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心酔

愛されたいとわんわん泣いていたのにいざ愛されると鬱陶しくなって一体全体何がしたいんだ?人間ってわたしってなんてややこしいの。ふわふわにくるまれて同化してしまえたらと願っていたのに、そんな生ぬるいとこ死んでもいてやるかと思う。一刻だって同じわたしでいられない。結局のところわたしなんて存在しないんじゃないかと焦っている。

「人はひとりで生まれてひとりで死ぬ」という言葉にぶん殴られた幼少期を思い出す。生まれてはじめてわたしに強い衝撃を与えたのがこの言葉で、急に真っ暗な穴に落っことされたような心細さに苛まれて息ができなくなった。周りに人がいたってずっと孤独だったわたしの「これまで」が、この言葉のせいで「これからも」に変換されてしまった。一時期のわたしは確かに孤独じゃなくて彼と融合できていたけれど、そんなものはひとつも確かじゃなかった。誰かといても結局のところひとりとひとりにしかなりきれない、それがわたしたちにとって何より確かな絶望です。

とはいえ孤独は絶望でありながらまた、救いでもある。ここにわたしの孤独への執着がある。人に近づいて、人に心酔して、そうやって嫌な側面が見える前に離れる。そのようにしてわたしは自分の心に砦を作って、人を嫌わないよう人に嫌われないよう努めてきた。誰かに丸ごと愛されるとか、誰かを丸ごと愛すとか、嫌で嫌でたまらないんです。表面上だけ見て知った気でいてよ、奥底まで覗かないでよ、わたしあなたを好きでいたいから。思えば「尊敬」なんてたぶんしたことがなくて、誰かを深く知りたいなんて思ったことがない気がする。好きなように愛していたいし好きなように愛されていたい。全部ふんわりしたところでなあなあに愛して、やんわりと拒絶していたい。

ここまでわかっているのにどうにも改めることができないし、かといって「ふつうのしあわせ」を求めることもやめられなくて、人を傷つけてばかりいる。だれにだって愛されたい一方でだれにだって愛してほしくなくて、だれだって愛さずにいられたらいいと思う。孤独に殺されては生かされる。なんだってこんな気色の悪い人間なのだ!己の弱さを認めてからもう何年か経つのに距離を置く癖は治らない。そんなふうに生きていくしかないのにやっぱり、死ぬ間際にだれかがいてくれたらと思う。当たり前のしあわせから一番遠いところから、当たり前のしあわせに憧れている。

粗悪なアルコールとニコチンが喉と頭を燃やしてやがて死ぬ。死ぬときくらいどうかひとりでいさせてください。わたしひとりが死ぬほど怖いんですけど。

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