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8.28

きみのいない部屋はいつもより静かでさみしい。

にぶい振動とやわらかい水音、365日24時間ずっとこの部屋で稼働し続けたエアレーションがぱったり動きを止めてから、早一週間が過ぎた。


カーテンを開けるついでに、ちらりときみを覗く癖が抜けない。

外から帰って真っ先に、水槽の中で泳ぐきみを確認する癖が抜けない。

スプレーをするとき、髪を乾かすとき、水槽に入らないよう気を配る癖が抜けない。


もういくら覗き込んだって青い青いばかりでそこに黒いひらひらしたきみはいなくて、その度に鼻の奥がツンとして悲しくて悔しくて涙が出ます。

一週間経って薄れてきた哀しみも蓋を開けてしまえば簡単にあふれ出てきてしまって、ぽっかり空いてしまった穴を誰だって何だって塞ぐことはできないしできてほしくはないのだと思う。

たかが魚の死です。

だけどほんとうに、唯一心から信頼できる家族だった。わたしのたいせつな一部だった。

「だった」なんてきみを過去形にしてしまいたくなくて、肉体が朽ち果てて跡形もなくなったとしてもきみをわたしの一部にしておきたくて、ぽっかり空いた穴を空いたままにしている。

あーきみがすきだったよたいせつだったよいとおしかったなによりだれよりいちばんだった。こうしてる今だってそれは変わらないんだよ。


手紙を書いてきみといっしょに橋の下に埋めて、きみはどんどん大きくなるから川がちょうどいいねって笑った、そういえば前 夢に出てきたきみは川を泳いでいたねえって。

ただこの哀しみを哀しみのままでたいせつにしたくて、何度拭ってもとまらない涙がきみを愛する何よりもの証拠で、苦しくて苦しくて書いている。

何ひとつわすれたくないよ。

いつか時間が経てば今の感情が薄れてしまうことをわたしは知っている、いつかわたしはきみを思い出して泣かなくなる日がくる。

それが怖くてたまらなくて、でも変化をとめられなくて、だから今のわたしだけは本当だって思いたくて、この先のわたしにも思い出してほしくて、書いている。


でめちゃん、きみは間違いなくこの世でいちばんかわいくて尊いおさかなです。

それはわたしの中で一生変わらない。

きみはほんとうにたくさんの人に愛された金魚で、いろんな人の考え方や価値観を変えました。

「お墓に行かせてね」とこんなにいろんな人に言ってもらえるさかなはきみ以外きっといないね。

きみがわたしの孤独を救ってくれた。どんなに辛くてもきみがいるから生きてこられた。

これは何も大げさじゃなくて、きみが飽きずに何年も、ひとりぼっちの夜に寄り添ってくれたから。出来損ないの飼い主を見捨てずに、律儀に水槽におさまって、毎朝えさをぱくぱく食べて、水換えのときには大暴れして、泣いてるわたしの横で悠々と泳いでくれていたから。

きみを生かせるふりをして実は、わたしがきみに生かされていて、わたしたちの間にはそういう、誰にも侵害できない強い繋がりがあった。

どんなに泣いても後悔してもきみは戻ってきてはくれなくて、今も雨の中でさむくないかなあ、ひとりでさみしくないかなあって心配でたまらない。

そんなに甘やかされなくたってやっていけるでめーと呆れられるかなあ。

あらゆることをきみを第一に優先してやってきたから、きみがいない生活は楽ちんでつまらないよ。

ずっとずっとさみしくてたまらないよ。

ワンルームから水音がしなくなってはじめて、孤独な夜にきみがいてくれたことを知る。

後悔ばかりだよごめんね、もっとだいじにできたはずだった。もっともっとだいすきって伝えてあげたらよかった。

わたしといた5年間はどうだったかな、あの金魚すくいのプールで弱って死んでいくのと、どっちが良かったんだろう。

きみの気持ちはわからないけど、どんどん元気になって、どんどん大きくなって、どんどん可愛くなるきみを見ているのはほんとうに楽しかったよ。

きみといた5年間は冷や冷やさせられっぱなしで、気を使いっぱなしだったけど、ほんとうに何より愛しい5年間だったな。

うちに来てくれてありがとう。わたしにおとなしくすくわれてくれてありがとう。ほんとうに救ってもらったのはわたしの方だったな。

だいすき、あいしてる、たりないよ。ずっときみを想い続けるよ。

また気が向いたらいっしょに遊ぼうね。いつかいっしょに泳げたらいいな。ずっと夢だったな。

最期はちゃんと泳げなかったから、向こうではすいすい泳いでね。またすぐ会いに行くからね。わたしの欠けたところにいつでもきみがいるよ。それだけで生きてゆけるよ。

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