堀込 尚司

ライター。batons writing college1期生。就職活動中の22歳です。

堀込 尚司

ライター。batons writing college1期生。就職活動中の22歳です。

最近の記事

絡まって、解いて。

昨晩から感じた、自室の少し焦げたような臭い。その原因が、今朝はっきりした。 いつも通り、髪を乾かそうとドライヤーの電源を入れる。しかし、機械はうんともすんとも言わない。コンセントが抜けているのかなと確認してみるとしっかり刺さっていて、おそらく内部の導線が故障しているのだろうと理解した。異臭の発生源もこのドライヤーと分かり、昨晩の自分は、一体どれくらいの火災のリスクを抱えて眠りについていたのだろうと、朝から少しゾッとした。 急いでコンセントを抜き、処分することに。 コンセ

    • ストップをかけてしまいがち

      文章を書いていると、「勢いよく書け!」という自分と、なにかにつけてストップをかけてくる自分とがせめぎ合う。優勢なのはいつも後者で、それが悩ましい。 そんなこともあり、速筆な人に強い憧れがある。といっても、執筆にかかる時間が短いことへの憧れではまったくなくて、止まらずにすらすら筆が進むことに対するものだ。 書くことに限らず、意味もなく自分自身に設けてしまっている心理的なハードルを下げるには、どうしたら良いのだろうというのはずっとあるのだけれど。               

      • エレベーターのボタンを押したことさえ忘れて

        ビル8階にある図書館に行こうとしたときのこと。1階でエレベーターに向かい歩いていると、小学校3〜4年生くらいの男の子が小走りで僕を追い越し、上向きのボタンを押した。 エレベーターはちょうど上に移動を始めたばかりで、戻ってくるまでしばし時間がかかりそう。 なにをすることもなくただ待っていると、その子はキュッと踵を返す。少し離れた場所にある、絵などが展示されている場所に向かって進んでいた。 エレベーターが1階に戻ってきた。けれども、その子はこちらに背を向けたまま、展示を眺め入

        • 「しおり」を挟むと、普段とはほんの少し違う読書に

          いつもの本屋で文庫本を購入したところ、店員さんが「この4つのデザインの中から1つ、しおりを選べますがどうしますか?」とひとこと。無料でしおりを貰えるキャンペーンが行われていた。 これといった理由はなく、なんとなく目に留まったデザインを選んだ。 調べてみると、1976年から45年以上続く『新潮文庫の100冊』というフェアが開催されているとのこと。購入した一冊が、たまたま新潮文庫の今年選んだ100冊に含まれており、そのためにしおりが付いてきた。 はじめ手に取ったときは、「この

        絡まって、解いて。

          情報から離れる。

          12時30分頃にそのニュースを見た。 情報から離れる時間を設けることが必要なように思う。

          情報から離れる。

          きれいな字を見ると

          塾講師をしていると、字がきれいな子に出会う。「字がきれい」といってもさまざまで、一画一画止め跳ねが定まっている字や、流れるようにところどころ繋がっていて味のある字など。  一方の僕は、わかりやすく字が汚い。恥ずかしいことに、注意を怠ると「そこなんて書いたんですか?」とたまに訊かれるくらい。そんなわけで、字が上手な子の漢字テストを丸付けした後、自分が書いたホワイトボードを見ると少々へこむ。この子は、僕の字を見ていったいどんな感想を抱いているのだろうかと思うことも。 自分の字

          きれいな字を見ると

          振り返り

          書くことが浮かばないので。 昨日noteを投稿したところ、「連続50日」と表示された。「48日」「49日」だとまったくと言っていいほど心の動きはないが、「50日」というキリのいい数字になると無意識に少し反応する。  いつもならあの画面はすぐに消すのだけれど、昨日は一拍置いて画面を消した。 この期間考えることは沢山あったけれど。   毎日noteは、肉体的な意味でも精神的な意味でも、その日の状態を指し示す測定器のようなものだと思った。重ねて、日々の生活の充実度を上げるほかな

          比喩を実際に体験して

          3日ほど前から、「目の上のこぶ」ができている。物理的に。正確に言うと、左目の真上ではなくて左斜め上が腫れている。 なかなか腫れが引かないので昨日皮膚科に行き、内服薬と軟膏を処方してもらった。患部を隠したく、「眼帯をつけることはできますか?」と尋ねたところ、そうすると眼帯と皮膚が擦れて治りが遅くなるとのこと。小さく折り畳んだガーゼで患部を覆い、テープで止める方法を教えてもらった。 ここまで書いてきたのだけれど、自分の症状やその処置を書きたいわけではない。 いま比喩としての

          比喩を実際に体験して

          「忘れ物」の対処法を考える日

          一日に同じ失敗を二度すると、いやでも自らを省みるのだなと、ふと思った。 午前中、勉強をしていたコーヒーチェーンにビニール傘を忘れ、午後には皮膚科で診察券を家に置き忘れてきたことに気がついた。一日の中で、「忘れ物」を二つ重ねた。 ビニール傘に関しては、今年になってから、合計して何本置き忘れてきたか分からないくらいだ。安くないので毎度、次こそは忘れまいと言い聞かせるのだけれども、そんな誓いはどこへやら。 数日経てば、椅子の下に置き忘れたり、傘立てに差し込んだまま店を出てきたり

