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きれいな字を見ると

塾講師をしていると、字がきれいな子に出会う。「字がきれい」といってもさまざまで、一画一画止め跳ねが定まっている字や、流れるようにところどころ繋がっていて味のある字など。 

一方の僕は、わかりやすく字が汚い。恥ずかしいことに、注意を怠ると「そこなんて書いたんですか?」とたまに訊かれるくらい。そんなわけで、字が上手な子の漢字テストを丸付けした後、自分が書いたホワイトボードを見ると少々へこむ。この子は、僕の字を見ていったいどんな感想を抱いているのだろうかと思うことも。

自分の字が汚くなった時期とその理由は、割とはっきりしている。中学生になって本格的に授業のノートを取るようになってから、誰かに見せるもの以外は、自分が読めればいいと割り切った。 小学生まで、字が上手と言われることは稀だったものの、汚いとか雑と言われることはほとんど無かった。だが、割り切って以降は徐々に字が歪んでいく。そのうち、誰かに見られるものであったとしても、同じく雑さが増していった。

「書は人なり」や「字は体を表す」などの言葉を目にすることがある。他にも「書は心画なり」など、「字は書いた人の人格・性格を映し出す」といった意味合いの言葉は多くある。それを言われると、「ほんとすいません」としか言いようがない。

字がきれいな人は、常に誰かに見られる意識を持って書いているのだろうか。それがノートや手帳など、自分しか見ないものであっても。そう考えると、それこそ日々の小さな意識の積み重ねなのだなと改めて感じる。

塾には、こちらが少し驚くくらいに字がきれいで美しい子もいて。そのような字に触れると、やはり自分の字を省みることになる。

思えば中学生のときに、ある意味字を丁寧に書こうとすることを放棄したわけなので、その癖が身体に染み込んでいるとも言える。そう簡単に改善できるはずはなさそうで、日々のちょっとした意識をどれだけ持続できるかといったような気がしている。

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