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応答せよ

 今村夏子を愛す者として『こちらあみ子』を見ました。窪之内英策を愛す者として『ハケンアニメ!』を見ました。一日に2回映画を見るのは久々で、そのどちらも異なる友人と見るのははじめてでした。
 奇しくもどちらにも尾野真千子が出てきて、弱さと強さを併せ持つ不思議な魅力を持った人だなあと思う。

 あみ子もハケンアニメもその人と見れてよかったなあと思う。それぞれその作品に強く共鳴しているような人で、映画というのは見る時間や一緒に見る人で感じ方や捉え方が180度変わる。全然違う魅力を持った二作だから当たり前っちゃ当たり前なんやけど!

 『こちらあみ子』。幼少期の違和感と周囲の人間との乖離と孤独。それらが暗すぎず面白おかしく描かれていて、吹き出しながらも果たしてそれが正しい反応なのかわからない。あみ子はいつだって至って真剣に ぶつかったり走り出したり引っ張ったり悩んだりしていて、周囲の人間はそれらを遠巻きにしてやがて離れていく。今村夏子の作品は大抵ハッピーエンドに丸く収まったりしなくて、それがどうにも現実めいていて心を抉られる。見終わってから友人に「幼少期のあなたじゃん」と言った。破天荒で時に周囲を置き去りにするその友人のことがわたしは大好きで、あみ子だってそんな田舎抜け出してわたしみたいなのに抱きしめられてほしい。田舎ってすごく閉鎖的で排他的で マイノリティを淘汰しようとする風潮が根強くあって、そんな生きづらいとこさっさと逃げ出してしまえと思う。子どもの頃って学校や家族がすべてでそこから逃げ出せないと思い込んでしまう。あみ子がいつかやさしくてあったかいところを見つけられるよう祈らずにはいられない。
 映像もとっても綺麗でした。特に虫や動物、あらゆる液体の質感がリアル。握り潰したコーンの汁、お母さんの羊水、アスファルトに滴る汗、折れた鼻から流れる血。グロテスクなまでに生々しくて、匂いまで漂ってきそうでした。

 『ハケンアニメ!』。出町座のレイトショーにて。数年前にTwitterで見つけてから描く線の美しさに惚れ惚れしている窪之内英策先生がアニメの原画を担当されたということでずっと見たかったのです。
 本気の人間はいつだって本当にかっこいい。「自分が満足できない作品を世に出せない」と言いきるプロ意識に惚れ惚れする。妥協せず削れる限り身を削って、人の本気に動かされたり時に殴られたりしながらも理想を追い求めることをやめない。これは短歌やら写真やらを世に出す友人と見ましたが、見終わったあと彼は「物作りをしていたい」と言っていた。享受するだけってすごく楽だけど物作りはそうはいかない。苦悩したり嫌になったりしながらも、それでも何かを生み出して世に出す人間でありたいんだよなあ。昔わたしのnoteや短歌で救われましたと言ってくれた人がいて、わたしだってそのために書き続けて詠み続けていたいと思う。大衆にウケるものじゃなくて特定の誰かに深く刺さるものを作っていたい。それができるのであればこれ以上のことはなくて、そんな人が一人でもいてくれるのならばわたしが詠んだり書いたりしていることに必ず意味はあるのだと思う。
 主人公がどんどん周りを変えていったり巻き込んだりしていく様、うまく意思疎通の取れなかった人たちと完璧なコンビネーションを見せていく様、自信の無さから一歩引いたところにいたのが先頭を堂々と歩くようになる様がそれこそ一本のアニメのように描かれていて、綺麗に伏線回収されていくのが一オタクとして胸熱でした…。

 なんか全然毛色の違う、はじまりも終わりも全く異なる映画を連続で見たせいでごちゃついています。ただ どちらの作品も最後 主人公の笑顔で幕が閉じられるという点で共通していて、ハッピーエンドであってもそうじゃなくても、ラストシーンの笑顔だけで「良い映画だった」と思う。胸にしこりは残るままあみ子の生活は続いてゆくし、これからも瞳ちゃんはアニメを作り続ける。そのはじまりが笑顔だったらなんかもうそれだけでやっていけそうな、やっていってくれそうな気がする。映画はただその人の一部を切り取ったに過ぎないので、その映画自体が完結したとてその人の物語は続いてゆく。わたしは「これから」を想像する余地を残してくれる映画が好きです。あー映画がすきだーわたしだって誰かにこんな思いを残せたらいいのに!そんなふうにしてぼちぼち生きてゆきます。

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