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芥川龍之介の『奇怪な再会』をどう読むか① それはやってはならないこと

 何か自分で物を書こうとした人間なら誰しも、即座に気が付くことがある。

 この話は少し長いのでじっくりやろう。
 まずタイトルがおかしい。
 芥川龍之介の小説のタイトルは短く簡潔で一文字のものも多い。その芥川の流儀からしても、話の枕としても「奇怪な」は余計だ。これで「奇怪」でなければなんだということになるし、「奇怪」であればあったでそりゃそうだろうということになる。これから面白い話をしますよと言って面白い話をしてはいけない。その程度の意味でまずタイトルがおかしい。

 そして音がいけない。「kikainasaikai」何だかやかましい。がちゃがちゃしている。そういうタイトルを芥川がわざわざ選んだのだ。

 お蓮が本所の横網に囲われたのは、明治二十八年の初冬だった。
 妾宅は御蔵橋の川に臨んだ、極く手狭な平家だった。ただ庭先から川向うを見ると、今は両国停車場になっている御竹倉一帯の藪や林が、時雨勝な空を遮っていたから、比較的町中らしくない、閑静な眺めには乏しくなかった。が、それだけにまた旦那が来ない夜なぞは寂し過ぎる事も度々あった。
「婆や、あれは何の声だろう?」
「あれでございますか? あれは五位鷺でございますよ。」

(芥川龍之介『奇怪な再会』)


 確かに明治二十八年と書きながら、そして両国停車場とも書きながら、どこか一つ古い江戸時代の雰囲気を漂わせる書き出しである。そしてここで五位鷺を出してくる辺り、流石芥川はやる気である。「婆や、あれは何の声だろう?」と訊くお蓮は本名が孟蕙蓮という清国人である。五位鷺は清国にはいない。

 あ、書いちゃった。それはやってはならないことなのに。

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