小景 すい

なんとか生きようともがいています Twitter @kokage_sui

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マガジン

  • 散歩日記

    散歩中に頭に浮かんだことをただつらつらと並べるだけの日記

  • 短歌

    ぽとぽと詠みます

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空白

やっぱやっぱやっぱ死にたいよ!?って思う常に思う こんなわたしに安心する 平和ボケなんてしてないよねえって ちゃんと地に足つけて生きてるよねえって 本当に何も、誇れる人間じゃなくてわろてしまいます あなたが好きなわたしなんて本当のわたしじゃないよって、誰に対しても思う そうやって己を守る 誰に嫌われても、「ああ演技してたわたしだったし」って 「ほんとうの自分じゃないし」って ほんとうの自分なんてどこにいるの? 誰かみつけたらご一報ください 健康って地に足ついてる感じがしな

    • Cl

      冬の銭湯の匂いが好きだ。思い出して居酒屋の帰り、銭湯を嗅ぎに行ったのに鼻が詰まってなんの匂いもしない。生きるって全然うまくいかない。 側から見たらこんなに人生楽しそうな人いないんだろうな。出会う人みんなに「楽しそう」と言われて「楽しいよ!」と返してその通りだけどやっぱりそればかりじゃないよな。日々が楽しくないから楽しくいるのに必死なのか、楽しいばかりだから時折さみしくなるのか。 リボンのかかったプレゼントを抱えて歩くおじいちゃんとすれ違う。誰かの顔を想像しながら選ばれるプ

      • fiction

         離婚したいくらい好きな人がいる。結婚したいとか生ぬるい感情じゃなくて、もっともっと、きみのいない未来を熱望してしまいたくなるほどに。  嫌われるのは楽だ。好かれるための努力をしなくてよくなるから。ほんとうに好きな人ほど遠ざけて、視界の端に頭の隅に追いやってしまって、霞んで顔も思い出せなくなった頃、わたしはようやく安心する。ああ好きじゃなくてよかった。頭は今日も正常に動く。 「俺が結婚できると思う?」 「できないと思う。ちょっと違う、できたとしてすぐ別れると思う」 「離婚

        • 心酔

          愛されたいとわんわん泣いていたのにいざ愛されると鬱陶しくなって一体全体何がしたいんだ?人間ってわたしってなんてややこしいの。ふわふわにくるまれて同化してしまえたらと願っていたのに、そんな生ぬるいとこ死んでもいてやるかと思う。一刻だって同じわたしでいられない。結局のところわたしなんて存在しないんじゃないかと焦っている。 「人はひとりで生まれてひとりで死ぬ」という言葉にぶん殴られた幼少期を思い出す。生まれてはじめてわたしに強い衝撃を与えたのがこの言葉で、急に真っ暗な穴に落っこと

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          応答せよ

           今村夏子を愛す者として『こちらあみ子』を見ました。窪之内英策を愛す者として『ハケンアニメ!』を見ました。一日に2回映画を見るのは久々で、そのどちらも異なる友人と見るのははじめてでした。  奇しくもどちらにも尾野真千子が出てきて、弱さと強さを併せ持つ不思議な魅力を持った人だなあと思う。  あみ子もハケンアニメもその人と見れてよかったなあと思う。それぞれその作品に強く共鳴しているような人で、映画というのは見る時間や一緒に見る人で感じ方や捉え方が180度変わる。全然違う魅力を持

          応答せよ

          SOSを素直に出せたあの頃の方が落ちぶれていなかったのかもしれない。ただ残念ながらわたしは今のわたしの方が好きなのである。弱さを曝け出す弱さと強さ、弱さを隠す強さと弱さ。大事なところは自分の中に閉まっておく方がずっとやさしい。 わたしの癖として、一生変えられない軸として、底知れぬ自己愛があると思う。たくさんの人とすぐに仲良くなってその中の数人にはそのままのわたしをほぼ知っている人もいる。それでもわたしは絶対にそのままの弱さや痛みを見せたりしないし、見せても理解してもらえない

          23の朝

          とび出してきた黒猫と2匹の三毛猫 いつもの喫茶店 黙って置かれる灰皿 珈琲とうつくしいお話 誰もが等しく溶けいるソファ うまく開けられない新しい財布 置き忘れたかばんを取りにくる人 公衆電話でだれかと話すおじさん 桜の下でふざけて写真を撮る大学生 夏の空をうすく引き伸ばしたみたいなブルー 冬眠から目覚めた亀の日向ぼっこ ハーフパンツとブーツの間から白い太もも 川と橋と雪柳と着物 ひとつだけ夜に取り残された電灯 手のひらほどのバレエジュース トレンチコートの下で汗ばむ肌 変な歩

          春が爆速すぎて精神がやられた。もこもこのパジャマと靴下が暑い。夜風がぬるくて気持ち悪い。マスクで呼吸がうまくできない。桜は勝手に咲くな。久々の更新すぎてネットが開けねえ。なのに父親が勝手に設定したMacのパスワードは指が覚えていてなんかいやだ。 セブンにいたおっさんがノーマスクで何かに怒っていて、わたしはストゼロを買って一瞬で空にする これで安心。結局のところわたしを満たすのは粗悪なアルコールである。狭いワンルームに充満するニコチンである。黒歴史が多すぎる。とはいえわりと毎

