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思っていたより数時間早めの閉店

以前にも触れたのだけれど、昨日6月30日(木)で、自分の働く塾近くのファミリーマートが閉店だった。

出勤日であったので「最終日もいつも通り利用しよう」と心に秘めて、アルバイト先の塾に向かった。自分の中では、きのう一日のちょっとしたイベントとなっていた。


28日の火曜日にも、授業の合間に通常通り訪れていた。そのときの店内は、コンビニとは思えぬほどに殺伐としていて、人も物も少ない空間。

辛うじて普段と同じと言えるのは、消費期限の短いおにぎり・パン・惣菜売り場だけ。お菓子はのど飴が数種類残っているのみで、カップ麺は一つも無い。「節電」との紙が貼られ、飲み物を冷やすことさえ止まっていた。これが、最終日はどのような状態になっているのかなというのも、些細な、そして密かな楽しみであった。


ところが。出勤の際に前を通ると、店内は照明が落とされ薄暗い。緑・白・青の横縞に塗られたあの看板も取り外されていて、中に入ることはもちろん出来ない。どうやら夜を待たずして、午前中に閉店していたようだった。

お店の前で数秒足を止め、店内を眺めたのち、すぐに塾へと歩を進めた。大きなショックとか喪失感ではまったくないものの、多少なりの名残惜しさを感じた。

17時から2コマの授業を終え、しばし休憩の時間。いつもであれば利用しているファミリーマートはもう無いということで、することもなく5分ほど外をゆっくり歩き、いつもより早めに教室に戻り授業の準備を進めた。この時間を、これからどうしようかなと考えた。


自分が思っていたより数時間早めの閉店を目の当たりにして、心に湧いた多少の惜しさ。けれども人の記憶は淡く消えやすいもので、おそらく数週間経てば、そこに以前何があったか曖昧になるのだろう。跡地にどんな店舗が入るのかまだ不明だけれど、いざ新しいお店が入ると、その光景が日常と化していく。数ヶ月も経過してしまえば、前の店舗は頭に浮かぶことさえ無くなるものだ。

僕が小学校4年生の頃から、少なくとも12年以上はそこにあり続けたコンビニであり、出勤日はほぼ毎日利用していた。でも、惜しさを感じるのはほんのわずかな時間で、その感覚もすぐに消え去っていくものと言っていい。


ただ、ほんのひと時でも「惜しさ」を感じるのが、確かにそこにあったということなのだろう。



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