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芥川龍之介の『片恋』をどう読むか① それはつまらない話だ

(一しょに大学を出た親しい友だちの一人に、ある夏の午後京浜電車の中で遇ったら、こんな話を聞かせられた。)
 この間、社の用でYへ行った時の話だ。向うで宴会を開いて、僕を招待してくれた事がある。何しろYの事だから、床の間には石版摺りの乃木大将の掛物がかかっていて、その前に造花の牡丹が生けてあると云う体裁だがね。

(芥川龍之介『片恋』)


 ところで君、何故「Y」などと云うのかね?

 おそらく『片恋』を読んだ百人が百人、そう思うはずである。新橋は新橋、品川は品川、日本橋は日本橋なのに何故そこは「Y」なのか。

 この問題はこれまでどのように研究されてきただろうか。

 この作法は夏目漱石の、

 翌朝は高い二階の上から降るでもなく晴れるでもなく、ただ夢のように煙るKの町を眼の下に見た。三人が車を並べて停車場に着いた時、プラットフォームの上には雨合羽を着た五六の西洋人と日本人が七時二十分の上り列車を待つべく無言のまま徘徊していた。
 御大葬と乃木大将の記事で、都下で発行するあらゆる新聞の紙面が埋まったのは、それから一日おいて次の朝の出来事である。

(夏目漱石『初秋の一日』)

 この「K」の作法と同じものだろう。この「K」は鎌倉なのか北鎌倉なのか釈然としないし、件の「Y」は横浜なのか横須賀なのか判然としない。何故なら北鎌倉を鎌倉と呼んでもそう不自然なことではないし、横須賀を横浜と呼んでも嘘ではないからだ。

 つまりはっきりしない。

 夕方から雨がふったのと、人数も割に少かったのとで、思ったよりや感じがよかった。その上二階にも一組宴会があるらしかったが、これも幸いと土地がらに似ず騒がない。所が君、お酌人の中に――
 君も知っているだろう。僕らが昔よく飲みに行ったUの女中に、お徳って女がいた。鼻の低い、額のつまった、あすこ中での茶目だった奴さ。あいつが君、はいっているんだ。

(芥川龍之介『片恋』)

 この「U」はさっぱり何だか分からない。とにかくそうした仕掛けのようだ。確かに『初秋の一日』にしても何故「K」なのかが分からない。ただこの「U」は単に分からない。単に分からない「U」とどちらか分からない「Y」が引っかかって話がなかなか入ってこないのが『片恋』という作品の特徴だ。

 話は京浜電車を横浜方面から乗り合わせた友人が新橋駅に着くまでに話すお徳という女の片恋の話だ。

 京浜電車が品川どまりではなく新橋に着くのがこの話の肝だ、というわけもない。おそらく多くの人はこの話の肝が掴めず、記憶にも残っていないのではなかろうか。

 そう長い話ではない。今ざっと読んで、それから「読む」というのはどういうことかということを一緒に確かめてもらえばいい。

 読んだ?

 本当に読んだ。

 読んでないと本当に、つまらないよ。

 読んでこそ、次から意味があるよ。

 で、肝は?

 え?

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