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欺き続けた男が女を信じるまで 伊丹十三「マルサの女」

脚本・監督:
伊丹十三

出演:
宮本信子
山﨑努
津川雅彦
橋爪功
大地康雄
佐藤B作
室田日出男
桜金造
マッハ文朱
志水季里子
杉山とく子
伊東四朗
大滝秀治
芦田伸介
小林桂樹
小沢栄太郎
岡田茉莉子

「午前十時の映画祭」という往年の名作をスクリーンにかける好企画で、「レナードの朝」と「お葬式」を見た。

「お葬式」はもともとあまり好きではなく、久しぶりに見直しても「初めてお葬式を開くことになった夫婦のドタバタコメディ」という以上には感じなかったが、以前は同様に「税務署員、国税局査察官もの」という位置付けでしかなかった「マルサの女」を見直したら、非常に深い感銘を受けた。

以下、ネタバレあり。

最初に涙ぐんだのは、権藤(山﨑努)の一人息子・太郎が父と喧嘩して家を飛び出し、線路の前に佇むところを亮子(宮本信子)が追いかけて捕まえるシーン。

太郎に自殺する意図はなかったのだが、たまたまいつも助けてくれる人に連絡がつかなくて衝動的に死んでしまうことってあるよなぁ、もし連絡がついてたら死ななかった命もたくさんあるだろうになぁと思ったのだ。

これなんかは先月あたりに死にたくなったので気持ちがシンクロしての涙だったが、ラストシーンはぐっと来た。

完全に忘れていたが、「権藤さん、いつまで頑張るつもりですか。もう終わりにしましょうよ。太郎くんにはお父さんの頑張りはちゃんと伝わってますよ(要旨。以下同様)」と亮子に言われ、権藤はポケットナイフで人差し指を切り、胸元から出した亮子の忘れ物であるハンカチーフに血文字で3億の隠し金の貸金庫の番号を書いて渡す。

あまりにも劇的すぎる演出。その直前に権藤は「あんた、俺のとこ来ないか?」と亮子を誘っている。

それは頭の悪い愛人(松居一代)に対する誘いとは異なり、同志に対する敬意すら感じた。

しかし、亮子は首を振る。

血文字は金と欲にまみれてきた権藤が初めて受けた心の傷のように見えた。

亮子が言うように、脱税王の彼にも「いいところ」はあるのだ。

権藤の純情が流した血の涙のようだった。

この映画、脱税しておいて逆ギレする人がたくさん出てくるが、若い世代には「悪いことしておいて逆ギレ草」と冷笑されるのではないかと思った。

当時としては最先端の技術や知識を駆使した「ミッション・インポッシブル」的なストーリーではあるが、いかんせん隔世の感。

携帯電話は大型スーツケースに付属してるし、全てが紙のデータ。
若い人からすれば時代劇を見てる感覚なのではないか。
伊丹十三は社会風俗を巧みに活写するが、社会科の教材として使われる日も遠くないだろう。

昔は伊丹十三の映画をよくテレビでやったものだが、最近はまったくやらなくなった。

「マルサの女」も「お葬式」も「タンポポ」もおっぱいがまるごと出てくる。
伊丹十三は「性」は「生」を描くには欠かせないと思っていたのだろう。

「タンポポ」をテレビで見たときは「こいつは競艇キチガイ」というセリフが「こいつは競艇(無音)」になっていて思わず笑ってしまったが、役所広司と黒田福美のシーンがゴールデンタイムの地上波で放送されていたのだから驚くしかない。

昔は「トゥナイト」や「ギルガメッシュないと」というお色気深夜番組もやっていて、親の目を盗んで夜更かしして見ていたのが懐かしい😅💦

今日の「マルサの女」はほとんど笑いが起きていなかった(「お葬式」の方が笑いが起きていた)。
「マルサのジャック・ニコルソンですから(大地康雄のこと)」とか笑えるセリフはわりと散りばめられてると思うのだが、時代背景が違いすぎて初見の人は度肝を抜かれたのではないか。

どでかいポップコーンのカップを持って入ってきた人が数人いたので静かなシーンでボリボリされたらかなわんなと思ったが、実際はそんなことはなく、音の面で嫌な思いはしなかった。
近くにいた若い男性は画面に集中しすぎてポップコーンの大半を食べ残していた。伊丹さんすごいね😆

伊丹十三が死んだときはショックだった。当時私は新聞販売員をしていて、朝に出勤したらスポーツ新聞の一面で彼の死を知ったのだった。
ロビン・ウィリアムズも自死だから、大好きな映画人を二人も自死で失ったことになる。

今日「マルサの女」を見ていて、これは一種のバディ(相棒)ものだなと思った。

上司の花村(津川雅彦)との、ではなく、権藤とのである。

権藤は亮子の敵ではあるが、分かり合える部分もある。
権藤の人物像の複雑さはさすが伊丹十三。絵に描いたような悪人ではない。

美輪明宏の舞台「黒蜥蜴」(江戸川乱歩原作・三島由紀夫脚本)でも、女盗賊黒蜥蜴と名探偵明智小五郎は敵同士でありながら惹かれ合う。
権藤と亮子の関係もそれに似たものを感じた。

恋愛でも体の関係でもないけど、男と女の深い関係。魂の深い結びつき。

だからこそ権藤は「俺のとこ来ないか?」と亮子を誘ったのだろうし、それは女遊びの激しい彼にしてはあまりにもストレートな口説き文句だった。

裏切りや騙し合いばかりの映画の最後で、権藤は亮子にだけ打ち明け話をする。
権藤の妻の光子(岡田茉莉子)が花村(津川雅彦)だけを呼び出して貸金庫の鍵を渡したように。

「この人になら話せる」という感覚は支援を受けていても感じる。
資格の問題ではない。最後にものを言うのは人格や人柄である。

周囲を欺き続けてきた男が最後に淡い純情を垣間見せ、目の前の女を信じて隠し金の在処を教える。

人を信じる、信じられるまでの過程を伊丹十三は描きたかったのではないかと私は思った。

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