『彼岸過迄』を読む 4346 田川敬太郎は童貞なのか?
田川敬太郎は童貞なのだろうか。三四郎はどうも童貞のように思える。『坊っちゃん』の「おれ」もまだ女を知らなさそうだ。と、突然こんなことを言い出すのは、
この『彼岸過迄』という小説がモラトリアム小説であると同時に、田川敬太郎を中心に見た時には若者の生きづらさを描いた青春小説にも思えるからだ。そしてさらに須永市蔵の偏屈な千代子への思いを確かめると、これが童貞小説にも見えて來るから困ったものだ。
童貞小説とはなかなか厄介なもので、庄司薫の『赤頭巾ちゃん気をつけて』では主人公の薫君が、白衣の下は裸の美人の女医に「好きです」と告白したり、『白鳥の歌なんか聞こえない』ではおさなじみの一条由美ちゃんに抱きつきながらジーンズの中に射精してしまったりもする。総じて若い男というものは始終そっちのことで頭がいっぱいで、巧く心のバランスが取れていないものなのだ。だから童貞小説ではリアルになれば成る程、ところどころでアンバランスな精神の動きが現れる。
この記事で書いた赤ん坊連れの女に対する田川敬太郎の「おかしな」感覚も、これを童貞小説と見ることで少しは得心できる。また、
この記事に書いた須永市蔵の嫉妬のあまり重い文鎮を相手の脳天の骨の底まで打ち込むような感情の激しさも少しは理解できるような気がする。私もまだ小学校七年生で童貞なので、童貞の頭の可笑しいところがよく分かるのだ。兎に角理屈ではなくアンバランスなものがある。
たとえばこの「女はいっさい出て来なかった」という表現の内にも、田川敬太郎の童貞性といったものが現れているかもしれない。「いっさい」とはなんだ。無駄に残念がってはいまいか。職業の斡旋依頼と引き換えに頼まれた用事の報告に他人の家に上がって、「女はいっさい出て来なかった」とはどんな感覚かと言えば、新入社員が入社当日集団で健康診断に連れていかれる時に引率の総務課の女子社員の胸を見てしまうとか、看護師さんの「ちくっとしますよ」に惚れるとか、そんな感覚だろうか。
田口要作が接遇を男に任せたのは、「千代子を出せない」という事情からだろうが、そんな事情を知る筈もない田川敬太郎の「女はいっさい出て来なかった」はやはりおかしい。
ただ本当に田川敬太郎は童貞なのだろうか。
このような会話の裏にあるもの。そして、昨日書いた記事の、
二日酔いとだけ書かれて、飲酒の場面が書かれないという漱石の記述法などから考えて、
これは冗談は冗談だとして、その裏返しもあるからこそ「敬太郎は少し羞痒ったいような気がした」のではなかろうか。つまり田川敬太郎もYOASOBIくらいは経験があるのではないかと、今日の時点では考えている。昨日はまだ考えていなかった。漱石もいちいち言わないまでも「女は妊娠ばかりしていて困る」というくらいしていたわけで、健康な成人男子が何もなくて落ち着いていたらそれは病気だ。いや病気の正岡子規だって、女も男も知っていた。漱石の断片にも「肛門 プレートニツクラツブの条と連結す」というものがある。
この「自分で自分の身を喰うような臨時費」とは何かと考えてみるとどうも怪しい。単なる飲み食いの金ではなさそうだ。「自分で自分の身を喰う」が抽象的すぎる。いや具体的使用されるケースとしては「蛸配」のことで蛸が自分で自分の足を食べることから、企業等が利益が出ていないのに配当することを言う。株の世界では。では他にどんな意味があるかと言えばこれが解らない。ただ抽象的であるということは、具体的には書けないことなのではなかろうか。
出すのか出るのか出さされるのかわからないが、それでも金をとられることを「自分で自分の身を喰う」と表現したのではなかろうか。こっちばかり活動してお腹が空いて寿司を食いたくなるのに金迄とられるから「自分で自分の身を喰う」と表現したのではなかろうか。
漱石はこのように助平心を強調しつつ、やはり三四郎よりは不純な性格を田川敬太郎に与えているように見える。いつどこで誰ととは書かれないにしても、田川敬太郎には三四郎よりは少しは経験があるようだ。それは「自分で自分の身を喰うような臨時費」のお蔭で得たものであり、その結果として「君もこの頃はだいぶ落ちついて来たようだ」と評されるようになったのではないか。
これは絶対そうだという話ではないし「自分で自分の身を喰うような臨時費」の意味はさっぱり分からないという話でも無い。これを辛抱強く続けて行かなくては『彼岸過迄』を読んだとは永遠に云えないよ、という話である。
[余談]
このイケメンは昭和天皇である。上の写真では右眉の上に大きな黒子のようなものが見える。下の写真にはない。というより、黒子のある写真は見たことがない。ということは、昔から黒子は手術で取るべきものだったのだろうか。
この辺りの感覚も時代によって異なるのかもしれない。
黒子があっても十分イケメンなのに。
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