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芥川龍之介の『河童』をどう読むか⑬ 「僕」を憂鬱にさせたもの

 小宮豊隆、江藤淳、柄谷行人が言うところの「一郎の三択」などは実際には存在しなくて、そもそも一択だったという話は繰り返し書いて来た。これはもう好き嫌いとか良し悪しの話ではなく、単純に文章読解の話なので納得してもらうよりない。

 しかし案外こういうことが出来ていない。「こういうこと」とは例えば『こころ』における話者「私」の立ち位置を捉えることであったり、

 例えば『あばばばば』において、妊娠時期や津波のことを考えることであったり、

 例えば、『女』においては庚申薔薇の意味を捉えたりすることだ。

 誤読は「書いてあることを読まない」「書かれていないことを付け足す」ことから生じる。昨日、私が書いたのは話の流れを捉えること、

 勝手に自分の感覚で読まないこと、勝手に作品に「作者の本音」などを見出すのではなく、筋を捉えるという基本的な読みの確認だった。

 勝手に自分の感覚で読まない、というのはかなり重要なことで、それができないと殆ど何が書いてあるのか理解できなくなるのではなかろうか。

「これは我々の聖徒の一人、――あらゆるものに反逆した聖徒ストリントベリイです。この聖徒はさんざん苦しんだ揚句、スウエデンボルグの哲学の為に救はれたやうに言はれてゐます。が、実は救はれなかつたのです。この聖徒は唯我々のやうに生活教を信じてゐました。――と云ふよりも信じる外はなかつたのでせう。この聖徒の我々に残した『伝説』と云ふ本を読んで御覧なさい。この聖徒も自殺未遂者だつたことは聖徒自身告白してゐます。」
 僕はちよつと憂鬱になり、次の龕へ目をやりました。

(芥川龍之介『河童』)

 なるほど自殺未遂者が出てきて憂鬱になる。次は、

「これはツアラトストラの詩人ニイチエです。その聖徒は聖徒自身の造つた超人に救ひを求めました。が、やはり救はれずに気違ひになつてしまつたのです。若し気違ひにならなかつたとすれば、或は聖徒の数へはひることも出来なかつたかも知れません。……」

(芥川龍之介『河童』)

 なるほど「気違ひ」が出て来た。次は、

「三番目にあるのはトルストイです。この聖徒は誰よりも苦行をしました。それは元来貴族だつた為に好奇心の多い公衆に苦しみを見せることを嫌つたからです。この聖徒は事実上信ぜられない基督を信じようと努力しました。いや、信じてゐるやうにさへ公言したこともあつたのです。しかしとうとう晩年には悲壮な嘘つきだつたことに堪へられないやうになりました。この聖徒も時々書斎の梁に恐怖を感じたのは有名です。けれども聖徒の数にははひつてゐる位ですから、勿論自殺したのではありません。」

(芥川龍之介『河童』)

 なるほど、自殺、気が狂う、宗教、これではまるで一郎の三択だ。

 その後に詩人、生活教徒、ロリコン、が出てきて「僕」の七択は明示されない。「僕」は疲れてしまう。ここに列挙されたのは明治の日本の知識人の運命ではなく、様々な国の様々な時代の人々が取り得る一つの生き方ではあるが根本にあるのは「救われなさ」である。

 だから「僕」を憂鬱にして、疲れさせているものはやはり「救われなさ」である。
 そうでありながら、昨日書いたように「僕」は河童の国から人間の国に戻ろうとするのだから、一つ決定的なことは生きようとしていることである。

あ、自殺しないんだ、と気が付いた人にだけ、『河童』はささやかに落ちている。おそらく『河童』という作品の肝はそこにある。

 つまり「僕」は自殺しない。人間の国に帰る。「だから蛙なんだ」は余計な冗談として、「自殺しない」ということは書かれてはいないが、これは「書かれていないことを付け足す」という時の「書かれていないこと」には当たらない。

「それはつまり自殺ですね。」
「尤もその河童を蛙だと言つたやつは殺すつもりで言つたのですがね。あなたがたの目から見れば、やはりそれも自殺と云ふ……」
 丁度マツグがかう云つた時です。突然その部屋の壁の向うに、――確かに詩人のトツクの家に鋭いピストルの音が一発、空気を反ね返へすやうに響き渡りました。

(芥川龍之介『河童』)

 実は芥川はピストルを手に入れていたのではないかという話がある。

 彼の旅行記、東北、北海道、新潟は、改造社に入用なものであつたらうが、(改造社版現代文學全集の宣傳を兼ねた講演旅行――所謂圓本のはじめ)彼にとつても、既に大正十一年五月の作であるところの、あはれ、あはれ、旅びとは、を、さしはさんだ旅行記が一つ必要であつたと思はれる。
 東北、北海道、新潟の講演旅行で、一挺のぴすとるが彼の手にはいつてゐたのであらうか、彼は旅行から歸つて僕に會ふなり、「僕はこんどはいよいよぴすとるも手にいれた、」と言つてゐた。

(小穴隆一『二つの繪』)


 ここは読む人が読めば飛んだ仄めかしである。三島の事を書く以上は死を覚悟しなくてはならないとピストルを手に入れていた(『ファシスタたらんとした者』中央公論新社、2017年6月)西部邁が、何故か玉川上水に飛び込んだようなねじれがこっそり仕掛けられている。

 十三回「自殺」の文字が現れる『河童』の結末は、冒頭にある「他者否定」である。第二十三号が現に生きていて他者否定があるのに、何故か「僕」が自殺でもしてしまいそうな感じと云うものが漂うのが『河童』という小説の面白いところだ。

 結局芥川は一郎の三択を一択に絞り込んで第二十三号に与えた。しかし芥川の頭脳は宗教を信じるには明晰過ぎて、狂うことも出来なかった。彼が精神病院に入らなかったのはパジャマの柄が気に入らなかったからだろう。多分。


そういえば田川敬太郎が田口家で歌留多に参加した時、須永市蔵が呼ばれていた気配がありませんでしたよね。誰も「市さんも呼びましょうよ」「そうだな賑やかな方がいい」とは言わなかったわけです。須永市蔵は正月に一人で蟄居しているわけです。「自分はなぜこう人に嫌われるんだろう」とも言いたくなりますよね。

 芥川龍之介という人はクルシイクルシイと言いながら自殺した作家だ、というのが世間一般での受け止め方なのだろう。そしてそのクルシイクルシイは太宰治にも遺伝したのだと。さらにそのクルシイクルシイが最も生々しく書かれたのが『人間失格』であり、『歯車』なのだと。
 それ、誤解です。

 谷崎生誕の地は、当時の東京でもっとも賑わいを見せていた場所だった。今もその名残は多少はある。雰囲気だけは残っている。近所の図書館にはささやかながら谷崎潤一郎特集コーナーが常設されている。大都会である。谷崎はここで丁度『彼岸過迄』の田川敬太郎が憧れたような江戸の風情が残る粋な生活を過ごしたはずだ。


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