妄想録 何を言うかより誰が言うか

友人とサイクリングをしていたら、第一京浜沿いにある刑場跡を通りかかった。
江戸時代、ここで数多の罪人が処刑されたようだが、立て看板になんとも憤懣やるかたない坊さんの思いがしたためてあった。

卋相(※1)正に紊乱(※2)し老若共に礼節を忘れ歴史探訪と称して集い来る人々、
当地が多くの受刑者眠る霊地たるを弁えず。
物見遊山のごとき有り様嘆かわしき限りなり。
心有らば合掌して受刑諸霊の冥福を祈るべし。
可借(※3)惰眠を貪りて時を失う事なかれ。
卋に奉仕して恩に報ぜよ。
今日行ぜずして明日の生命をたれか保証するか。
諸行無常は卋の理。時は、正に生命なり。

鈴ヶ森刑場跡護持
大径寺 小住(※4)

※1:「世」の旧字体
※2:《びんらん》秩序・風紀が乱れること 
※3:《あたら》残念なことに
※4:住職の卑称(謙譲語)

刑場の歴史もさることながら、この文章も相当昔に書かれたようで、半紙は日焼けしている。
端的に言えば「ここは観光地じゃないから。霊前だからはしゃぐんじゃないよ」というメッセージだ。
けれど、言葉遣いや文章がどうも昔っぽく堅苦しくて頭に入ってこない。


今風の言葉遣いにしたらどうだろうか。


いやマジ、最近の連中マジでヤベーって。
インスタ映えとかデートとか言ってるけどさ、ここいろんなヤンチャした奴が死んでるとこだよ?
そういうノリサムイから。マジダサい。
イケてる奴なら手え合わせるよ。
ここ来てもワンチャンとかマジないから。
親とか絆とか仲間に感謝しようや。
もうちょっと成長しろよ。
あ、俺?俺は昔ヤンチャしてたけどさ、今は仲間とか親に超感謝してるよ。
先輩がタイムイズマネーとか言ってた。
英語できるとかマジかっけえ。


反感を買ってしまいそうだ。
もう少し知性を感じられる、もとい、意識の高い文章にしてみよう。


昨今のコンプライアンス意識の低下や、ガバナンスの乱れを私は課題として認識しています。
企業間の過当競争によって、価格競争に陥っていること、そして何より慰霊のためのビジネスであるという意識が希薄化しています。
収益最大化にプライオリティが割かれているあまり、ステークホルダーに対する本当の価値が提供できていません。
そういった事業環境だからこそ、第一に顧客に対する品質を保証すべきだというコンセンサスが必要です。
また、この業界はスピード感が求められる分野なので、PDCAを現場単位で回してアジャイル開発ができるように事業スキームを制定いたしました。
変化のめまぐるしい事業だからこそ、顧客に常に寄り添ったバリュー提供こそ当社の強みだと考えています。


それっぽいけれど、こんな話じゃ誰もついてこないだろう。
もっと有無を言わさない、やんごとないお気持ちが必要かもしれない。


戦後70年という大きな節目を過ぎ、今年は、平成31年を迎えます。
私は、我が国における多くの喜びの時、また悲しみの時を、人々と共に過ごしてきました。
私はこれまで、何よりもまず国民の安寧と幸せを祈ることを大切に考えて来ましたが、同時に、時として人々の傍らに立ち、その声に耳を傾け、思いに寄り添うことも大切なことと考えて来ました。
しかし、社会が停滞し、深刻な状態に立ち至った場合、これまでにも見られたように、国民の暮らしにも様々な影響が及ぶことが懸念されます。
非常に厳しい状況下に置かれざるを得ません。
こうした事態を避けることは出来ないものだろうかとの思いが、胸に去来することもあります。
このたび我が国の長い歴史を改めて振り返りつつ、これからもどのような時にも国民と共にあり、相たずさえてこの国の未来を築いていけるよう、そして務めが常に途切れることなく、安定的に続いていくことをひとえに念じ、ここに私の気持ちをお話しいたしました。
始めにも述べましたように、私がこの認識をもって、国民を思い、国民のために祈るという務めを、人々への深い信頼と敬愛をもってなし得たことは、幸せなことでした。
国民の理解を得られることを、切に願っています。


反論はまず許されないだろうが、話の趣旨がてんで分からなくなってしまった。


しかしながら、結局のところ坊さんは何が言いたかったのだろうか。
はしゃぐのは別としても、参拝者がいないことには寺といえども首が回らなくなるだろう。

そう思いつつ、看板の下に目をやった。

すると、『浄財』と書かれた賽銭箱。

なんだ、お金が欲しいならはじめからそう言えばいいのに。

してやられたな、そう思いつつ100円を入れて、僕たちはまた自転車に乗った。

ああもう読んでくれただけで嬉しいです。 最後まで見てくださってありがとうございました!