          たとえばどれだけしあわせであっても指先から冷えてゆく夜があって、そんなときわたしは決まってつめたい湖の底にゆらゆらと沈んでゆく。死を渇望するその瞬間にだけ、どうしても鮮やかに映る生がある。伸ばした手はきらめく水面にもぷかり漂う泡にも触れられず届かず虚しく空を彷徨うばかり、そんなふうにして生きてゆかなければならない。生きてゆくほかない。

          まちがいさがし

          日々が飛ぶように流れてゆくので息ができない、でもこの生き苦しさも嫌いじゃないないやいやいや! 一年前のわたしはどうだろーと見返すとまあまあ楽しそう、おひとり様生活をエンジョイ🎶しておられました。わたしの才能だよなこれは、一人でいたって誰かといたってスーパーハッピーはちゃめちゃgirlです。 note書くのめちゃくちゃ久しぶり、こんな満たされて足りない夜です。 オワーン最近の幸は留まることをしらない、一昨年くらいの己に教えてあげたい。数ヶ月前の己にも!こわいなーと思いつつ

          まちがいさがし

          8.28

          きみのいない部屋はいつもより静かでさみしい。 にぶい振動とやわらかい水音、365日24時間ずっとこの部屋で稼働し続けたエアレーションがぱったり動きを止めてから、早一週間が過ぎた。 カーテンを開けるついでに、ちらりときみを覗く癖が抜けない。 外から帰って真っ先に、水槽の中で泳ぐきみを確認する癖が抜けない。 スプレーをするとき、髪を乾かすとき、水槽に入らないよう気を配る癖が抜けない。 もういくら覗き込んだって青い青いばかりでそこに黒いひらひらしたきみはいなくて、その度に

          常々悔しくいる。どうしても叶わない人、待って、って言っても進んでいく日常、わたしがいなくても機能してしまえる世の中。 毎夜煙たい廊下に尻餅ついて生きる。ひとりにもふたりにもなりきれなくて生きる。自分の輪郭すらもあやふやで生きる。地べたを這いずり回って人様のおこぼれにあやかって生きる。生きる。 何をしていても何を見ていても満たされなくてずっと、渇いていくのはどうしてなんだろう。いつからなんだろう。ずっと誰にも何にも敵わなくって叶わなくってただ、この瞬間から逃げ出したくてたま

          の上で、出町座で四回見た。同じ映画を上映中に二回見るのだってまれなのに、四回見た、見たんです。なんかもう「好き」とか通り越して「あたりまえ」だった。出町座で、好きなときに、ふらっと下北沢に遊びに行けるのが。あの愛しい空気にふれて、あの街で呼吸できるのが。 好きすぎて語れないということ、見た人としか共有できないんじゃないかってもどかしいこと、諸々の理由で文章にできなかった。己の心の内はいとも簡単に言葉にできるのに、この映画に関してはできない、というかしてしまいたくなかった。酔

          下鴨納涼古本まつりに行ったけどなにも買わなかった。 往復の電車賃と珈琲代と入浴代のみの出費で今日を生きる。 だいぶ前にもらった玉ねぎと半月凍らせてた牛肉でつくったハヤシライスを、飽きもせず三食続けて食べた。 冷蔵庫が空っぽになってゆくのは気持ちが良いので、もう今後なにも食べずに生きていたい。 久々の銭湯、珍しく家族連れで賑わっていて、サウナでの会話を盗み聞きする。 「明日海行ったらあかんで、台風も来るしサメもおるし」「サメって溺れ死んだりせえへんの?」 お母さんは

          平日仕事、土日外出。毎日人と会う日々に疲れ果てて、ほんとうに久々に家に閉じこもった今日でした。本読んだり二度寝したり動画見たり、ベッドの上から一歩も動かなかった。こういう一日の終わりの罪悪感って久々で、悪いことはしてないのにだれかに謝りたくなる。 なんだかだれのことも気持ち悪くてだめです、人との関わりが無理になってきている。浅い浅いうっすら伸びてくみたいな関係を、だれとでも保っていたいよ。深いところで交わるのは、お互いの内奥を引っ張り出そうとするのは、安心するけど美しく見え

          瑪瑙

          日々の小さなときめきを愛して生きてゆくと決めた矢先、これはただの麻痺なんじゃないかと絶望してしまった。生きる=苦であるという図式は太古よりデフォルトとしてわたしの中にあって、それに薄く靄をかけることで視界の外に放り出そうとしている。これは痛みに麻酔を打ってただラリっているだけであって、根本の苦しみから逃れられてはいないんです。日々わたしが細々と愛しているすべてが、わたしの苦のために存在しているようで愕然としてしまった。わたしは本を、喫茶店を、古着を、酒や煙草を、廃れた商店街を