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年々、歩くのが速まっている気がする

青信号が点滅していても、疾走して渡り切ることが無くなった。おとなしく渡るのを諦めて、次の青を待つ。これは成長なのだろうか、後退なのだろうか。                  それでいて自動車用の信号を確認していて、そっちが赤になると、歩行者用はまだ青になっていないにも関わらず、一歩目をフライングしていたりする。であれば、さっき走り切っていた方がよかった気もする。たまにやってしまうこの自分のフライング癖がまあ好きではなく、気恥ずかしさを覚える。

青が点滅して間もなければもちろん渡るのだけれど、小走りと表現するに合った走り。呼吸が乱れることはない。思えば、最後に全力で走ったのはいつだろうか、なかなか思い出せない。

一方で、歩くのは年々速まっている気がする。歩いていて追い抜かれることはほとんどなく、追い抜くことはしばしば。肉体的に逞しくなったから速くなったとか、そういうわけではおそらくない。なにかに追われているようと言った方がいいのだろう。精神的に急いているのだと思う。

「散歩」が趣味や日課というのを耳にすると、「なんかいいなぁ」と感じる。自分の場合、趣味を訊かれたとき散歩は頭に浮かばない。散歩と聞くと、せかせか歩くのではなく、ゆったりのんびり歩いているイメージ。周りの風景を眺め入ったり、なにか深く考え込んだりしながら、時には立ち止まることもあるのだろう。

自分の現状を考えれば余裕に溢れているのもおかしいのだけれど、時にはゆっくり歩くような時間も必要なのかなと思う。


夕方、3階にあるマクドナルドからなんとなく外を眺めていたら、歩く人波が絶えず流れていた。ゆっくり歩いている人もいれば、足取りが重い人もいて、やや前傾で歩いている人もいる。普段、自分の歩く速さなど考えることもないけれど、見ていたら不思議と考えていた。

日々の歩く速度や様子というのは、その人の心理状態を映している側面があるのかもしれない。


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