしゃいます。
まさに、私たちのご先祖も、私たちも、“神話の物語”を、過去も今も、共に生きているのですね。(写真は平成三十年一月、2018年のもの)

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「欠史八代」前編ふりかえり

ここで、第六代の孝安天皇まで辿りつきました。
「欠史八代」は。第二代~第九代までの天皇のことです。
ちょっと、一覧を振り返っておきますね。

初代、神武天皇 畝傍山

「欠史八代」
第二代、綏靖天皇(すいぜいてんのう) 末っ子

第三代、安寧天皇(あんねいてんのう) 長子

第四代、懿徳天皇(いとくてんのう) 次男

第五代、孝昭天皇(こうしょうてんのう)長男

第六代、孝安天皇(こうあんてんのう) 次男

そして、第七代を継承したのは、次男の大倭根子日子賦斗邇命(おほやまとねこひこふとにのみこと)でした。

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―次回へ

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