「自分ダサいな。」って気づけてからが人生再スタートだっていう話
「まだ自分は大丈夫」、「やればできる人間だから」。普通に生きてて気づかないことがある。
会社を辞めて、晴れて無職になった時、あるいは生活費が底をつきそうになった時。現実を直視せざるを得ない状況。そんな時にどう考えるか。心に耳を澄ませて聞いてみよう。
会社退職、お金が尽きるまで
会社を辞めてから1ヶ月。時間に余裕ができて、これからどうするか、将来についてふと考えてみる。「まだ大丈夫。なんとかなる」、短絡的な思考の1つが頭の中で浮かび上がってくる。
元々夏休みの自由研究、学校のテストは徹夜で乗り切るタイプだったから、今回もまたなんとかなるだろうと、その浮かび上がった思考に賛同していた。辞めた時には既に貯金もほぼなく、日雇いをしてなんとか生活費を賄えるレベル。今振り返るとギリギリの状態だった。
イケメンアイドルの何かの曲で「ギリギリでいきたいから、Ah~Ah~!」って歌詞があったけど、まさに崖っぷちでの生活。
「この日とこの日、どうしても入りたいんですけど、ダメですか…?」
「ちょっと無理ですね~、今現場ほとんどなくてあっても人がいっぱい入っちゃうんで…」
外出自粛が始まった頃。収入源となっていた日雇いで、前の年と比べると入れる現場が極端に少なくなった。1週間の内、派遣会社に連絡して5日シフトを入れると1回か2回程度。ひどい時には福沢さん3枚程度の収入で生活する時もあった。
食べれるものも限られるのでスーパーでもやしを買い込み、豚肉200~300gと袋入りラーメンが主食となった。ラーメンは2等分に割って1日分。豚肉は6回分に分けて1枚に繋がったうっすい肉を2~3つに分けてフライパンに入れ込む。それを1日2食で、当然腹の足しになるはずもなく1~2時間に1回は腹が泣いていた。
この時点でやばいなとは感じてた。でも時期が来れば治まるだろうと高を括って自分を安心させた。それしかない、今耐えればまた元の生活に戻るんだ…!
ついに収入が0になる週、月が出始めた。現場には1度も入れず、ただ支出を積み重ねていく日々。外出しようにも交通費も惜しいため、家で腹を空かせながら時間が経つのを待つ。
感染者が1日200~300人以上発表される中、治まる気配は一向にこない。ニュースやSNSで日常的に発せられる、「もう何週間後には落ち着く可能性があるので今は頑張りましょう」という専門家の言葉に重みを感じなくなるのに、そう時間はかからなかった。
収入がない。どうするか、金を作るしかない。
すがる思いで金集め。しかしできたのはなけなしの金だった
家にあるほこりかぶりの本、雑誌、読む予定だった新品の本までかき集めて40冊。重い腰を上げて今にもはち切れそうなくらいのカバンと、両手に二重にかぶせた袋を持ちブックオフへ。
1548円だった。
会計時のレジでパッと映し出されたその4ケタの数字を見た時、受け取ってからのその後の生活を一瞬想像して絶句した。「合計するとこちらの金額ですがいかがでしょうか?」。レジの方に右手を添えながら店員は丁寧に言う。「え?あぁ、はい。大丈夫です。」
レシートの上に乗せられたお札とその上に何枚かの小銭。是が非でも、最低限の生活ができるぐらいの金額が欲しかったからか、その右手にあるものがただの紙切れと金属にしか見えなかった。
そんな紙切れと金属を、使い古した100円程度のボロい財布に雑に突っ込み、苛立ちと焦りが入り混じった頭を落ち着かせようとコンビニでポカリスエットを1本買って近くの公園のベンチへ。
時間は昼の13時過ぎぐらいか。無数のセミの鳴き声と、雲1つない日照りの中袋からポカリを取り出し1口飲む。身体は潤ったが心は乾く。飲みかけのポカリに目をやり、焦った。
「これで100円程度か、高い…」。学生時代にあれだけガブガブ飲み尽くした飲料水も、今では立派な生命維持のための貴重品。安易に手は出せなくなったことに情けなさを感じる。
談笑するサラリーマン。悲観する自分
そんな気持ちを避けたく公園外の道路に目をそらすと、白シャツネクタイ黒カバンのいかにも新卒1年目のような社会人3人が、談笑しながら歩いていくのが見えた。ランチ帰りだろうか。ゆっくり歩いている様子を見るに、満足そうに目的の方向に向かっていくのがみてとれる。
こんなご時世なのに、なんであんなに笑ってられるんだろう。
考えまいとしていたが、その3人組と自分を比べて悲観してしまった。
なっさけな。俺。
1000円ほどのランチでも余裕で出せるのに、自分はたかが100円ほどの飲料水でもやっと手が出せるか出せないかぐらい。生き方としてダサすぎる。情けないとその時思った。
家に帰ってもそれが頭から離れなかった。まだ大丈夫だと思ってたから。何とかなると思ってたから。そう思い続けてたら、何とかならなくなっていた。
なぜそんな単純なことに気づかなかったのだろうか。大事なことは、失ってから気づくものとよく言う。膨大な時間を経て、自分の情けなさに今更気づいてしまった。
なんとかしなくては。
心の中でその一言だけが静かに囁いたのを感じた気がした。
もちろんこの経験だけが、自分を自立するためのきっかけではない。
しかしこの経験が自分にとっての変化のスタートラインだったんじゃないかと今振り返って思う。
人は自分がダサいと気づいてからスタートなんじゃないか、そう思った話。