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岩波書店『定本漱石全集』注解を校正する191 夏目漱石『明暗』をどう読むか41 ホモフォビアだったのか?

彼女は全く津田の手にあまる細君であった

 津田が小林に本音を吹かせようとするところには、ある特別の意味があった。彼はお延の性質をその著るしい断面においてよく承知していた。お秀と正反対な彼女は、飽くまで素直に、飽くまで閑雅かな態度を、絶えず彼の前に示す事を忘れないと共に、どうしてもまた彼の自由にならない点を、同様な程度でちゃんともっていた。彼女の才は一つであった。けれどもその応用は両面に亘っていた。これは夫に知らせてならないと思う事、または隠しておく方が便宜だときめた事、そういう場合になると、彼女は全く津田の手にあまる細君であった。彼女が柔順であればあるほど、津田は彼女から何にも掘り出す事ができなかった。彼女と小林の間に昨日どんなやりとりが起ったか、それはお秀の騒ぎで委細を訊く暇もないうちに、時間が経ってしまったのだから、事実やむをえないとしても、もしそういう故障のない時に、津田から詳しいありのままを問われたら、お延はおいそれと彼の希望通り、綿密な返事を惜まずに、彼の要求を満足させたろうかと考えると、そこには大きな疑問があった。お延の平生から推して、津田はむしろごまかされるに違ないと思った。ことに彼がもしやと思っている点を、小林が遠慮なくしゃべったとすれば、お延はなおの事、それを聴かないふりをして、黙って夫の前を通り抜ける女らしく見えた。少くとも津田の観察した彼女にはそれだけの余裕が充分あった。すでにお延の方を諦めなければならないとすると、津田は自分に必要な知識の出所でどころを、小林に向って求めるよりほかに仕方がなかった。

(夏目漱石『明暗』)

 お延が割と早い時期に実家から出て叔父の岡本の家で世話になっていたことを考えると、お延に対してこれまで持っていた「健気な新妻」のイメージがほんの少し変わってくると昨日書いた。

 そして津田が言うようにお延が「津田の手にあまる細君」なのだとしたら、そのお延の強かさのうちには生い立ちの複雑さが関わっていないものだろうか。「お延の平生から推して、津田はむしろごまかされるに違ないと」思ったということは、お延には何かそういうところ、津田を誤魔化すようなところがあったということになる。
 すると例えば、

「ええ。あれ雀よ。雀が御向うの宅の二階の庇に巣を食ってるんでしょう」
 津田はちょっと向うの宅の屋根を見上げた。しかしそこには雀らしいものの影も見えなかった。細君はすぐ手を夫の前に出した。
「何だい」
「洋杖」

(夏目漱石『明暗』)

 この新妻らしい可愛らしい態度も急に怪しく思えてくる。現に津田には雀らしきものは見えなかった。お延は「すぐ手を夫の前に出した」。これは話題を転じるための動作ではないのか。
 
 さて本当に雀はいたのか?

 雀がいなかったとしたら、お延は何を見ていたのか?

 小林から津田の浮気を仄めかされると、お延はたちまち津田の手紙を盗み見た。お延はそういうことをする女なのだ。現代では夫のスマホを妻がチェックすることくらいは当たり前かもしれないが、大正時代夫の手紙を妻が盗み見ることは当たり前だったのだろうか。

「知つてゐますわ、御山眞佐緒つていふ人でせう、この間あなたへ來た手紙を盜んで見たから知つてゐますわ」と、彼女は、その肉體に、いよいよ重みを加へ乍ら、自暴自棄な調子で言つた。

赤い聖書 飯田翠 著文武堂 1927年

 これは少し違うか。

それ、かあさんはおとうさんの手紙を盗んで、破いて、煖爐の中へ入れたでせう。僕あれを見附けて讀みました。

ペリカン ストリンドベルグ 著||森林太郎 訳善文社 1921年

 これは外国だしな。

 いや、もしも津田が用心のために清子の手紙を燃やしたのなら、時代は兎も角、お延はそういうことをしかねない女だということだ。

こんなものを読むのかね

 それからいきなり手を延べて、津田の枕元にある読みかけの書物を取り上げて、一分ばかりそれを黙読した。
「こんなものを読むのかね」と彼はさも軽蔑した口調で津田に訊いた。彼はぞんざいに頁を剥繰りながら、終りの方から逆に始めへ来た。そうしてそこに岡本という小さい見留印を見出みいだした時、彼は「ふん」と云った。
「お延さんが持って来たんだな。道理で妙な本だと思った。――時に君、岡本さんは金持だろうね」
「そんな事は知らないよ」
「知らないはずはあるまい。だってお延さんの里じゃないか」
「僕は岡本の財産を調べた上で、結婚なんかしたんじゃないよ」
「そうか」
 この単純な「そうか」が変に津田の頭に響いた。「岡本の財産を調べないで、君が結婚するものか」という意味にさえ取れた。
「岡本はお延の叔父だぜ、君知らないのか。里でも何でもありゃしないよ」
「そうか」
 小林はまた同じ言葉を繰り返した。津田はなお不愉快になった。
「そんなに岡本の財産が知りたければ、調べてやろうか」
 小林は「えへへ」と云った。「貧乏すると他の財産まで苦になってしようがない」

(夏目漱石『明暗』)

 あれ、小林は英語が読めるのかと考えさせられるところ。小林と津田の関係は曖昧乍ら、学友という感じがなくもないことから、津田がドイツ語の本を読めるのなら、小林が英語くらい読めても不思議はないと気が付いてみて、もし小林が大卒ならば、高等遊民問題はまだ続いていたかと考えさせられる。
 せっかく大学を出ても朝鮮まで落ちなくてはならないとは悲惨だ。

 確かに宗助は雨漏りのする家でひっそり暮らしていた。この問題は『彼岸過迄』で徹底して研究され、『行人』では二郎のように「縁故で専門職に就くのが楽」と結論されてきたように理解していた。しかしそうでもない人間の問題は相変わらず続いているのだ。

岡本の財産を調べないで、君が結婚するものか

 この小林の指摘を津田は否定しているが、これこそが『明暗』を貫くあの謎の答えを指し示してはいまいか。
 つまりここで津田は岡本の財産には関心がないと言わんばかりである。ただ何の偶然かお延は岡本から小切手を貰って来た。津田は一度お延に岡本に頼んでくれないかと言っている。偶然?

