マガジンのカバー画像

芥川龍之介論2.0

1,023
運営しているクリエイター

2023年2月の記事一覧

芥川龍之介の『奇怪な再会』をどう読むか⑦ 何の仕返し?

芥川龍之介の『奇怪な再会』をどう読むか⑦ 何の仕返し?

 よしそこまでは解った。

 解ったけれども今一つ釈然としない。

 まだ「読んだ」とは言い難い。それは、

①お蓮は日本に売られてきて買い手である牧野を憎んでいたのか?
②金さんは何故ずっとお蓮の気持ちの中に留まっていたのか?
③果たして婆さんからの伝聞、Kの話だけで話が構成可能なのか?
④「私」≒書き手≒芥川龍之介でいいのか?
⑤東京が森になるという幻想の意味は何か?
⑥支那服の下着はどうなっ

もっとみる
芥川龍之介の『奇怪な再会』をどう読むか⑤ で、肝は?

芥川龍之介の『奇怪な再会』をどう読むか⑤ で、肝は?

 なんとなく構成は解ってきた。ふりと落ちも何となく解ってきた。段々「読んだ」感覚に近づきつつある。しかしまだ「読んだ」とは言えない。まだ肝が分からないからだ。

 改めて読み直してみると、やはり『奇怪な再会』は奇怪な話だ。昨日ようやく「私」の立ち位置が見えて、これが実は一人称の小説なのに三人称の小説のように見せかけられていて、お婆さんからKへの伝聞が基礎になった話だというところまでは分かった。

もっとみる
芥川龍之介の『奇怪な再会』をどう読むか④ 「私」って誰?

芥川龍之介の『奇怪な再会』をどう読むか④ 「私」って誰?

 優れた作家の作品と云うものは二回読ませる力を持っている。というのは嘘で、大昔ある大手出版社の編集者は「小説は一回しか読まれません」と断言した。多分その時私が「二回読ませる小説を書きたいんですよね」みたいなことを言ったからだと思う。しかしその直ぐ後くらいに平野啓一郎さんの『日蝕』が出て、あれっと思ったんじゃないかとおもう。多分『構造と力』と『ゲーデル、エッシャー、バッハ』は購入者の半分も読んでいな

もっとみる
芥川龍之介の『奇怪な再会』をどう読むか③ 本当にあったこと?

芥川龍之介の『奇怪な再会』をどう読むか③ 本当にあったこと?

白い犬と金さん

 明治二十八年四月、お蓮が本所の横網に囲われる半年ほど前に下関条約が締結され、清国と日本は講和している。つまり帝国軍人が清国で拵えた妾を日本に持ち帰ることも可能は可能だったのではないかと考えられる。つまり小説の中の設定として山東半島の先端にある妓館で支那服を着て客を取っていたお蓮が実際に神戸に運ばれたことは「あったこと」だと認めても良いかもしれない。

 しかしいかにご執心とは言

もっとみる
芥川龍之介の『奇怪な再会』をどう読むか② 脳はそんなところは見せなかった

芥川龍之介の『奇怪な再会』をどう読むか② 脳はそんなところは見せなかった

 それにしても意識なんて実はそんなに大したことは無いんじゃないかと思う。近代文学であろうが、クラシック音楽であろうが、人間が大脳で作り出したものごとは全部ひっくるめても、一つの生命にはかなうまい。いくら大天才でも、ここで小脳から何とかホルモンを出しておくか、と生命維持に関わる仕事はできない。それは小脳任せで、大脳で命にかかわらない勝手なことを考えているだけだ。
 大抵の猫は人間より馬鹿だが、そんな

もっとみる
芥川龍之介の『奇怪な再会』をどう読むか① それはやってはならないこと

芥川龍之介の『奇怪な再会』をどう読むか① それはやってはならないこと

 何か自分で物を書こうとした人間なら誰しも、即座に気が付くことがある。

 この話は少し長いのでじっくりやろう。
 まずタイトルがおかしい。
 芥川龍之介の小説のタイトルは短く簡潔で一文字のものも多い。その芥川の流儀からしても、話の枕としても「奇怪な」は余計だ。これで「奇怪」でなければなんだということになるし、「奇怪」であればあったでそりゃそうだろうということになる。これから面白い話をしますよと言

もっとみる
芥川龍之介の『片恋』をどう読むか① それはつまらない話だ

芥川龍之介の『片恋』をどう読むか① それはつまらない話だ

 ところで君、何故「Y」などと云うのかね?

