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夏目漱石論2.0

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2022年10月の記事一覧

芥川龍之介の『保吉の手帳から』をどう読むか①  カプグラ症候群ではない

芥川龍之介の『保吉の手帳から』をどう読むか① カプグラ症候群ではない

それは冗談として

 太宰治の名言と言えば何と言っても「ワンと言えなら、ワン、と言います」(『二十世紀旗手――(生れて、すみません。)』)だろうと思う。そのタイトルごと、日本文学史上最高の名言と言って良いのではないか。
 夏目漱石には「そりゃ、イナゴぞな、もし」他スマッシュ・ヒットが数多い。しかし芥川龍之介の名言はなんだろうと思い出そうとしても、これというものが浮かばない。教科書的に言えば中島敦の

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『彼岸過迄』を読む 4355  時系列で整理しよう④ 市蔵は百代子に嵌められた

『彼岸過迄』を読む 4355  時系列で整理しよう④ 市蔵は百代子に嵌められた

 以前

 として、百代子が千代子と高木の交際を取り持ったのではないかという話を書きました。須永市蔵は田口家の正月の歌留多にも呼ばれないので、百代子からは嫌われていたのではないかと。

 この点、よくよく読んでみると百代子はもう少し意地が悪いのかもしれません。おそらく鎌倉の避暑に来るように高木に連絡したのは百代子です。関係性からするとそうなります。
 そしてこんなこともしていました。

 ここなん

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『彼岸過迄』を読む 4354  時系列で整理しよう③ 作は千代子に嫉妬していた。

『彼岸過迄』を読む 4354  時系列で整理しよう③ 作は千代子に嫉妬していた。

 昨日はこの「過去一年余り」か「過去一年半余り」かというところで筆を置いた。時系列で整理しようと云いながら、「過去一年余り」と「過去一年半余り」が曖昧では話にならないからだ。しかしここは一日置いて眺めてもちょっと答えが出そうにない。ただ鎌倉の海水浴は須永市蔵が大学三年の期末、四年になる前の夏休みの出来事であり、翌年の夏には須永は見事に高等遊民になり、さらにその半年後、9、10、11、12、1、2、

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『彼岸過迄』を読む 4353  時系列で整理しよう② その日は旗日ではない

『彼岸過迄』を読む 4353  時系列で整理しよう② その日は旗日ではない

 昨日私は『彼岸過迄』を時系列で整理して、いや、時系列で整理しきれなくて、「雨の降る日」が何年前の出来事なのか不明だということを突き止めた。去年でも十年前でもなさそうだが、三年前なのか五年前なのか分からない。しかしこのことも近代文学1.0の世界では殆ど言われてこなかった筈だ。

 三層の意識構造や回想と現在との行き来によって『彼岸過迄』は読者を幻惑させている。特に「二三日前」、「矢来の叔父さんの家

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『彼岸過迄』を読む 4352  時系列で整理しよう① 咲子は今何歳なのか?

『彼岸過迄』を読む 4352  時系列で整理しよう① 咲子は今何歳なのか?

 夏目漱石作品の中でも『彼岸過迄』ほど読者に頭の負担を強いる作品は他にないと思います。それはまず、作品全体を田川敬太郎を主人公とした冒険譚として読むことを「結末」で規定されていることから、「松本の話」の中の須永市蔵の手紙を松本恒三が読むことを意識しながらさらにその語りを田川敬太郎が聴いている体で読まなくてはならないという複雑な構造になっているからです。これが何度試しても読者として読んでしまい、田川

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『彼岸過迄』を読む 4351 松本恒三と田口千代子は「交際」していたのか?

『彼岸過迄』を読む 4351 松本恒三と田口千代子は「交際」していたのか?

「若い女には誰でも優しいものですよ。あなただって満更経験のない事でもないでしょう。ことにあの男と来たら、人一倍そうなのかも知れないから」と田口は遠慮なく笑い出した。

→田口要作から見て
①松本恒三は人一倍若い女に優しい男

②田川敬太郎は少しは経験のある男

 私は昨日までこの「肉体上の関係があるものと思いますか」という田口要作の言葉を剽軽では片付けられない下品なジョークだと思いこんでいました。

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『彼岸過迄』を読む 4350 赤い煉瓦は上野駅 高等出歯亀はBL論を排す

『彼岸過迄』を読む 4350 赤い煉瓦は上野駅 高等出歯亀はBL論を排す

 書いてあることを読むとはどういうことか

「敬太郎はそれほど験の見えないこの間からの運動と奔走に少し厭気が注して来た」→「敬太郎はそれほど成果の見えないこの間からの就職活動に少し厭気が注して来た」

「で、今夜は少し癪も手伝って、飲みたくもない麦酒をわざとポンポン抜いて、できるだけ快豁な気分を自分と誘って見た。」→「敬太郎はストレスを酒で紛らわせるタイプだ」

「赤いだろう。こんな好い色をいつま

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『彼岸過迄』を読む 4349 黒の中折れを巡って「色変りよりほかに用いる人のない今日」とは?

