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夏目漱石の『こころ』をどう読むか⑦ 何故雑司が谷霊園なのか


何故雑司が谷霊園なのか


 今回も厳しい書き方をします。曖昧にしたくないので、追い詰めます。気の弱い方は読まないでください。今迄いい加減な事を書き散らしていた人はくさくさして死にたくなると思います。

 本来小説など好きに読めばいいのです。作品を読んでどんな感想を持つのも自由です。しかし自分の読解力不足から『行人』や『こころ』を駄作だ、失敗作だと「批評・批判」している人がいて、その人がプロを自称していたなら私は平気で噛みつきます。それくらいに日本文学はやせ衰えているのです。

 ただ噛みつきたいから噛みつくのではありません。限度を超えていたら噛みつきます。それは夏目漱石作品が余りにも安っぽく読み誤られ、涛されているからです。安っぽく読まれ過ぎていて気の毒なのです。そもそも素人が素人として感想を述べるのは自由です。読んでいて、ああ、こんな感じで読み間違うのだなと解るきっかけにもなります。しかし如何にも上から目線で読解しますよ、解説しますよ、と言った瞬間からその人はある程度の責任を負います。教師も同じですよね。数学教師が計算式を間違って教えたら職を追われるでしょう。国語も同じであるべきです。

 確かに国語は曖昧な学問です。常に変化しつつあるものをさも固定されたものかのように捉える学問です。今、日本語には主語はないとして述語を中心にした文法を再構築しようとする動きもあります。漱石の文法も独特のものです。ただ日本語が大きく変化する過渡期に、現代に通じる日本語の塩梅を手計り、一定の安定した文体というものを確立した一人とは言えるでしょう。

 人に物を教えるように書いている以上、その解釈はある程度正確でなくてはなりません。ある程度です。嘘や間違った解釈を振り撒かれるのはたまりません。だから私は「現代文B」の参考書的な『こころ』論には噛みつきます。それは『こころ』が汚されるのが厭だからです。

 漱石は皆迄言わないスタイルの作家です。従って「事実こうである」ではなく「こう仄めかされている」に留められている要素もあります。多様に解釈できるエピソードもあります。しかしそういうことと、読解力不足から勝手な解釈をして「批評・批判」することは全く別の問題です。

 前回書いたことの繰り返しですが、自分はこう思う、と勝手に書いていないことを付け加えるには「ここにこう書いてあるから」という根拠がなくてはなりません。

 Kという呼称は養子に行く前後で変わらないので姓ではありません。名です。加藤家から倉田家に養子に行けば姓でもいいのですが、それならKは加藤か倉田です。Kを幸徳秋水あるいはキング、天皇だと書いている島田雅彦と、工藤一(石川啄木)だとしている高橋源一郎はとてもシンプルに読み誤っていますし、そこに「誤読の自由」などありません。お馬鹿な曲解があるだけです。この二人はあらゆる教師的な立場から引退すべきでしょう。審査などもってのほかです。これは作家だけの話ではありませんよ。

 清が「おれ」の墓に入る話を『漱石劇読』で小森陽一さんは否定しますね。さすがにそれはあり得ないと。しかし二十五円の安月給ですぐに新しい別の墓が買えますかね。先生は金持ちだからKの墓を買えます。「おれ」には無理でしょう。

 そしてこの墓の問題、案外言われていませんがちょっと奇妙じゃありませんか。夏目家の菩提寺は小日向の高源山随自院本法寺です。真宗大谷派の寺です。しかし漱石はわざと雑司が谷霊園にKを埋めますね。Kの家が真宗であることはかなり強調されていますよ。この理屈が解る人がいますか?

 後に雑司が谷霊園にはケーベル先生と漱石自身が埋められます。小説としての『こころ』に描かれる雑司が谷霊園の情景描写には、五女・雛子の墓参りの折の日記の記述が殆どそのまま使用されている部分があります。外国人の墓標を眺める辺りです。

 この雛子の墓に毎月参っていたのは漱石ではなく鏡子夫人です。漱石は毎月の寺参りは多い、命日だけ参ればよいと苦情を日記で述べています。どうして雛子が夏目家の菩提寺に埋められなかったのか、何故漱石自身も菩提寺に埋められなかったのか、その本当の理由は解りません。何となくそれらしい説明は見つからなくもないのですが、どうも釈然としません。一応分家していたので改めて檀家になるとまた金をとられるし、そもそも漱石が浄土真宗を嫌い禅宗に接近していたから、というのが理由らしいのですが、その前に分家の理由もあれこれ言われているのでストーリーとして見えてこないのです。

 しかしその理由を漱石は、真宗のKを雑司が谷霊園に埋めることでなぞっていないでしょうか。

 『道草』を丁寧に読むと、どうしても健三は捨て子です。そのことと雛子、漱石が雑司が谷霊園に埋められることは何か関係していないでしょうか。『坊っちゃん』を書いていた当時、漱石は自分もいずれ小日向の本法寺に埋められることを漠然と思っていたことと思います。しかし雛子が死ぬと何故か本法寺に埋められないことに気が付きました。本当の理由は解りません。解りませんが、何故か夏目家の墓には入れて貰えなかったのです。形式的な分家なんだから、檀家とかそういう問題は本来出てこないような気がするのですが、結果としてはそうです。