          「忘れ物」の対処法を考える日

          あのおもちゃが教えてくれたこと

          『∞(無限)プチプチ』『∞(無限)エダマメ』というおもちゃが、いまから約12〜14年前に流行っていた。衝撃に弱い製品を包装するために用いられる、いわゆる「プチプチ」を押すときの、あの触り心地と弾ける音。また、枝豆の粒を押し出すときのあの感触。これらを数回こっきりではなく、ずっと体感できる商品として販売されていた。 僕は発売から数年遅れ、小学校4〜5年生くらいのときに、その商品の存在を知った。「あの感触を何回もできるの?」と心弾み、新宿のヨドバシカメラでどちらも親に購入しても

          あのおもちゃが教えてくれたこと

          今夏は確かに「清涼飲料水」

          飲み物のラベルを、割とよく見る方だ。そこに記された、原材料・カロリー・糖質・カフェイン含有量などを毎回ではないけど確認する。中学生の頃、血液検査でいくつか正常値から外れた値が出て、再検査を命じられた。それ以降、自分が口にするものに対して多少気を遣うようになり、このラベル確認をいつしか行うようになった。 そんなわけでラベルを見たときに、僕が一番不思議に思うのが「清涼飲料水」という名称。  「清涼」という言葉がピンと来ない。なぜ公式な表記に、「清涼」という人によって感じ方が異な

          今夏は確かに「清涼飲料水」

          思っていたより数時間早めの閉店

          以前にも触れたのだけれど、昨日6月30日(木)で、自分の働く塾近くのファミリーマートが閉店だった。 出勤日であったので「最終日もいつも通り利用しよう」と心に秘めて、アルバイト先の塾に向かった。自分の中では、きのう一日のちょっとしたイベントとなっていた。 28日の火曜日にも、授業の合間に通常通り訪れていた。そのときの店内は、コンビニとは思えぬほどに殺伐としていて、人も物も少ない空間。 辛うじて普段と同じと言えるのは、消費期限の短いおにぎり・パン・惣菜売り場だけ。お菓子はの

          思っていたより数時間早めの閉店

          拙い一句から、季節の話

          『春か夏 どっちかはっきり してほしい』 これは小学校6年生のとき、俳句の公募に提出した一句。僕の学校では毎年、伊藤園の「お〜いお茶 新俳句大賞」に、6年生全員が応募していた。 自分の記憶の中では、おそらく、春の終わり頃に、花粉症から一刻も早く解放されたいという願いを込めた一句だったような気がする(ただ、どんなに想像を膨らませたところで、この想いを汲み取るのは無理そうです)。 その圧倒的なレベルの低さからか、なんなのか。今なお、なぜだか頭に残っている。小学生ということを

          拙い一句から、季節の話

          「気持ち短めで」と言いがちな人間

          1ヶ月半ぶりに髪を切った。美容室帰り特有の、ほんの少し薬品っぽくも心地いい香りが、鼻腔にまだ残っている気がする。髪がいくらか無くなって、突如として始まった猛暑のこもるような熱気も軽減された。 「気持ち短めで」        椅子に座り、「今日はどうしますか」と訊かれると、おおよそこのように答えている。魔が差して、大幅に短くしたくなる日を除いては。年に数回訪れるこういう日は結局のところ、散髪後に強めの後悔というか、取り返しのつかないことをしてしまった感じが押し寄せてくる。 

          「気持ち短めで」と言いがちな人間

          古典への再挑戦

          塾講師をしているのだが、きょう火曜日は  「古典」の担当。朝から授業で使うプリントをまとめていた。授業範囲は、個人的に思う古典最大の難所「敬語」。ということで、ずっと「給ふ」「のたまふ」「聞こゆ」「奏す」「啓す」など打ち込んでいたところ、なかなかの字数になっていた。 「たまふ」は尊敬語で、「たまはる」は謙譲語、「のたまふ」ははたまた尊敬語など。敬語はそれぞれ似通っていて、けっこう混同してしまう。いままとめ終わって、頭の中が萎縮しているような感覚だ。 つい最近図書館で借りた

          古典への再挑戦

          年々、歩くのが速まっている気がする

          青信号が点滅していても、疾走して渡り切ることが無くなった。おとなしく渡るのを諦めて、次の青を待つ。これは成長なのだろうか、後退なのだろうか。                  それでいて自動車用の信号を確認していて、そっちが赤になると、歩行者用はまだ青になっていないにも関わらず、一歩目をフライングしていたりする。であれば、さっき走り切っていた方がよかった気もする。たまにやってしまうこの自分のフライング癖がまあ好きではなく、気恥ずかしさを覚える。 青が点滅して間もなければもち

          年々、歩くのが速まっている気がする