2023年6月の記事一覧
「ふーん」の近代文学⑪ それにしたってさ
それにしてもこの「三四日等閑にしておいた咎が祟って」というところ、
この「三四日」に一体何が隠れているのかと『明暗』を改めてもう三回ほど読み直してみたけれど、驚くくらい二回目のなぞりがないね。この「三四日」に何が行われていたのかというところはどうも作品の進行する時間からすると過去になる。かなり意味深な書き方なのに、答えが見つからない。
今更非常線に引っかかる様な事でもなさそうだし、小林と
「ふーん」の近代文学⑦ 「ふーん」できなかった人
いくらなんでもさすがに村上春樹を近代文学の枠組みで論じるのはどうかという人もあるかもしれないけれど、村上春樹という人は夏目漱石や谷崎潤一郎作品なんかも読んでいて、世界的に見れば今や夏目漱石のエバンジェリストでもあり、なかなか捨てておけない人なのだ。そして近代文学が抱えていた本質的な問題と云うものに直結している。
そもそも例えば三島由紀夫は一般的には戦後派に括られていて、近代文学という枠組みは
「ふーん」の近代文学③ 悪いことばかりじゃない
あれもこれもなくなった
おそらく芥川龍之介は夏目漱石の「則天去私」を継承しなかった。というよりも遺作『明暗』からして、何が「則天去私」なのか判然としない。小手先で誤魔化したようなこじつけはいくつか見たことはあるが、『明暗』のどこが「則天去私」なのか理路整然と説明した文章を私はこれまで一度も目にしていない。
しかしそう気が付いてみると「写生文」にしても「非人情小説」にしてもいつの間にかどこか
「ふーん」の近代文学②兼芥川龍之介の『偸盗』をどう読むか⑤ 刃傷沙汰はもう古い
新感覚派という、横光利一らを指すキャッチフレーズが滑稽なのは、優れた作家と云うものは概ね卓越した独自の感覚、ひょっとすると冗談だとしか捉えられない奇妙な感覚を抜かりなく見定める能力を持っているからだ。例えば三島由紀夫の『盗賊』には、「服の下は裸」という感覚が描かれる。当たり前のことながら、これを掲示板に書き込むと「天才」と呼ばれる。「服の下は裸」、この感覚を冗談でも何でもなく捉えられることこそが
もっとみる岩波書店『定本漱石全集』注解を校正する197 この宇宙で私一人にだけ見えているのだろうか
米舂
岩波はこの「米舂」に注解をつけて、
……とする。これはかなり独特の解釈ではなかろうか。
ここでは当時の女性が「東西両国を通じて一種の装飾品」であり、「米舂にもなれん志願兵にもなれない」と言われているのであって、それは知恵があるからでもなく、力が足りないからでも無かろう。そもそも「米舂」に「力だけがあるもの」という意味はない。
後にこのように「米を舂くこと」≠「知恵がないこと」
岩波書店『定本漱石全集』注解を校正する196 案外つながっている
芳原
岩波はこの「芳原」に注解をつけて、
……とする。その通りであろうが、「芳原」の表記もさして珍しいものではなさそうだ。
国立国会図書館デジタルライブラリー内では2900程度の使用例があり、さして明確な区別なく使われていた表記のようだ。
胃内廓清
岩波はこの「胃内廓清」に注解をつけて、
……とする。まさにその通りで、「廓清」は主に社会的政治的な物事に関して用いられるようだ。こ
岩波書店『定本漱石全集』注解を校正する195 視覴の謎
ひもじい時の神頼み
岩波の『定本漱石全集 第一巻』では、「ひもじい時の神頼み」に注解をつけて、
……としている。たしかにそうなのだが「ひもじい時のまずいものなし」のもじりでもあり、このあと「ひもじい時の神頼み、貧のぬすみに恋のふみ」と「み」で脚韻を踏むので「神頼み」なのだと確認しておこう。
貧のぬすみに恋のふみ
岩波は「貧のぬすみに恋のふみ」に対して、
……と注解をつける。これで
岩波書店『定本漱石全集』注解を校正する193 夏目漱石『明暗』をどう読むか43 ここでいったん休止
裸でいらっしゃい
この場面読者の何割かはお延とお秀がまわしを締めて女相撲をしているシーンを思い浮かべる筈だ。女相撲と蛇使いの見世物は条例で禁止されている。しかし言葉は自由だ。二人は実際に言葉で相撲を取っているのだ。
相撲でなければ飛び掛かりはしない。一度書いた「相撲」という言葉に自分で引っかかり、漱石はお延の脇の下迄覗いている。 かなり助平な書き方だ。
いえ正直よ、秀子さんの方が
嫂
岩波書店『定本漱石全集』注解を校正する192 夏目漱石『明暗』をどう読むか42 ダメな時もある
昨日は「馬鹿野郎」のところでかなり悩んだ。悩んでいたら何十年ぶりかで胃が痛くなり、何十年ぶりかで胃薬を買って飲んだ。昨日までは本当に気が付いていなかった。しかし一旦気が付いて前後を読み直してみるとやはり津田は「ただの友達ではあるまい」という小林の言葉に過剰反応しており、その苛立ちには軽々しく男と男を結びつけようとする小林の気ままさに対する批判がある。胃が痛い。薬を飲んでもなお痛い。ツボも色々試し
もっとみる岩波書店『定本漱石全集』注解を校正する191 夏目漱石『明暗』をどう読むか41 ホモフォビアだったのか?
彼女は全く津田の手にあまる細君であった
お延が割と早い時期に実家から出て叔父の岡本の家で世話になっていたことを考えると、お延に対してこれまで持っていた「健気な新妻」のイメージがほんの少し変わってくると昨日書いた。
そして津田が言うようにお延が「津田の手にあまる細君」なのだとしたら、そのお延の強かさのうちには生い立ちの複雑さが関わっていないものだろうか。「お延の平生から推して、津田はむしろご
岩波書店『定本漱石全集』注解を校正する190 夏目漱石『明暗』をどう読むか 40 しつこいハンサム
自然頭の中に湧いて出るものに対して、責任はもてない
容貌の劣者・お延は津田から疎まれていたわけではない。寄って来られたら嬉しい、寄ってこないと淋しいくらいの感情はあるようだ。それにしても「自然頭の中に湧いて出るものに対して、責任はもてない」という弁解さえないのだから凄い。なんというか人間の心がないというのではなく、根本的に何かが欠けている。悪く言えば「コンクリ殺人」のようなものに通じるような気