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袖振り合うも…

 夏休み。帰省したり旅行に行ったりする人も多いのではないだろうか。

 この時期は、駅や街中でいつもと違う人とすれ違うことも特に多いだろう。私は実家を出てからは、この時期、新幹線で帰省するのが恒例になっている。

 そんな中、私は新幹線にまつわる後悔の思い出が2つある。

願わくば、読んでくださっているみなさんがそんな後悔をしませんように。

 これはそんな願いを込めたnoteだ。

駅のホームで困り果てていた老夫婦

 ある日、乗車予定の新幹線出発間際、足早にホームを歩いていたら、老夫婦に声をかけられた。

「あのう…、○○まで行きたいんですが、どの新幹線に乗ればいいんでしょう?」

 手にはプリントアウトされたシンプルな時刻表を握りしめ、本当に困っているようだった。私は一瞬混乱した。

 今、新幹線のホームにいるということは、曲がりなりにも乗車予定の新幹線の名前が記された切符を買い、改札を通り、電光掲示板でホームを確認し、ここまでたどり着いた、ということではないのかと。それでも乗る新幹線がわからないという現象はなぜ起こるのだろうかと。

 結局時間に余裕のなかった私は、切符に記された時間と電光掲示板を見比べて「隣の新幹線だと思います。でも駅員さんに聞いた方が確実かも…」と曖昧な返答しかできないまま、自分が乗る予定の新幹線に飛び乗った。

 出発間際、窓からは老夫婦が別の人にまた話しかけているのが見えた。時間がなかったとはいえ、もう少しできることがあったのではないかと口惜しくなった。

人生で初めて新幹線に乗った73歳男性

 ある日の午前中、実家への帰路に着く新幹線の中、隣席はたまたま老齢の男性だった。窓際の席が私の席だったので、「すみません」と言いながら、席へ進む。

 すると男性は笑いながら

「どうぞどうそ。…窓際、うらやましいなぁ。窓側のチケット取ろうとしたんだけど、取れなかったんだ」

と話しかけてきた。咄嗟に「席を交換しましょうか」と言えればよかったのだけれど、話しかけられたこと自体にびっくりして、ぎこちなく笑い返すことしかできなかった。

 その後も男性はぽつりぽつりと話しかけてきた。聞けば前日、105歳の母親を亡くし、葬儀に駆けつけるため人生で初めて新幹線に乗るとのこと。男性自身は73歳だという。

 73歳の男性が、105歳の母親を亡くすとき、どんな気持ちがするのか、私には見当もつかなかった。

 遅めの朝食を車内で食べ終え、人心地ついたところでやっとさっき言いたかった言葉、「席を交換しましょうか」を口にすると、男性はまた笑いながら「いいよいいよ、速すぎて景色もよく見えないだろうし」と言った。

 未だ自分の5年後さえ想像できない私は、男性の今までの人生を思った。
けれどやっぱり皆目見当もつかなかった。私にできるのは、目的地までどのくらいかかりそうか、スマホで交通情報を調べてあげることだけだった。

目的地には着けましたか?

 テクノロジーの塊のような乗り物が、今日も誰かの人生をどこかへ運ぶ。

 あの老夫婦は無事、目的地に到着できただろうか。

 あの男性はどんな気持ちで生まれ故郷に着いただろうか。

 袖振り合うも多生の縁。おそらく二度と出会うことのない人たちと出会った一瞬。また似たようなことがあれば、乗る新幹線に迷っている人には、確実に知っていそうな人を引き合わせられればと思うし、窓際の席を切に望む人がいれば軽やかに颯爽と席を交換したいと思う。

ありがとうございます。いつかの帰り道に花束かポストカードでも買って帰りたいと思います。