・このおれはまたどうしてあの女と結婚したのだろう
・しかしおれはいまだかつてあの女を貰おうとは思っていなかったのに

 この答えは金ではなかったか。

 そういえば『こころ』の先生は「金さ、君」と言った。未亡人の財産を相続するために静を嫁に貰った。

 先生は未亡人に「奥さんの財産が欲しいからお嬢さんを下さい」とは言っていない。言っていないがそういうことを考えていたことが「金さ、君」と告白されている。

 津田はまだ告白していない。とぼけている。しかし容貌の劣者を嫁に貰う理由として財産ほど信憑性のあるものもほかになかろう。津田は藤井が貧乏なことを知っていた。自分で明確に意識に登らせないまでも、どこかで財産が空から降ってくればいいなという程度には思っていただろう。

 あるいはお延が貧乏であれば津田は結婚しただろうか。

 やはり何かがお延を津田に引き寄せたに違いない。そこに岡本の財産という要素が全くないとは言い切れまい。津田が清子に執着するのも、清子の里に財産があったからかもしれない。


面白い秘密でも提供して

「少し借りてやろうか」
「借りるのは厭だ。貰うなら貰ってもいいがね。――いや貰うのも御免だ、どうせくれる気遣いはないんだから。仕方がなければ、まあ取るんだな」小林はははと笑った。「一つ朝鮮へ行く前に、面白い秘密でも提供して、岡本さんから少し取って行くかな」
 津田はすぐ話をその朝鮮へ持って行った。
「時にいつ立つんだね」

(夏目漱石『明暗』)

 ここで小林が言う秘密は果して岡本から金がとれるようなものなのだろうか。お延に仄めかしたところのものは、精々「津田と清子は昔付き合っていて、津田はまだ清子に未練がある」という程度のものではなかろうか。

 こんな情報でも津田は隠したいかもしれないが、岡本がそんな話を聴かされても……なんとも反応できないのではなかろうか。

 しかしここで津田は「津田はすぐ話をその朝鮮へ持って行った」として、話題を転じて反応している。これは小林の言う秘密がまさに岡本から金がとれるような性質のものであるという証拠ではなかろうか。でなければ、何だそれと呆れていればよいのだ。そこに何か思い当たる節があるからだろう。「津田と清子は昔付き合っていて、津田はまだ清子に未練がある」という話をお延には黙っていてやるから金をくれでは少し無理がある。

 つまり津田にはまだほかにも秘密がある?

馬鹿野郎と付け足したかった

「君吉川と岡本とは親類かね」と小林が云い出した。
 津田にはこの質問が無邪気とは思えなかった。
「親類じゃない、ただの友達だよ。いつかも君が訊いた時に、そう云って話したじゃないか」
「そうか、あんまり僕に関係の遠い人達の事だもんだから、つい忘れちまった。しかし彼らは友達にしても、ただの友達じゃあるまい」
「何を云ってるんだ」
 津田はついその後へ馬鹿野郎と付け足したかった。
「いや、よほどの親友なんだろうという意味だ。そんなに怒らなくってもよかろう」

(夏目漱石『明暗』)

 ここは完全に読み飛ばしていた。私はこれまで『明暗』という作品には、

・結核性でない痔瘻
・男と男が結ばれる成仏
・津田とお延の半年のセックスレス
・「嬉しいところなんか始めからないんですから、仕方がありません」
・二人が深夜非常線にかかった

 ……というふりがあることから小林と津田の関係を疑ってきた。つまり津田と小林はただの友達ではなかろうと疑ってきた。

 しかしこの「馬鹿野郎と付け足したかった」という津田の態度は明らかにホモフォビアのものだ。同性愛を許容できないという態度だ。

 つまり、

・結核性でない痔瘻
・男と男が結ばれる成仏
・津田とお延の半年のセックスレス
・「嬉しいところなんか始めからないんですから、仕方がありません」
・二人が深夜非常線にかかった

 これらの要素は同性愛を匂わせるふりであり、津田はホモフォビアである…… かどうかはまだ解らない。「いや、よほどの親友なんだろうという意味だ。そんなに怒らなくってもよかろう」という小林の台詞もいかにもノンケのものである。しかしどうも夏目漱石はむしろホモフォビアではないタイプなので、まだまだここはひっくり返るかもしれない。

 あるいはこのふりの落ちは、よくよく調べてみたら藤井と岡本は親戚だったというものなのかもしれない。

 


[余談]

 和辻哲郎が夏目漱石に熱烈なラブレターのようなものを書いていることは良く知られているが、漱石の返事の方がなんとももぞもぞするものであることはあまり知られていないように思う。漱石にその手の手紙を送ったのは和辻哲郎一人ではない。漱石もまんざらではなかったようだ。

 誰か注意せいよ。

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