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「量子のもつれ」ばなし5(祝:ノーベル物理学賞受賞)

前回の続きで「量子もつれ」の歴史をお届けしており、今回が最終回になります。
※タイトル画像Credit:ノーベル財団

存在確率を採用した量子力学支持者に対して、決定論者であるアインシュタイン氏やボーム氏の反論は、当時既にその理論を応用した研究が盛んだったこともあり、大局を変えるには至りませんでした。
例えば、コンピュータ演算で使われる半導体は、量子力学によって導かれるトンネル効果によってその効果を発揮しています。

勝負はついたかに見えた時代背景をよそに、ボーム氏たちが提唱した抽象的な思考実験でなく、実証可能なアイデアを提唱した科学者が登場します。

当時CERNで勤務していたジョン・スチュアート・ベルです。

元々エンジニアでしたが、後年理論物理学の才能も高く評価されました。量子物理学の専門家ではなく、どちらかというと個人の嗜好で研究を進めていました。
そしてついに、ボーム氏の考え方を実験で評価できるアイデアを1964年に提唱し、その判別式を「ベルの不等式」と呼びます。
既にこのころには、ボーア氏やアインシュタイン氏など、初期の量子力学の概念に関わった当事者たちはこの世を去っています。

ようは、隠れた変数がある(決定論である)と仮定したときとそうでないときの相関度は違った値をとり、それを数値評価できるようにしました。
シンプルに言うと、もし不等式が破れれば、アインシュタイン氏たちが支持する実存性はない、と断定できます。

ベルの実用への道を拓いた論文を受けて、ジョン・クラウザーたちがその実験を試みて、「ベルの不等式が破れた」、つまり実存性がないことを1974年の論文で証明しました。この証明で編み出された方法は、他の方々との頭文字をとってCHSH不等式と呼ばれます。

そして、アラン・アスペが、1980年代に上記の実験をさらに強固なものにすることに成功します。

1990年代に入ると、アントン・ザイリンガーが、レーザーを使った新しい実験を行うことで、ベルの考え方をさらに進化させ、今でいう「量子テレポーテーション」を発明(繰り返しですが、語感とはやや異なります)して、研究者がこぞって集まり現代に至ります。

流れを意識して、各人の詳細な業績はあえて省きました。

タイムリーな話ですが、これを執筆中にこの3名がノーベル物理学賞を受賞したニュースが飛び込んできました。もちろんこの「量子もつれ実証実験」の業績が主な理由です。


これでついに、長年続いた思考実験(哲学論争にも近い)が、ついにリアルな実験結果で評価が下されたことになります。
アインシュタイン氏の唱えた「隠れた変数」はないことはほぼ証明されましたが、それは同時にどんなに離れていても相関する「量子もつれ」を認めることにもつながりました。
ですので、当初はEPRパラドックスと呼ばれたものは、今は「EPR相関」ということも多いです。

最後にふれた、量子もつれが実験室で簡単に表現できるようになってからは、過去にも投稿したように、目覚ましい研究成果が発表されています。

今回のシリーズは、今盛り上がりを見せている「量子情報科学(または量子情報理論)」にいたるまでに、いかに過去の先人がこの「量子もつれ」という不思議な現象に、頭と人間関係を悩ましてきたのかという流れを中心に書きました。
紙面の都合上、今回の話で割愛せざるを得なかった偉人は、ジョン・フォン・ノイマン(隠れた変数がないことを数学で証明)やポール・ディラック(特殊相対性理論と量子力学の融合)をはじめとして多数います。

念のために添えておくと、あくまで科学論争であって、仮説の主張が異なることで人間関係を断つということはありませんでした。

ベルが示した実学への道以降は、あまり初期の哲学論争に近い議論は見なくなりましたが、まだ原理のところですっきりとしているかというとモヤモヤは残っていると思います。

おそらくは、当面量子通信分野では工学上の成果が先立つと思いますが、ボーム氏やベル氏が当時の常識に逆らったのがきっかけだった、というのは忘れてはいけない歴史的事実だと思います。

アインシュタインも相対性理論でそうだったように、時代を大きく変えるのは、常識にとらわれない発想と勇気を持った挑戦者であることを改めて痛感させられます。

ぜひ「量子もつれ」に興味を持った方は、下記の参考書籍を覗いてみてください。

<主な参考リソース>

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