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「ふーん」の近代文学⑦ 「ふーん」できなかった人

 いくらなんでもさすがに村上春樹を近代文学の枠組みで論じるのはどうかという人もあるかもしれないけれど、村上春樹という人は夏目漱石や谷崎潤一郎作品なんかも読んでいて、世界的に見れば今や夏目漱石のエバンジェリストでもあり、なかなか捨てておけない人なのだ。そして近代文学が抱えていた本質的な問題と云うものに直結している。

 そもそも例えば三島由紀夫は一般的には戦後派に括られていて、近代文学という枠組みは戦前派迄というのが通常の区分けになる。これはまあ常識であり、つまらない常識だ。何も考えない常識というか、意味のない常識だ。三島由紀夫自身は近代文学を全否定していて、王朝物語に連なる意識がある。その感覚がどうも村上春樹にも共通している。そこに気が付くとこんな三島由紀夫のものの云いが妙に面白い。

だけどぼくは、そんなに人間というものを雷みたいに震撼させる必要を認めない。小説は人間をどこかへ連れて行けばいい。長々とただ語って行けばいい。それにはスタイルによって人を物語に乗せることですね。

(「対談 人間と文学」『決定版 三島由紀夫全集40巻』新潮社 2004年)

 繰り返し「物語の力」というものを強調し、スタイルによって人を物語に乗せ、伏線を回収しない村上春樹スタイルは、こんな三島由紀夫の発言にどこか共通したものがある。

 例えば三島由紀夫の『春の雪』にはパズルの比喩があり、黒い犬の死体がある。このわざとらしい仕掛けは最後までほったらかしだ。答えがない。

 村上春樹の『1Q84』では二つの月も「やがて訪れる王国」もほったらかしで酷評された。しかし三島由紀夫の黒い犬の死体に文句を言うものは(私くらいしか)いない。

虚無へ向かってひきずってゆかないものは必ず贋ものだと思う。どこからきた確信か知らないけれども、そう思う。

(「対談 人間と文学」『決定版 三島由紀夫全集40巻』新潮社 2004年)

 こんな三島由紀夫の台詞は、まるで村上春樹に言わされたかのようである。それはもちろん図らずも『天人五衰』の予告のようなものになってしまったわけだが、まるで村上春樹作品の落ちの無さをかばっているかのようだ。村上春樹作品には最初から何もない。喪失感を売りにしたどころの話ではない。缶ビールのようなもので小便になるだけだ。ピンボールのハイスコアに賞品は出ない。

だけど小説の目的は、昭和四十二年七月何日に「彼」がはばかりに入っていたということを納得させることだね。

(「対談 人間と文学」『決定版 三島由紀夫全集40巻』新潮社 2004年)

 村上春樹の『羊をめぐる冒険』の第一章のタイトルは「1970/11/25」で、その時主人公の「僕」はICUのキャンパスにいた。その日三島由紀夫は市ヶ谷で生首になった。

日本文学は、太宰治じゃないけれども自分がアウトローになる、あるいは社会から見捨てられてゆく、そういう降下の感覚においてはじめて権威とか行動とか、すべて上昇的なものを否定できる。

(「対談 人間と文学」『決定版 三島由紀夫全集40巻』新潮社 2004年)

 村上春樹作品の主人公たちはいつも組織からはぐれたアウトローばかりだった。成功者はいた。しかし仲間はいないし、権力とは無縁だ。村上春樹はいつも卵の側にいた。なんなら川奈天吾は同僚に代講を頼んで休暇を取りながらお土産を買わない。村上春樹自身がサラリーマン経験がないために、そうした常識を欠いた部分があるのかもしれないが、同僚に代講を頼んで休暇を取りながらお土産を買わないというのはさすがにアウトロー過ぎる。

いまだにぼくを含めて石原君でも大江君でもみな息子の文学をずっとやってきている。そうすると、文学をやりながらどうして父親になれないのだろうかということは、露伴、鴎外は別として、実に不思議な問題で、自分の青春からどうして文学を引き離せないかということですね。

(「対談 人間と文学」『決定版 三島由紀夫全集40巻』新潮社 2004年)

 村上春樹作品は一人っ子文学、息子の文学だ。そう自覚して書き続けた。

 村上春樹作品では『国境の西、太陽の南』と『騎士団長殺し』だけが息子の文学から外れる。しかしそれを三島由紀夫が言うような「ファーターの文学」として規定できるかと言えば甚だ怪しい。

 夏目漱石作品でも『吾輩は猫である』と『道草』を例外として、残りは息子の文学側にある。そして吾輩は息子であり、『道草』の健三は父たることを拒んでいるようにも見える。その感覚はどこか『国境の西、太陽の南』に似ている。『騎士団長殺し』では何とか無理やり父親にはなるものの、それはほんの付け足しで、そこにいるのはただのテレビウォッチャーだ。村上春樹は三島由紀夫の言葉から逃れようとして何とか頑張りながら、どうしても「ファーターの文学」は書けなかった。

 何しろ漱石は時代を超えて三十歳の男に、村上春樹は三十七歳の男に拘り続けた。『明暗』の津田由雄が三十歳であることは恐らく何か本質的な問題なのだ。その本質的な問題を村上春樹は引き受けた。

 村上春樹は明らかに三島由紀夫が言う近代文学の「実に不思議な問題」に付き合わされている。

カフカみたいな男もおりますけれども、あれは気ちがいですからね。

(「対談 人間と文学」『決定版 三島由紀夫全集40巻』新潮社 2004年)

 少々わかりにくいがこれは三島由紀夫がカフカを最大限に褒めているところだ。そちら側には三島由紀夫自身も入る。これは誹謗中傷ではなく本人がそう言っている。

 村上春樹は庄司薫の「薫くん」同様、ドストエフスキーとカフカが好きな作家だ。村上春樹はドストエフスキーに関しては好きだということを隠していなかったが、『カフカの海辺』が出る前までは、カフカ好きということを公言していなかった筈だ。しかし私は最初から知っていた。

 村上春樹が三島由紀夫に呪われでもしているかのようなことを書いた。一つ言えるのは村上春樹は三島由紀夫に「ふーん」が出来なかったということだ。三島由紀夫が太宰治を「ふーん」できなかったように。

 そうした「ふーん」出来ない関係の中で日本文学は紡がれていく。その他無数の「ふーん」はスパーム・コンンペティションの敗者のため息に過ぎない。





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