マガジンのカバー画像

夏目漱石論2.0

784
運営しているクリエイター

2021年5月の記事一覧

夏目漱石の『こころ』をどう読むか⑮ 蕎麦湯

夏目漱石の『こころ』をどう読むか⑮ 蕎麦湯

蕎麦湯 こうしてみると、未亡人の奥さんは先生に対して必要以上にとても親切に思えます。まるでお母さんです。着替えを手伝ったり、蕎麦湯を飲ませたりと、ただの下宿人に対する態度ではありません。それを先生の方では気が付かないのであんなことになるのですが、先生ばかりを気が付かないと責めるのは間違いですね。私も昨日まで気が付かなかったのですが、清が「おれ」に鍋焼饂飩や蕎麦湯を食わしてくれたのは、具合が悪く見え

もっとみる
夏目漱石の『こころ』をどう読むか⑨ 「私」は静に子を産ませたのか?

夏目漱石の『こころ』をどう読むか⑨ 「私」は静に子を産ませたのか?

「私」は静に子を産ませたのか?

 何十回と読み返してみれば、この引用部分には様々な意味が込められていることが解る。これまで私はこの引用部分からおおよそ以下の様な意味を取り出してきた。

もっとみる
夏目漱石の『こころ』をどう読むか⑧ BL論は馬鹿丸出し

夏目漱石の『こころ』をどう読むか⑧ BL論は馬鹿丸出し

BL論
 今回もどうしても厳しい内容になってしまっています。何と言いますか、マイナンバーは11桁だとツイッターで宣言する人がいます。これは事実ではないでしょう。そういう場合、私は違いますよと言います。マイナンバーは12桁です。それは明確な違いですよね。その程度のことを指摘されて誹謗中傷されたと騒がれても困ります。事実なんですから。

 事実を認めることのできない気の弱い人は読まないでください。『こ

もっとみる
夏目漱石の『こころ』をどう読むか⑦ 何故雑司が谷霊園なのか

夏目漱石の『こころ』をどう読むか⑦ 何故雑司が谷霊園なのか

何故雑司が谷霊園なのか
 今回も厳しい書き方をします。曖昧にしたくないので、追い詰めます。気の弱い方は読まないでください。今迄いい加減な事を書き散らしていた人はくさくさして死にたくなると思います。

 本来小説など好きに読めばいいのです。作品を読んでどんな感想を持つのも自由です。しかし自分の読解力不足から『行人』や『こころ』を駄作だ、失敗作だと「批評・批判」している人がいて、その人がプロを自称して

もっとみる
夏目漱石の『こころ』をどう読むか⑥ 書いてあることを読む

夏目漱石の『こころ』をどう読むか⑥ 書いてあることを読む

書いてあることを読む 間違った解釈、感想文、批評はその殆どが「書いてあることを読まないで、書いていないことを勝手に付け足す」というスタイルをとります。明治の精神を「明治十年代が持っていた多様な可能性の事だ」と柄谷行人が書く時、「その時私は明治の精神が天皇に始まって天皇に終ったような気がしました。」という個所は読まれていなかったことになります。読まないで書いています。しかしこんな出鱈目なミスがありま

もっとみる
夏目漱石の『こころ』をどう読むか⑤ 冒頭をどう読むか

夏目漱石の『こころ』をどう読むか⑤ 冒頭をどう読むか

冒頭をどう読むか 感想文を書く人には是非作品を二回読んで貰いたいと思います。夏目漱石の『こころ』は多分一度読んだだけでは解らない話です。漱石がそういう書き方をしているのです。『行人』もそうですが、やはり一度読んだだけでは解りません。読み返してみて、ああ、なるほど、となります。

 この冒頭には色々と仕掛けがあります。しかし読み直しをしないと仕掛けが見えません。

 再読すればこの「よそよそしい頭文

もっとみる
夏目漱石の『こころ』をどう読むか④ 『こころ』の結末

夏目漱石の『こころ』をどう読むか④ 『こころ』の結末

『こころ』の結末

 今回も少し厳しいことを書きますので、気の弱い人は読まないでください。しかし『こころ』について感想文を書いた人は読んでください。noteの参加者はみな「何かを伝えたい」という立ち位置にあると思います。言論の自由というものがありますので、誰が何を書いてもいい訳です。誹謗中傷はいけませんが、面白おかしいことは好きに書けばいい訳です。しかし実際には「迷惑」な場合もあります。古いことを

もっとみる
夏目漱石の『こころ』をどう読むか③ 「真砂町事件」と「蒟蒻閻魔」

夏目漱石の『こころ』をどう読むか③ 「真砂町事件」と「蒟蒻閻魔」

「真砂町事件」と「蒟蒻閻魔」 真砂町事件と蒟蒻閻魔について理解できている人も見当たりません。全部調べるという訳にはいきませんが、調べた範囲では見つかりません。解説しますと威張っている人も気が付いていません。先生は死ぬまでこの恨みを消せないので、ここは把握していないと駄目なのです。これも「現代文B」の範囲外だからかもしれません。しかし『こころ』という作品を読んで感想文を書くのに、この辺りが理解できて

もっとみる
夏目漱石の『こころ』をどう読むか② 「静」と「乃木大将」

夏目漱石の『こころ』をどう読むか② 「静」と「乃木大将」

「静」と「乃木大将」 中学生なら仕方がないとは思いますが高校生の高学年、ましてや大学生ともなれば「静」と「乃木大将」が何なのか解らないで感想文を書いていてはダメでしょう。書いてもいいのですが遠慮がちに、しぶしぶ、恥ずかしそうに書かねばなりません。物凄く威張って堂々と発表して、恥をかかなくてもいいでしょう。受験科目に日本史があれば現代人でも乃木大将は知っていて当然です。それに今は右クリックで何でも検

もっとみる
新しい生活様式と剝き出しの生

新しい生活様式と剝き出しの生

 新しい生活様式という奇天烈な言葉にアガンベンの常態化する「例外状態」と「剥き出しの生」を引き寄せてしまえば、満員の山手線の車内で交わされる外国人や女子大生らの大声でのおしゃべりに対する腹立たしさがいくらかでも和らぐものであろうか。

 そうした集団が下車した途端、ゴキブリは殺せないという話を延々と続ける親子ほどの年の差のある男女が現れる。そのつぶされないゴキブリをつぶさまいとする努力を語る言葉の

もっとみる
夏目漱石の謎

夏目漱石の謎

夏目漱石は夏目金之助だったのか? 夏目漱石にはいくつもの謎があるが、まず何よりもその生い立ちが謎である。『吾輩は猫である』『坊っちゃん』『三四郎』『彼岸過迄』『道草』などで仄めかされているように、夏目漱石自身はウイキペディアにある通りの夏目金之助であることを疑っていた気配がある。何を馬鹿なと言う前に『三四郎』では三四郎の生まれ年について二度問われ、いずれも生まれ年ではなく年齢で答えられたこと、『坊

もっとみる
作物の批評

作物の批評

吾邦未来の文運のため
 余は評家ではない。前段に述べたる資格を有する評家では無論ない。したがって評家としての余の位地を高めんがためにこの篇を草したのではない。時間の許す限り世の評家と共に過去を研究して、出来得る限りこの根拠地を作りたいと思う。思うについては自分一人でやるより広く天下の人と共にやる方がわが文界の慶事であるから云うのである。今の評家はかほどの事を知らぬ訳ではあるまいから、御互にこう云う

もっとみる