『彼岸過迄』を読む 4349 黒の中折れを巡って「色変りよりほかに用いる人のない今日」とは?

 何度読み返してもよく分からないのは、田川敬太郎の探偵の下りで、途中でどうも目的が入れ替わり、殆どまぐれ当たりでことをし遂せたような書き方になっていることだ。

 田川敬太郎が松本恒三の黒子を確認するのは宝亭に入った後である。つまりそれまで、

①「今日四時と五時の間に、三田方面から電車に乗って、小川町の停留所で下りる」
②「四十恰好の男」
③「黒の中折に」
④「霜降の外套を着て」
⑤「顔の面長い

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『彼岸過迄』を読む 4348 須永市蔵は何故東京語が嫌いなのか?

『彼岸過迄』を読む 4348 須永市蔵は何故東京語が嫌いなのか?

 神戸から来た客が何故東京語を使うのかという問題はさておくとして、何故須永市蔵は東京語を嫌うのでしょうか。須永市蔵の言葉は「こてこて」とは言わないまでも矢張り東京語であり、東京語以外の何語であるとも言えません。

 これはまあ、東京語でしょう。

 しかしここで須永市蔵の言う「東京語」というのはいわゆる標準語とは少し違うものなのかもしれません。

 この須永市蔵の母親の言葉が江戸弁で、神戸から来た

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『彼岸過迄』を読む 4347 須永市蔵と田口千代子は混浴したのか?

『彼岸過迄』を読む 4347 須永市蔵と田口千代子は混浴したのか?

 先日、こんな記事を書きました。

 それからこんな、

 方向性からすると同じような指摘で、松本恒三も田川敬太郎も少しは色の遊びをしただろうという程度の話です。これが今のポリティカルコネクトネスみたいな世界では感覚的になかなか受け入れがたいことなのだということは理解できます。そして夏目漱石作品では色の遊びの話は明示的には『それから』にしか現れないことから、そのご清潔でご立派な世界観の中では、「少

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『彼岸過迄』を読む 4346 田川敬太郎は童貞なのか?

『彼岸過迄』を読む 4346 田川敬太郎は童貞なのか?

 田川敬太郎は童貞なのだろうか。三四郎はどうも童貞のように思える。『坊っちゃん』の「おれ」もまだ女を知らなさそうだ。と、突然こんなことを言い出すのは、

 この『彼岸過迄』という小説がモラトリアム小説であると同時に、田川敬太郎を中心に見た時には若者の生きづらさを描いた青春小説にも思えるからだ。そしてさらに須永市蔵の偏屈な千代子への思いを確かめると、これが童貞小説にも見えて來るから困ったものだ。
 

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『彼岸過迄』を読む 4345 田川敬太郎は宝亭でしこたま酒を飲んだのか?

『彼岸過迄』を読む 4345 田川敬太郎は宝亭でしこたま酒を飲んだのか?

 今回はそんなに深い話ではありません。
 ただ初見では見逃しそうなことなので、小学校八年生を目指すなら是非とも押さえておきたいというくらいの話です。

 焦点を焼点と書く人は少ないので、漱石作品に焼点とあるとつい当て字かと思いこんでしまいかねませんが、当て字ではないよという程度の話です。「ついなんとなく」見逃してしまう、「ついなんとなく」思いこんでしまう、ということで、このような誤読が拡散されてし

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『彼岸過迄』を読む 4344  松本恒三は荒川を渡ったのか?

『彼岸過迄』を読む 4344 松本恒三は荒川を渡ったのか?

 谷崎潤一郎の小説『華魁』に「大八幡」という言葉が出てきます。京橋霊岸島から永代橋を渡って洲崎の「大八幡」へお使いに行くという話になります。霊岸島は東京都中央区新川の旧名、京橋は京橋区という意味。今の京橋より隅田川寄りで、八丁堀、茅場町の向こうです。洲崎は東京都江東区東陽一丁目の旧町名です。明治21年(1888)に根津から遊郭が移転しました。永代橋を渡って「大八幡」へ行くということは「根津遊廓」へ

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『彼岸過迄』を読む 4343 松本恒三は何故前後即因果の誤謬を持ち出したのか?

『彼岸過迄』を読む 4343 松本恒三は何故前後即因果の誤謬を持ち出したのか?

 多くの人が『彼岸過迄』といえば「須永の話」で、千代子と市蔵のかなわない恋、市蔵の出生の秘密が肝だ、と決めつけているようです。しかし「雨の降る日」も実話そのまま、日記のそのままの部分があるとはいえ、一つの短篇小説としては「しっとり」として上手く書かれていると思います。しかし「須永の話」は読み終わった後で「停留所」の見方が変わってくるという仕掛けを持っており、「親子二人の静かな暮らしぶり」がより床し

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