見出し画像

岩波書店『定本漱石全集』注解を校正する197 この宇宙で私一人にだけ見えているのだろうか

米舂

 でありますから妾等は出席御断わり申すと云われた。そこで職員共は話せない連中だとは思ったが、何しろ女は東西両国を通じて一種の装飾品である。米舂にもなれん志願兵にもなれないが、開校式には欠くべからざる化装道具である。

(夏目漱石『吾輩は猫である』)

 岩波はこの「米舂」に注解をつけて、

 玄米を臼でついて精米する人。知恵は要らない、力さえあれば誰でもできる、の意。

(『定本漱石全集第一巻』岩波書店 2017年)

 ……とする。これはかなり独特の解釈ではなかろうか。

 ここでは当時の女性が「東西両国を通じて一種の装飾品」であり、「米舂にもなれん志願兵にもなれない」と言われているのであって、それは知恵があるからでもなく、力が足りないからでも無かろう。そもそも「米舂」に「力だけがあるもの」という意味はない。

 今は故人となられたが主人の先君などは濡れ手拭いを頭にあてて炬燵にあたっておられたそうだ。頭寒足熱は延命息災の徴と傷寒論にも出ている通り、濡れ手拭は長寿法において一日も欠くべからざる者である。それでなければ坊主の慣用する手段を試みるがよい。一所不住の沙門雲水行脚の衲僧は必ず樹下石上を宿とすとある。樹下石上とは難行苦行のためではない。全くのぼせを下さげるために六祖が米を舂きながら考え出した秘法である。試みに石の上に坐ってご覧、尻が冷えるのは当り前だろう。尻が冷える、のぼせが下がる、これまた自然の順序にして毫も疑を挟しはさむべき余地はない。かようにいろいろな方法を用いてのぼせを下げる工夫は大分発明されたが、まだのぼせを引き起す良方が案出されないのは残念である。

(夏目漱石『吾輩は猫である』)

 後にこのように「米を舂くこと」≠「知恵がないこと」のイメージは完全否定されている。
 通しで読んで、それから注解しない?

 したくない?

 通しで読みたくない?

 読み直したくない?

 本が嫌い?

甲割り

「それにな。皆この甲割りへ目を着けるので」
「その鉄扇は大分だいぶ重いものでございましょう」
「苦沙弥君、ちょっと持って見たまえ。なかなか重いよ。伯父さん持たして御覧なさい」
 老人は重たそうに取り上げて「失礼でがすが」と主人に渡す。京都の黒谷くろだにで参詣人が蓮生坊の太刀を戴いただくようなかたで、苦沙弥先生しばらく持っていたが「なるほど」と云ったまま老人に返却した。
「みんながこれを鉄扇鉄扇と云うが、これは甲割と称えて鉄扇とはまるで別物で……」
「へえ、何にしたものでございましょう」
「兜を割るので、――敵の目がくらむ所を撃ちとったものでがす。楠正成時代から用いたようで……」
「伯父さん、そりゃ正成の甲割ですかね」
「いえ、これは誰のかわからん。しかし時代は古い。建武時代の作かも知れない」

(夏目漱石『吾輩は猫である』)

 岩波はこの「甲割り」に注解をつけて、

 鉄扇のこと。

(『定本漱石全集第一巻』岩波書店 2017年)

 ……とする。

 いやいやいや。「みんながこれを鉄扇鉄扇と云うが、これは甲割と称えて鉄扇とはまるで別物で……」という文字列は、この宇宙で私にだけ見えているのだろうか。

 まるで別物とは同じではないということだ。つまり「甲割り」≠「鉄扇」ということだ。

「甲割り」には実際に刀で兜を割ること、あるいは兜を割る刀、割った刀の意味もある。ここで持ち出されているのは鉄扇用の平たく短い鉄の棒、つまり十手に近いものではなかっただろうか。

 三島由紀夫が東大全共闘と公開討論会に挑んだ際には、みっともないことにならないようにと鉄扇を忍ばせていたという話だ。それはまさに、

 こんなものだろう。

 こんなにすかすかしていては兜を割ることは到底できないので、もっと芯ががっちりしていたものがここで言われている「甲割り」であろう。

 ここの「鉄扇のこと」って学生が書いてきたら説教されてもおかしくないところ。

 大人なら認知症が疑われる。

 しかも個人のミスではないからね。

 何人もが関わっていることだから、集団認知症ということになる。

 そうでなければ、この宇宙で私一人にだけ夏目漱石作品が読めているということになる。

 正解はどっちなの?


ビードロや

「可愛想に、あれだって研究でさあ。あの球を磨り上げると立派な学者になれるんですからね」
「玉を磨りあげて立派な学者になれるなら、誰にでも出来る。わしにでも出来る。ビードロやの主人にでも出来る。ああ云う事をする者を漢土では玉人と称したもので至って身分の軽いものだ」と云いながら主人の方を向いて暗に賛成を求める。
「なるほど」と主人はかしこまっている。

(夏目漱石『吾輩は猫である』)

 岩波はこの「ビードロや」に注解をつけて、

 ガラス屋。ビードロはポルトガル語のvidroにより、室町時代末から江戸時代まで一般に用いられ、明治になってもそのようにいう人が少なくなかった。

(『定本漱石全集第一巻』岩波書店 2017年)

  ……とする。

  しかし国立国会図書館デジタルライブラリーに「ビードロ屋」の文字は一度しか現れず、「ビードロ屋」の意味の「ビードロや」の文字も漱石のものしか見つからない。他は羅列の「や」、まあ並立助詞の「や」である。

 従って「明治になってもそのようにいう人が少なくなかった。」という注解は甚だ怪しい。逆に明治期、硝子屋という言葉は自然に見られる。

川柳や狂句に見えた外来語 宮武外骨 編半狂堂 1924年

 また「室町時代末から江戸時代まで一般に用いられ」というのもいかがなものか。ポルトガルとの接触は確かに室町時代末期である。与謝蕪村が江戸中期、もし「室町時代末から江戸時代まで一般に用いられ」ていたなら、江戸初期の俳人にビードロの句があってもよさそうなものだ。

 万国物産字引 安倍為任 編安倍為任 1876年

 この字引ではビードロに玻璃、つまり水晶の文字が当てられている。玻璃は宝石である。一般に用いられるものではなかろう。

はり【玻璃・玻瓈】 (梵語sphaṭika; phaḷia)
①仏教で、七宝の一つ。水晶。百座法談聞書抄「―をかけ露をつらぬく点ひとつもかくる事なく」
②ガラスの別称。
③火山岩中に含まれるガラス状物質。

広辞苑


[余談]

ぎょく‐じん【玉人】
1 姿の美しい人。人格の立派な人。
2 玉をみがき、加工する職人。
3 玉で作った人形。

広辞苑

〔玉人〕 yùrén × 美人. 玉の細工師. 玉製の人形.

中日大辞典

【玉人】キ゛ョクシ゛ン
玉を加工する職人。「雖万鎰、必使玉人彫琢之=万鎰と雖も、必ず玉人をしてこれを彫琢せ使めん」〔孟子・梁下〕
玉のように美しい女性。美女。「玉人微嘆倚闌干=玉人微かに嘆じて闌干に倚る」〔呉偉業・琴河感旧〕
玉でつくった人形。

学研漢和大辞典

 主要な辞書類に「玉人」を「至って身分の軽いものだ」というニュアンスはない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?