『彼岸過迄』を読む 4344 松本恒三は荒川を渡ったのか?
谷崎潤一郎の小説『華魁』に「大八幡」という言葉が出てきます。京橋霊岸島から永代橋を渡って洲崎の「大八幡」へお使いに行くという話になります。霊岸島は東京都中央区新川の旧名、京橋は京橋区という意味。今の京橋より隅田川寄りで、八丁堀、茅場町の向こうです。洲崎は東京都江東区東陽一丁目の旧町名です。明治21年(1888)に根津から遊郭が移転しました。永代橋を渡って「大八幡」へ行くということは「根津遊廓」へ遊びに行くという意味になります。
吉原に行くことは大門をくぐるとも言います。
私はこれまで谷崎潤一郎は女遊びのことを書くことに遠慮がなかったが、夏目漱石作品作品のうちで明確に女を買ったとみられるのは『それから』の代助が赤坂の待合で一晩過ごしたエピソードのみであり、村上春樹さんの場合は『木野』の熊本での出来事のみだと書いてきました。それ以外では仄めかしすらないのではないかと。しかし何か見落としはなかったでしょうか。
千代子と西洋料理店・宝亭(多賀羅亭)で食事をした後、松本恒三は江戸川行の電車に乗ります。「彼らはまた三田線を利用して南へ、帰るか、行くか、する人だとこの時始めて気がついた敬太郎は、自分も是非同じ電車へ乗らなければなるまいと覚悟した」という経路に興味のある方は、
この本で調べてみてください。結局二人は終点まで行くのですが、経路も案外重要なのです。
矢来と本郷三丁目の位置関係はこんな感じです。
江戸川と矢来の関係はこんな感じです。江戸川行の電車に乗った、終点で降りた、俥に乗った矢来の交番辺りで見失った……これやはりおかしいですよね。松本恒三は荒川も墨田川も渡っていないのではないでしょうか。
小川町と矢来の位置関係がこうなので、そもそも江戸川「方面」行の電車に乗る筈もないのです。では何故か江戸川行の電車が逆方向に進んだのかと言えば、そうでもないように思えます。
小川町から九段下を経て矢来に至る経路は、それが何線であれ至極まっとうな道筋に見えます。「江戸川行」「終点」がむしろ変なのです。
もう解りましたね。「江戸川行」は単に「江戸川橋行」だったというわけです。
結局ルートはこんなものになりました。いや実は私はむしろ「矢来の交番」を読み落として、何回か読み返していてもこの「江戸川行」「終点」が呑み込めず、松本恒三は何をしにあんな遠くまで行ったんだろう、田川敬太郎も帰りは大変だったろうとさえ思っていました。案外こんなことはさらっと読み飛ばされてなかったでしょうか。
特に地方在住者の皆さん‼
しかしさすがは高等遊民の松本恒三です。帰りはまっすぐで、お行儀がいいですね。家庭的です。村上春樹さんも「女房とするのはいいものだ」と言ってましたしね。この発言、対談相手の村上龍さんに「なんだかものすごいですね」と引かれていましたが。
なんて言っていましたが、そりゃ、「女房とする」のが「大事な用」とは言えませんものね。
帰りはまっすぐで……。
ん?
で、小川町での千代子との待ち合わせには何で一時間も遅れたんでしたっけ?
こう松本恒三は説明していますよね。しかしなら何故一時間も遅れたのでしょうか?
その一時間、松本恒三は一体どこで誰と何をしていたのでしょうか?
それは田口要作が予想もしなかったことです。お腹がすくようなことです。後で奥さんにも「ああ、千代子に西洋料理をおごらされてね」としっかりアリバイが出来ると踏んで、やったあることです。
三四郎は千代子が本郷か、亀沢町方面に行くのかと勘違いします。実はそちらから来る松本恒三を待っていたわけです。亀沢町から折り返す電車なら、深川方面から来ることになります。
これは松本恒三が洲崎方面というよりむしろ吉原方面からやってくるという仄めかしではないでしょうか。いずれにせよ松本恒三は荒川は渡らないまでも隅田川は渡ってきたのでしょう。距離的にそんな感じがします。
では川向うで一体何があったのでしょうか? 誰とどんなことをしていたのでしょうか。そもそも何故松本恒三は珊瑚樹の珠に精通しているのでしょうか。
ここは千代子の言い分が正しいと思います。珊瑚樹の珠など女にやるものです。いや銀側時計に装飾として加えられるものでした。
とりあえず川向うで何があったのかということは、異世界の話なので誰にも解りません。何があったにせよ、千代子に言える話ではありません。ちなみに村上春樹さんはセックスでお腹がすいて寿司を食べるそうです。これ安西水丸さんに「セックスでお腹がすいて寿司を食べるなんて村上君ぐらいだよ」と揶揄われていました。
何の話?
※ちなみに江戸川橋を「江戸川」と呼ぶのは夏目漱石の勝手でもなんでもなく、芥川も『田端日記』で「矢来から江戸川の終点に出ると……」と大正八年に普通に使っている。
[余談]
ただ資料をひっくり返して丁寧に読んでいても捉えられないことがある。
たとえば詩心がそうだろう。大塚楠緒子の詩を罵倒して漱石が書いた『從軍行』をただへんてこりんで片付けるのはもったいない。
「水底の感」のように楽しむべきなのだ。
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