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『彼岸過迄』を読む 4347 須永市蔵と田口千代子は混浴したのか?

 田口は昔ある御茶屋へ行って、姉さんこの電気灯は熱り過ぎるね、もう少し暗くしておくれと頼んだ事があるそうだ。下女が怪訝んな顔をして小さい球と取り換えましょうかと聞くと、いいえさ、そこをちょいと捻って暗くするんだと真面目に云いつけるので、下女はこれは電気灯のない田舎から出て来た人に違ないと見て取ったものか、くすくす笑いながら、旦那電気はランプと違って捻ったって暗くはなりませんよ、消えちまうだけですから。ほらねとぱちッと音をさせて座敷を真暗にした上、またぱっと元通りに明るくするかと思うと、大きな声でばあと云った。田口は少しも悄然ずに、おやおやまだ旧式を使ってるね。見っともないじゃないか、ここの家にも似合わないこった。早く会社の方へ改良を申し込んでおくといい。順番に直してくれるから。とさももっともらしい忠告を与えたので、下女もとうとう真に受け出して、本当にこれじゃ不便ね、だいち点けっ放しで寝る時なんか明る過ぎて、困る人が多いでしょうからとさも感心したらしく、改良に賛成したそうである。(夏目漱石『彼岸過迄』)

 先日、こんな記事を書きました。

 それからこんな、

 方向性からすると同じような指摘で、松本恒三も田川敬太郎も少しは色の遊びをしただろうという程度の話です。これが今のポリティカルコネクトネスみたいな世界では感覚的になかなか受け入れがたいことなのだということは理解できます。そして夏目漱石作品では色の遊びの話は明示的には『それから』にしか現れないことから、そのご清潔でご立派な世界観の中では、「少しは色の遊びをしただろう」というような見立ては深読みの言いがかりのように思われかねないことも理解できます。
 しかし夏目漱石作品の時代というものを考えれば、そこは明確に「下女」や「飯炊き」や「小間使い」という階級が存在する社会で、今とは全く社会の仕組みが異なる世界であり、素人や黒人の売笑婦が春を売る今と何ら変わらない世界であったことは事実です。

 たとえば「田口は昔ある御茶屋へ行って」……という話を田川敬太郎は須永市蔵の母親から聞かされます。「田口は昔ある御茶屋へ行って」とさらりと言われていますが、これは「今では相当に地位のある義弟が色の遊びをしたこと」を「これから義弟と関係を持とうとしている息子の友人」に話しているわけですから、今の感覚でいえばずばり不適切です。まあ、天然という感じがします。しかし当時はこの程度の話は何でもなかったと考える方がむしろ自然なのかもしれません。

 桜井忠温が疑っているように、松山時代の夏目漱石は怪しいのです。高給取りなのにお金がないと言っています。体育教師の月給は十円ですよ。

 兎に角八十圓は大した月給取りである。家賃は五六圓も出せば中學校の校長くらゐは立派に入れた時代だから、下宿をしたところで十二三圓はかゝらなかつたらう。明治二十八年の松山である。道樂でもしない限り、金の要る道理がない。先生が品行方正であつたなら「のだいこ」や「赤ノヤツ」のやうに藝者買ひに浮身をやつさなければ月給は丸殘りであつたに違ひない。月の十五目でもうスツカラカンになるなんていふことはなかつたはずだ。

 この指摘は案外重要です。実際夏目漱石自身が少しは芸者を買っていて、そのことを『坊っちゃん』では赤シャツのエピソードとして堂々と明かして笑い飛ばした、とは考えられないでしょうか。モデルと小説の関係云々の話ではなく、時代感覚の話として、色の遊びの話はさして下品でも猥褻でもなかったのではないかとも考えられるということです。
 何しろ電気灯の明るさが調整できない時代の話です。

 漱石作品はご清潔でご立派な世界観を持っていると書きましたが、一方で「ちいと流しましょうか」と言いながら子持ち女が風呂に入ってきて帯を解きだすわけです。『三四郎』に現れるこの女の里は、どうやら四日市の方です。四日市辺りの田舎では、まだ混浴禁止が徹底されていなかったのではないでしょうか。

「どうします姉さん、風呂は」と聞いて見た。
 嫂も明るいうちには帰るように兄から兼ねて云いつけられていたので、そこはよく承知していた。彼女は帯の間から時計を出して見た。
「まだ早いのよ、二郎さん。お湯へ這入っても大丈夫だわ」
 彼女は時間の遅く見えるのを全く天気のせいにした。もっとも濁った雲が幾重にも空を鎖とざしているので、時計の時間よりは世の中が暗く見えたのはたしかに違いなかった。自分はまた今にも降り出しそうな雨を恐れた。降るならひとしきりざっと来た後で、帰った方がかえって楽だろうと考えた。
「じゃちょっと汗を流して行きましょうか」
 二人はとうとう風呂に入った。(夏目漱石『行人』)

 和歌山の宿で二郎と直は風呂に入ります。今なら必ず男湯と女湯と別れて入るだろうとついつい考えてしまいますが、当時の和歌山辺ではどうだったでしょう。これは書かれていないことなので勝手に付け足してはいけませんが、この「とうとう」ってなんですかね。三四郎は九州の田舎者なので混浴に驚きますが、制度としては混浴が禁止された時代にあっても、感覚として混浴は「とうとう」くらいなものではなかったでしょうか。

