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「忘れ物」の対処法を考える日

一日に同じ失敗を二度すると、いやでも自らを省みるのだなと、ふと思った。

午前中、勉強をしていたコーヒーチェーンにビニール傘を忘れ、午後には皮膚科で診察券を家に置き忘れてきたことに気がついた。一日の中で、「忘れ物」を二つ重ねた。

ビニール傘に関しては、今年になってから、合計して何本置き忘れてきたか分からないくらいだ。安くないので毎度、次こそは忘れまいと言い聞かせるのだけれども、そんな誓いはどこへやら。 数日経てば、椅子の下に置き忘れたり、傘立てに差し込んだまま店を出てきたりしてしまう。

「同じ失敗を二度繰り返すな」というのは、よく耳にするフレーズだ。僕も高校のとき、野球部の副顧問の先生に、何度似たような言葉を言われたか。一試合の中で同じミスを重ねたら、まず交代させられていたし、場合によっては帰宅を命じられることもあった。今日の僕の姿を見たら、怒号が響くだろう。

そう考えると、こと「忘れ物」においては、同じミスを繰り返してきたのは二度や三度では到底済まない。通算したら、途方もない数になるだろう。

一方で。「忘れ物は失敗と捉えるべきなのかな?」と思うこともある。人間は忘れるものだろうと開き直っている自分も、他方で確かにいるのだ。

最近、家の鍵をよく無くすということで、自室にそれを引っ掛けておくための小さなフックをくっつけた。鍵はビニール傘などと比べて、忘れたときに大変なことになりかねないというのもあって設置した。フックに掛けるのを忘れて、捜し回る羽目になることはままあるものの、いまのところ設置以降無くしていない。ある程度、効果を発揮していると言えそうだ。

ビニール傘や診察券においても、なにか対策を施すべきなのだろうか。今日はこのことを多少なりとも考えるに至った。

一つ言えるのは。今日の忘れものがどちらか片方だけだったら、もう忘れたことさえ忘れているのだろうなと。忘れ物は、本当に大事にしていたものをどこかに忘れるか、あるいは一日に複数個忘れるくらいでないと、改善しようという気さえ湧かない気がする。だからこそ、何度も何度も忘れるのだろう。

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