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ストップをかけてしまいがち
文章を書いていると、「勢いよく書け!」という自分と、なにかにつけてストップをかけてくる自分とがせめぎ合う。優勢なのはいつも後者で、それが悩ましい。
そんなこともあり、速筆な人に強い憧れがある。といっても、執筆にかかる時間が短いことへの憧れではまったくなくて、止まらずにすらすら筆が進むことに対するものだ。
書くことに限らず、意味もなく自分自身に設けてしまっている心理的なハードルを下げるには、どう
エレベーターのボタンを押したことさえ忘れて
ビル8階にある図書館に行こうとしたときのこと。1階でエレベーターに向かい歩いていると、小学校3〜4年生くらいの男の子が小走りで僕を追い越し、上向きのボタンを押した。
エレベーターはちょうど上に移動を始めたばかりで、戻ってくるまでしばし時間がかかりそう。 なにをすることもなくただ待っていると、その子はキュッと踵を返す。少し離れた場所にある、絵などが展示されている場所に向かって進んでいた。
エレベ
「しおり」を挟むと、普段とはほんの少し違う読書に
いつもの本屋で文庫本を購入したところ、店員さんが「この4つのデザインの中から1つ、しおりを選べますがどうしますか?」とひとこと。無料でしおりを貰えるキャンペーンが行われていた。 これといった理由はなく、なんとなく目に留まったデザインを選んだ。
調べてみると、1976年から45年以上続く『新潮文庫の100冊』というフェアが開催されているとのこと。購入した一冊が、たまたま新潮文庫の今年選んだ100冊
比喩を実際に体験して
3日ほど前から、「目の上のこぶ」ができている。物理的に。正確に言うと、左目の真上ではなくて左斜め上が腫れている。
なかなか腫れが引かないので昨日皮膚科に行き、内服薬と軟膏を処方してもらった。患部を隠したく、「眼帯をつけることはできますか?」と尋ねたところ、そうすると眼帯と皮膚が擦れて治りが遅くなるとのこと。小さく折り畳んだガーゼで患部を覆い、テープで止める方法を教えてもらった。
ここまで書いて
「忘れ物」の対処法を考える日
一日に同じ失敗を二度すると、いやでも自らを省みるのだなと、ふと思った。
午前中、勉強をしていたコーヒーチェーンにビニール傘を忘れ、午後には皮膚科で診察券を家に置き忘れてきたことに気がついた。一日の中で、「忘れ物」を二つ重ねた。
ビニール傘に関しては、今年になってから、合計して何本置き忘れてきたか分からないくらいだ。安くないので毎度、次こそは忘れまいと言い聞かせるのだけれども、そんな誓いはどこへ
あのおもちゃが教えてくれたこと
『∞(無限)プチプチ』『∞(無限)エダマメ』というおもちゃが、いまから約12〜14年前に流行っていた。衝撃に弱い製品を包装するために用いられる、いわゆる「プチプチ」を押すときの、あの触り心地と弾ける音。また、枝豆の粒を押し出すときのあの感触。これらを数回こっきりではなく、ずっと体感できる商品として販売されていた。
僕は発売から数年遅れ、小学校4〜5年生くらいのときに、その商品の存在を知った。「あ
今夏は確かに「清涼飲料水」
飲み物のラベルを、割とよく見る方だ。そこに記された、原材料・カロリー・糖質・カフェイン含有量などを毎回ではないけど確認する。中学生の頃、血液検査でいくつか正常値から外れた値が出て、再検査を命じられた。それ以降、自分が口にするものに対して多少気を遣うようになり、このラベル確認をいつしか行うようになった。
そんなわけでラベルを見たときに、僕が一番不思議に思うのが「清涼飲料水」という名称。 「清涼」
思っていたより数時間早めの閉店
以前にも触れたのだけれど、昨日6月30日(木)で、自分の働く塾近くのファミリーマートが閉店だった。
出勤日であったので「最終日もいつも通り利用しよう」と心に秘めて、アルバイト先の塾に向かった。自分の中では、きのう一日のちょっとしたイベントとなっていた。
28日の火曜日にも、授業の合間に通常通り訪れていた。そのときの店内は、コンビニとは思えぬほどに殺伐としていて、人も物も少ない空間。
辛うじて
拙い一句から、季節の話
『春か夏 どっちかはっきり してほしい』
これは小学校6年生のとき、俳句の公募に提出した一句。僕の学校では毎年、伊藤園の「お〜いお茶 新俳句大賞」に、6年生全員が応募していた。
自分の記憶の中では、おそらく、春の終わり頃に、花粉症から一刻も早く解放されたいという願いを込めた一句だったような気がする(ただ、どんなに想像を膨らませたところで、この想いを汲み取るのは無理そうです)。
その圧倒的なレ
「気持ち短めで」と言いがちな人間
1ヶ月半ぶりに髪を切った。美容室帰り特有の、ほんの少し薬品っぽくも心地いい香りが、鼻腔にまだ残っている気がする。髪がいくらか無くなって、突如として始まった猛暑のこもるような熱気も軽減された。
「気持ち短めで」
椅子に座り、「今日はどうしますか」と訊かれると、おおよそこのように答えている。魔が差して、大幅に短くしたくなる日を除いては。年に数回訪れるこういう日は結局のところ、散髪後に
年々、歩くのが速まっている気がする
青信号が点滅していても、疾走して渡り切ることが無くなった。おとなしく渡るのを諦めて、次の青を待つ。これは成長なのだろうか、後退なのだろうか。 それでいて自動車用の信号を確認していて、そっちが赤になると、歩行者用はまだ青になっていないにも関わらず、一歩目をフライングしていたりする。であれば、さっき走り切っていた方がよかった気もする。たまにやってしまうこの自分のフライ
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