 おそらく『片恋』を読んだ百人が百人、そう思うはずである。新橋は新橋、品川は品川、日本橋は日本橋なのに何故そこは「Y」なのか。

 この問題はこれまでどのように研究されてきただろうか。

 この作法は夏目漱石の、

 この「K」の作法と同じものだろう。この「K」は鎌倉なのか北鎌倉なのか釈然としないし、件の「Y」は横浜なのか横須賀なのか判然としない。何故

もっとみる
芥川龍之介の『河童』をどう読むか⑱ 電話帳でもどうぞ 

芥川龍之介の『河童』をどう読むか⑱ 電話帳でもどうぞ 



 実は私がやっていることもこれと同じことなのではないかと疑う。近代文学が私にしか読むことのできないものであり、これまで誰一人読んでこなかったにもかかわらず、現にここにあり、私だけが読むことができる事、その如何にもいかがわしいからくりは、実はこの電話帳だったのではなかろうか。

 つまり夏目漱石や芥川龍之介はひたすら電話帳を書き続けていて、それが頭の可笑しい人間には小説に見えるというわけだ。

もっとみる
芥川龍之介の『お富の貞操』をどう読むか① 解るということはどういうことか

芥川龍之介の『お富の貞操』をどう読むか① 解るということはどういうことか

 案外こんなことが解らないのではなかろうか。そういうことを書いてみる。

 これまでの常識を覆す最新科学による新常識のような話が嫌いではない。ただそういうものを見聞きする都度、そのもっと先の所をある種の作家たちは解っていたのではないかと疑うことがある。

 例えば夏目漱石の『それから』にはフロイト的ではない、フロイトよりもずっと先の意識と無意識と脳の関係、さらには腸内フローラが人間の感情に与える影

もっとみる
芥川龍之介の『河童』をどう読むか⑲ 何故身の毛がよだつのか?

芥川龍之介の『河童』をどう読むか⑲ 何故身の毛がよだつのか?

 夏目漱石の小説を読んでいて気が付いたことに「どういう了見か」などという形で書いてあるところで、「どういう了見か」と考えてみると、これまで解らなかったことが見えてきて、筋がつながるということがある。文章読本として知られている本は全て読んできて、小説に関する様々な作法の本も読んできたが、小説とは何かを書かないと決めてそれを隠しながら書くものだ、とはどこにも書かれていなかったと思う。勿論ミステリー小説

もっとみる
芥川龍之介の『河童』をどう読むか⑭ 第七の龕の中にあるのは……

芥川龍之介の『河童』をどう読むか⑭ 第七の龕の中にあるのは……

 

第七の龕の中にあるのは……

 どうも「書いてあることを読む」「書かれていないことを付け足さない」と書いてしまうと、「狭い読み方」と勘違いされるんではないかとも思う。たとえば「書いてあることを読む」「書かれていないことを付け足さない」とは「私は海へはいるたびにその茶屋へ一切を脱ぎ棄てる事にしていた」とあるのに、勝手に海水パンツをはかせないということだ。それでは「海水着を持たない私」を読んでい

もっとみる
芥川龍之介の『河童』をどう読むか⑬ 「僕」を憂鬱にさせたもの

芥川龍之介の『河童』をどう読むか⑬ 「僕」を憂鬱にさせたもの

 小宮豊隆、江藤淳、柄谷行人が言うところの「一郎の三択」などは実際には存在しなくて、そもそも一択だったという話は繰り返し書いて来た。これはもう好き嫌いとか良し悪しの話ではなく、単純に文章読解の話なので納得してもらうよりない。

 しかし案外こういうことが出来ていない。「こういうこと」とは例えば『こころ』における話者「私」の立ち位置を捉えることであったり、

 例えば『あばばばば』において、妊娠時期

もっとみる
芥川龍之介の『河童』をどう読むか⑫ 流し読みしていない?

芥川龍之介の『河童』をどう読むか⑫ 流し読みしていない?

 私はこれまで、小説を作家の告白と見做すことは無意味だと書き続けて来た。また芥川の小説を身辺雑記と見做すような吉田精一の「解説」など読解力不足からくる誤解に過ぎないと書いて来た。(書いて来たかな? 多分書いたと思う。それから国税局の配当計算シートのエクセルを作った奴はとんでもなく頭が悪いと書いて来た。何故なら所得額から税額を自動計算して間違っているとエラーメッセージを出す仕掛けなのに、所得額を入力

もっとみる
芥川龍之介の『河童』をどう読むか⑪ それはラップだろう

芥川龍之介の『河童』をどう読むか⑪ それはラップだろう

 

それはラップだろう

 第二十三号は「捕獲された人間のうち食用に適さない者」ではないかと書いた。そうでなければ何故バッグが漁夫なのか分からないと。そしてバッグに黴毒を与えなかったのは、精神病を遺伝性疾患だと念押しするためだとも書いた。(書いたかな? そんなこと。) そして第二十三号は獺の肉だけではなく人間の肉も食べていたのではないかと書いた。(それはまだ書いていないな。今書いた。)

 しか

もっとみる