見出し画像

あのおもちゃが教えてくれたこと

『∞(無限)プチプチ』『∞(無限)エダマメ』というおもちゃが、いまから約12〜14年前に流行っていた。衝撃に弱い製品を包装するために用いられる、いわゆる「プチプチ」を押すときの、あの触り心地と弾ける音。また、枝豆の粒を押し出すときのあの感触。これらを数回こっきりではなく、ずっと体感できる商品として販売されていた。

僕は発売から数年遅れ、小学校4〜5年生くらいのときに、その商品の存在を知った。「あの感触を何回もできるの?」と心弾み、新宿のヨドバシカメラでどちらも親に購入してもらった。

ちなみに累計販売数で言うと、『∞プチプチ』は260万個、『∞エダマメ』は180万個を超える大ヒット商品であったらしい。

帰宅するやいなや、さっそく封を開けてプチプチプチ。枝豆の方も同じく開封して、豆粒を幾度もツルンと押し出す。それなりの時間、絶えず繰り返していたんじゃないかなという薄い記憶がある。

その後も学校や塾に持っていき、暇な時間を見つけると「これの出番だな」とこっそり取り出していた。このときはある種、退屈な時間を待ち望んでいた。


なのだけれども。自分は飽き性ということもあって、おそらく5日ほどでやめてしまった。なにかと新しいゲームや遊びに目移りしやすく、続ける方が稀だったというのもあると思う。


そして、いまになって考えるのは。      「これが無限に出来たらな」と思うことはあるけれど、いざ無限に出来るようになると翻って、有限だから、面白かったり気持ちよかったり有難かったりしたのだなというのを実感する。   「プチプチ」の丸い突起が徐々に減り、枝豆がだんだんと残り少なくなるからこそ、あのプチッという破裂音や、スルンとしたすべるような感触が、恋しくそして名残惜しくなる。

あの画期的なおもちゃは、「限りがあるからいいのだよ」ということを、教えてくれたような気がいましている。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?