 千代子と百代子は母のために浴衣を勧めたり、脱ぎ捨てた着物を晒干してくれたりした。僕は下女に風呂場へ案内して貰って、水で顔と頭を洗った。海岸からはだいぶ道程のある山手だけれども水は存外悪かった。手拭いを絞って金盥の底を見ていると、たちまち砂のような滓が澱んだ。
「これを御使いなさい」という千代子の声が突然後でした。振り返ると、乾いた白いタオルが肩の所に出ていた。僕はタオルを受取って立ち上った。千代子はまた傍にある鏡台の抽出しから櫛を出してくれた。僕が鏡の前に坐って髪を解かしている間、彼女は風呂場の入口の柱に身体を持たして、僕の濡れた頭を眺めていたが、僕が何も云わないので、向うから「悪い水でしょう」と聞いた。僕は鏡の中を見たなり、どうしてこんな色が着いているのだろうと云った。(夏目漱石『彼岸過迄』)

 この風呂はどうでしょう。須永市蔵は「鏡の前に坐って髪を解かして」いるので脱衣所にいるということですよね。千代子は「風呂場の入口の柱に身体を持たして、僕の濡れた頭を眺めていた」とありますので脱衣所に入ってきています。これは千代子が男湯の脱衣所に這入ってきたと言うことでしょうか?

 そうは書かれていませんね。男湯とは書かれてません。

 浴衣のまま、風呂場へ下りて、五分ばかり偶然と湯壺のなかで顔を浮かしていた。洗う気にも、出る気にもならない。第一昨夕はどうしてあんな心持ちになったのだろう。昼と夜を界さかいにこう天地が、でんぐり返るのは妙だ。
 身体を拭くさえ退儀だから、いい加減にして、濡れたまま上って、風呂場の戸を内から開けると、また驚かされた。
「御早う。昨夕はよく寝られましたか」
 戸を開けるのと、この言葉とはほとんど同時にきた。人のいるさえ予期しておらぬ出合頭の挨拶だから、さそくの返事も出る遑さえないうちに、
「さ、御召しなさい」
と後へ廻って、ふわりと余の背中へ柔かい着物をかけた。ようやくの事「これはありがとう……」だけ出して、向き直る、途端に女は二三歩退いた。(夏目漱石『草枕』)

 この『草枕』の舞台は熊本県玉名市にある小天温泉とされています。この場面、どうも画家は正面を見られています。これは女が覗きに来たわけではなく、混浴ということでしょう。

 婦人は温泉煙の中に乞食のごとく蹲踞る津田の裸体姿を一目見るや否や、いったん入りかけた身体をすぐ後へ引いた。
「おや、失礼」
 津田は自分の方で詫まるべき言葉を、相手に先へ奪られたような気がした。すると階子段を下りる上靴の音がまた聴こえた。それが硝子戸の前でとまったかと思うと男女の会話が彼の耳に入った。
「どうしたんだ」
「誰か入ってるの」
「塞ってるのか。好いじゃないか、こんでさえいなければ」
「でも……」
「じゃ小さい方へ入るさ。小さい方ならみんな空いてるだろう」
「勝さんはいないかしら」
 津田はこの二人づれのために早く出てやりたくなった。同時に是非彼の入っている風呂へ入らなければ承知ができないといった調子のどこかに見える婦人の態度が気に喰わなかった。彼はここへ入りたければ御勝手にお入んなさい、御遠慮には及びませんからという度胸を据えて、また浴槽の中へ身体を漬つけた。(夏目漱石『明暗』)

 この『明暗』の舞台は神奈川県の湯河原温泉とされています。ここは当時完全な混浴とは言わないまでも男湯女湯という区別がなかったように描かれています。津田は裸を見られてしまっています。『行人』の和歌山の宿(富士屋旅館)が混浴であったかどうかは解りません。『草枕』の小天温泉はどうも混浴です。そもそも『三四郎』の名古屋の宿の場合も、明確に男湯女湯が分かれていたわけではないと考えられます。

 ただ『彼岸過迄』の鎌倉の宿の場合、脱衣場に千代子が入ってくることからむしろ男湯女湯が明確に分かれていたとは考えづらいと言えます。
 つまり明確には書かれていませんが、須永市蔵と田口千代子は混浴した可能性がないとは言えないということになります。それを現在の感覚だけを根拠に「そんなことは絶対にあり得ない」と決めつけることは、そもそも本を読む、読書、文章読解、いずれでもありません。須永市蔵と田口千代子の関係は「風呂の後」にもさして変化はありません。

 風呂なんてその程度の事なのです。


[余談]

 LGBTの未来においては、そもそも他人と一緒の脱衣・入浴が禁止されるのではなかろうか。仮に今の感覚で混浴を嫌悪するなら、そうなるべきだろう。男湯女湯だけの区別では必ず猥褻になる。

 江戸時代の混浴が異常なのではなくて、こんなものは単なる時代感覚なのだ。今の自分の感覚だけを頼りに夏目漱石作品を読むことはけしてできない。今の自分の感覚なんてものは「屁」のようなものなのだ。そのことさえ理解できない人が駄目な感想文を書いている現在が、必ず異常と見做される未来があるだろう。そのために今日私は書いている。




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