岩波書店『定本漱石全集』注解を校正する193 夏目漱石『明暗』をどう読むか43 ここでいったん休止
裸でいらっしゃい
この場面読者の何割かはお延とお秀がまわしを締めて女相撲をしているシーンを思い浮かべる筈だ。女相撲と蛇使いの見世物は条例で禁止されている。しかし言葉は自由だ。二人は実際に言葉で相撲を取っているのだ。
相撲でなければ飛び掛かりはしない。一度書いた「相撲」という言葉に自分で引っかかり、漱石はお延の脇の下迄覗いている。 かなり助平な書き方だ。
いえ正直よ、秀子さんの方が
嫂さんといっしょになる前の兄さんは、もっと正直でした、とお秀に言われ、小林からも「偽物」と言われる津田は確かに正直ではない。ただ正直ではないというよりは自分の根本がないので、正直に見えないのだ。お延を可愛がっているように見えて可愛がってはいないところが正直ではない。清子に未練があるのにお延を嫁に貰ったのが正直ではない。
甘んじて猫の前の鼠となって
谷崎潤一郎と夏目漱石の間には奇妙なねじれがあって、直接の関係はほぼないまま、文学的にも相容れない状態で終始したように見える。しかし希代のマゾヒスト、沼正三が認めるように谷崎潤一郎が本物のマゾヒストなら、太ってはいるが女としての色気のある吉川夫人を猫として、自分を弄ばれる鼠だと準える津田のマゾヒストぶりを無視しているのはどういうことだろう。
マゾヒストとはこの「甘んじて猫の前の鼠となって、先方の思う通りにじゃらされていなければならなかった」というところでぞくぞくする者のことだ。あるいは夏目漱石は『明暗』においてはマゾヒストの本質を的確に捉えているといって良いだろう。夏目漱石がマゾヒストを描いた意味そのものは明確ではない。ただここに描かれているのは間違いなくマゾヒストとしての津田だ。何故そのことに谷崎潤一郎は気づかなかったのだろうか?
ここで少し余談になるが、マゾヒストというものは最終的に肉体を傷つけられ、家畜化されることまでを歓びに変えられるので、ある意味最強のライフハックを持つていると言えよう。その思想性を極限に引き上げたのが沼正三の『家畜人ヤプー』で、その作品はこのニ三年に発表された全ての文學作品と比べても抜きんでていると三島由紀夫に絶賛された。言い換えると『春の雪』より優れているという意味だ。原爆迄も肯定してしまう過激さが沼正三のマゾヒズムにはある。
津田のマゾヒズムはもう少しソフトで精神的なものだが、果たして漱石にどこまでの考えがあって津田をマゾヒストにしたのかというあたりのことは分からない。しかし劣化した則天去私、無責任で自分のない津田がマゾヒストであることは単なるいたずらではなく、何か作品の本質に関わることなのだろうとは思う。それがどう着地するのかということが見えない。続編を書くならこの津田のマゾヒズムもきっちり処理してもらいたいものだ。
ぷんぷん腹を立てて
この「ぷんぷん」が何時頃から使われていた表現かなと調べていたら、
1904年、明治三十七年には「ぶりぶり」が使われていたことが解った。どうでもいい話。
その原因までちゃんと知ってるんですよ
金さ、君、と言わんばかりの詰め方である。しかし吉川夫人はなかなか金とは言わない。「私だけはあなたと特別の関係があるんですもの」とさらに謎を仕掛ける。確かに吉川夫人は津田に清子を斡旋するという関係であったように書かれている。しかしただ恋人を紹介したというだけの関係ではない。どうもここで言われている特別な関係とは、吉川夫人のコントロール下で津田が操られるままに清子を愛するという、なんとも例えようのない関係なのだ。玩具にされる快感と玩具にする快感が交錯するプレイ。
そして吉川夫人は再び津田を支配しようとする。
いらっしゃいよ
羊を探しに行くのよ、と村上春樹作品の男たちは言われ続けてきた。彼らは常に巫女的女性の命令に従ってきた。それはふかえりから、木元沙羅までは意地のようにして続けられる村上春樹作品の伝統芸能的な要素でもあった。『騎士団長殺し』でようやく巫女的女性ではなく騎士団長にその命令役は譲られた。村上春樹作品の主人公たちは主体的に行動する目的や意味を持ち合わせていなかった。あるものは質素で無駄のない生活を愛しており、あるものは金もうけを嫌い、あるものはそこそこ満たされた生活を送っていた。恐ろしく何かが欠けているけれど、渇望する何かが目の前にありそこに突き進んでいくという状況にはなかった。
そういう意味では『国境の南、太陽の西』は異質な作品であったのかもしれない。代助のように、宗助のように、誰の指図も受けない。始も誰の指示も受けず、島本さんに向かっていく。元々誰の指示も必要なかったのだと確認するかのように。
何者でもない、つまりひとかどの男ではない誰か、しかも何かが根本的に欠けている男が、巫女的な女の指示で行動する村上春樹作品のスタイルの原型は、あるいはこの『明暗』という作品なのかもしれない。
よくよく読めばこの吉川夫人の振る舞いは単なる「お節介」の領域を超えて異常なものである。しかし物語はこの異常な吉川夫人のコントロールなしでは先に進まない。木元沙羅が何も言わなかったら多崎つくるの巡礼は始まらなかった。
巫女的な女の指示で行動する男が描かれるたび文句を言う批評家たちがいた。またか、というわけだ。しかし問題はそこではなかろう。問題は津田のように根本的に何かが欠けていて、自由意志とか自己決定とか言うところが実に曖昧で、決定論とか非決定論のどちらにも針が降り切れない三十男が様々な時代に繰り返し現れねばならなかったことそのものなのではなかろうか。
そのしつこいほどワンパターンな物語は世界中で圧倒的な支持を獲得した。
漱石没後百余年、村上春樹が書き続けてもう四十年が過ぎた。『街とその不確かな壁』ではおじいちゃんが「君」にコントロールされるようにその街へ向かう。それはもう成仏できなかった津田の亡霊のようなものだ。まるで男らしさとは未練であると言わんばかりに、分厚い本が出来上がった。『明暗』は完結しなかった。
まだ誰かがその続きを書く余地はある。
[余談]
岩波は「証挙」を漱石の造語か、としている。
使用例603件あり。
また「昵と」には「清子の視線が、親しみをこめて自分をみつめているように、津田が感じたことを表わす表記」としている。
例えば「じっと座っている」も「昵と」と書く。普通の表記である。
そういうことだ。
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