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「量子のもつれ」ばなし4

前回の話の続きです。

前回のあらすじです。
ボーア氏をはじめとするコペンハーゲン派閥によって、量子力学は決定論でなく測定するまでは確率的にしか分からない、という解釈が優勢となりました。

それに対して、いやいやまだ見つかっていない「隠れた変数」で決定論的に表現できると抗う専門家もおり、その筆頭はアインシュタイン氏です。

前回は主に1920年代後半のボーア/アインシュタイン論争にふれましたが、1930年代になると、純粋な科学論争どころではなくなってきます。
ヒットラー率いるナチス党が政権を握ることで、党の方針に沿わない専門家にも危機が脅かされます。

以前アインシュタイン氏の歴史でもそのあたりはふれたので、詳細は割愛しますが、ついにアメリカへ移住することを決断します。(生涯そこで暮らします)

そして、移住先で知り合った若手研究者ボリス・ポドルスキーとネイサン・ローゼンと一緒に、過去にも突っ込んだ矛盾を精緻化して提示します。
これは、3人の頭文字をとってEPRパラドックスと呼ばれます。

超ざっくりと趣旨を説明します。(当初論文は、他の方が分かりやすくバージョンアップしており、今回も分かりやすさ重視でそれを意識)

2つの粒子があって、1つがスピン(以前にパウリが唱えた量子情報)が上と測定出来たとすると、コペンハーゲン派閥の主張では「同時に」もう片方が下のスピン(エネルギー保存則で決定)と決定されることになります。
では、その2つの粒子の距離が数光年離れていたとしたらその情報伝達が光の速さを超える、つまり特殊相対性理論に反する。
なので、別の隠れた変数があるのである、というロジックです
ようは、光速すら超える「不気味な遠隔作用」を突いたわけですね。

この論文を喜んだのは、あの量子力学で普及した方程式を考案したシュレディンガー氏です。

意外に思うかもしれませんが、元々彼はド・ブロイ氏の物質波を説明するために方程式をつくっただけで、ボルンによる存在確率という解釈については支持していませんでした。
アインシュタイン氏同様、実存へのこだわりがあったうちの一人です。
そして、彼が歴史的に初めて、いかなる遠隔地でも繋がる量子の奇妙な性質を「量子もつれ(Entanglement)」と名付けました。

あの有名な「シュレンディンガーの猫」もこの時期に彼が考案し(有名すぎるので本文では割愛)、それはコペンハーゲン派閥が言っていることがいかに奇妙であるかを指摘したい、という意図でした。
今の使われ方は、どちらかといえば量子力学に興味を引かせるたとえ話で使われますね。方程式同様本人にとっては不本意だったと思います。

ただ、EPRパラドックスに対するボーア氏の反応は、思ったより淡泊でした。
要は、仮定においた観測の仕方の問題で、別々の粒子スピンを計測するのではなく、全体を計測する系とみるというもので、議論はヒートアップはしませんでした。

実在論者として、アインシュタイン氏・シュレディンガー氏・ド・ブロイ氏が有名ですが、歴史に隠れたもう一人の有名人がいます。

ディビット・ボームという科学者です。

原爆の父で有名なオッペンハイマー氏の下で研究し、アインシュタイン氏と同じプリンキトン研究所に勤めていた一級の科学者でした。
オッペンハイマー氏の悲劇的な人生については、過去も投稿したのでここでは割愛します。

第二次大戦後に起こった赤狩りでオッペンハイマー氏と絡めて疑惑をかけられて、アメリカを国外追放(に等しい)に遭った悲劇の科学者です。
※タイトル画像は代表的な実存派たち(Credit:Wiki)


1940年代以降になると、量子力学に基づく実験事実が理論に合致することから、(コペンハーゲン派閥が確立したとされる)確率による存在予測(非実在論)を表す量子力学の原理的な解釈に首を突っ込む研究者は少なくなっていました。

そんな中でボーム氏は、ド・ブロイ氏が以前から提唱していた概念を発展させます。(おそらく異国の地で達観の境地となり、直近の実践的成果よりも世界を変える思い切った基礎研究をやろうとしたのかもしれません)
ψ場という粒子を先導(Pilot)する波が実はあり(ここはド・ブロイ氏の説。但し本人は知らなかったといわれています)、さらにそこには「量子ポテンシャル」という場がある、という解釈です。

勿論実存派は支持しましたが、あいにくボームの研究を拾って議論を深める研究者はそれ以上現れず、10年以上の時間がたちます。

そしてついに、「量子もつれ」の最終コーナーへとつなぐ、運命の研究者にバトン(または運命のもつれ)が渡されることになります。

<主な参考リソース>

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