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芥川龍之介の『奇怪な再会』をどう読むか③ 本当にあったこと?

白い犬と金さん

 明治二十八年四月、お蓮が本所の横網に囲われる半年ほど前に下関条約が締結され、清国と日本は講和している。つまり帝国軍人が清国で拵えた妾を日本に持ち帰ることも可能は可能だったのではないかと考えられる。つまり小説の中の設定として山東半島の先端にある妓館で支那服を着て客を取っていたお蓮が実際に神戸に運ばれたことは「あったこと」だと認めても良いかもしれない。

 しかしいかにご執心とは言え、猫の子でもあるまいに勝手にさらってくるというわけにもいくまい。よくもまあ、お蓮も異国の地で妾になることにしたものだ。その辺りの駆け引きは詳細には書かれていないものの、「人間の密輸入」と書かれているからには違法な手続きであったことは間違いない。どこでどう日本語を覚えたのかは不確かながら、適当なタイミングで逃げ出すことも出来たろうに。

 そして密輸入されたお蓮がK脳病院の患者になるには、本当に大雑把な話だが最早牧野の手に負えぬような状態をもたらす事件を経てのことだと思われる。より具体的に言えば、既に剃刀の前振りがあることからお蓮が牧野を殺すことによって、それでもかなり早いが、K脳病院のお世話にならざるを得なくなったのではないかと考えた。

 無理にそう読まなくてもいいのだけれど、何か事件でもないと一日や二日でK脳病院の患者になることはあるまい。何しろ牧野の本妻は明らかに可笑しなことを言っているのに脳病院のお世話にはなっていないのだから。大抵の人は少しずつおかしいが、脳病院のお世話になる人というものはごく限られている。

 よく知られているように精神病院や脳病院は治療を目的とせず、「異常者」を社会から隔離する装置として機能してきた。つまり社会から見て危険な者を閉じ込める場所でもあった。だから現代ではやや偏見じみた言い方にはなるが、牧野の本妻はおかしいけれども社会が許容できる範囲の狂人、そしてお蓮は完全にあちら側に行ってしまった人と見るべきだろう。

 そして明確ではないが最後の所で牧野の存在感は失せている。誰かがKに質問しているところも事件性・話題性を感じさせる。『河童』で言えば、「河童の国で生活していたという詳細な記憶を語る珍しい患者がいる」という話題性があり、誰かが話を聞きに来たという設定なのだろう。『奇怪な再会』の場合も「清国から密輸入された好縹緻による帝国軍人殺傷事件発生。剃刀で顔がズタズタ」とでも書いて話題にしたい記者がやってきて、大昔の個人情報保護もコンプライアンスも何もない脳病院の委員長が患者のプライバシーをおしゃべりしているという設定なのだろう。

 と、ここまでは小説の設定ながら、小説の中では事実として捉えられそうなところを書いて来た。

 あるいは実物の金さんが現れる場面は全て幻想であろう。

 問題はその中間で、どうも白い犬と金さんの関係がよく分からない。

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