 小説『こころ』では真宗のKが日蓮などにも興味を持ち、ぼんやりと棄教が匂わされます。しかし常識で考えれば、そして分家云々のロジックからすれば、復籍しているKの実家が寺なのですから、そこに埋めるべきでしょう。「友達の墓参りの便が良いように雑司が谷霊園に埋める」というのはどうしても不自然です。それに雑司が谷霊園は宗派不問の霊園です。

 先生と私は通りへ出ようとして墓の間を抜けた。依撒伯拉何々の墓だの、神僕ロギンの墓だのという傍に、一切衆生悉有仏生と書いた塔婆などが建ててあった。全権公使何々というのもあった。私は安得烈と彫り付けた小さい墓の前で、「これは何と読むんでしょう」と先生に聞いた。「アンドレとでも読ませるつもりでしょうね」といって先生は苦笑した。
 先生はこれらの墓標が現わす人種々の様式に対して、私ほどに滑稽もアイロニーも認めてないらしかった。私が丸い墓石だの細長い御影の碑だのを指して、しきりにかれこれいいたがるのを、始めのうちは黙って聞いていたが、しまいに「あなたは死という事実をまだ真面目に考えた事がありませんね」といった。私は黙った。先生もそれぎり何ともいわなくなった。
 墓地の区切り目に、大きな銀杏が一本空を隠すように立っていた。その下へ来た時、先生は高い梢を見上げて、「もう少しすると、綺麗ですよ。この木がすっかり黄葉して、ここいらの地面は金色の落葉で埋まるようになります」といった。先生は月に一度ずつは必ずこの木の下を通るのであった。(夏目漱石『こころ』)

 ここは日記の書き写しの場面なのであまり深読みしてはいけないのですが、結果として雑司が谷霊園の特色、宗派不問の墓地であり、外国人も「一切衆生悉有仏生」として埋められる霊園であるという説明になっていますね。神僕ロギンの墓は高源山随自院本法寺にはないわけです。

 初見では、鎌倉で先生と海水浴をしていた西洋人と何か関係があるのかしら、と疑ってもいい描写です。この墓に埋められるKはやはり棄教した人のようではありませんか。真宗は妻帯も自由で犯罪者にも寛容で、自殺したからと受け入れない宗派ではありません。それなのに雑司が谷霊園に埋められてしまいます。そして雛子も、やがては漱石も。

 もし『道草』の健三の不確かな疑惑が本当で、漱石が貰われた子であり、兄が雛子を夏目家の菩提寺に埋めることを拒んだのだとしたら、雛子は雑司が谷霊園に埋められても良いのです。

 そうでないとしたらやはりKを「友達の墓参りの便が良いように雑司が谷霊園に埋める」というのは変なのです。作品としての『こころ』では先生は墓守をして立派だ、実家は薄情だと見ていいと思います。ある意味執着し過ぎで、飼育からお墓じゃまるでペットではないか、とも感じますが、兎に角独り占めですね。妻とも墓参りしないのですから。

 それからこれも言われませんが、先生の墓はどうなったんでしょうか。これは書かれていないので、書かれているところから考えなければなりませんね。先生の実父母の墓は山の中ですが、先生は二度と墓参りしないと言っていて、二人が参るのはKの墓です。静は先生の実父母の墓の場所を知らないでしょう。静は合いの子と言われます。静の父親は鳥取の人です。静の母は市ヶ谷の生まれであり、市ヶ谷に親戚(叔母)がいるので、東京に母の実家の墓がありそうではありますが、そのことは書かれないのです。というより先生から見た義母の墓の事が書かれないのです。

 軍人である静の父の墓もどこにあるのか解りません。作中ではKの墓だけにフォーカスされていて、そのほかの墓のことが解りません。まず義母は鳥取でなければ市ヶ谷の実家の墓に埋められる理屈でしょう。そこは書かれませんが、雑司が谷霊園に埋められてはいないでしょう。Kの墓には毎月参っているわけですから、雑司が谷に義母が埋められていたら、ついでに参ってもいいわけですから、一応義母の墓は雑司が谷にはないとしておきましょう。

 先生の墓はどうでしょう。義母の墓には入れないでしょう。
 仮に先生の死体が行方不明になっていなければ埋める墓が要ります。
 普通に考えると新しく墓を作ることになりますね。先生を雑司が谷に埋めるにはもう一つ理屈が必要になります。

 ただはっきり言えることは、Kが雑司ヶ谷に埋められることは自然ではなく、何やら雛子の墓と「日記」という事実で因縁づけられているようだということです。「ようだ」です。ある意味で『こころ』はKが実家の菩提寺にも埋められない話です。実際に夏目家の菩提寺に漱石が埋められなかったこと、明治天皇が天皇家の菩提寺、泉涌寺に埋められなかったことは不自然なのです。廃仏毀釈が不自然なのです。考明天皇までは泉涌寺に埋められています。だから漱石は御大葬の時、敢えて仏教式に喪章を巻いたのではないでしょうか。これは憶測です。憶測ですが、明治政府は急拵えの大嘘です。

 今回も厳しい書き方をしました。不愉快になった方には本当に申し訳ありません。私にはこの問題は本当に切実なのです。生きるか死ぬかというレベルで書いています。その伝わらなさにへこたれないように、痛みをこらえて書いています。

 しかしほんの少し前向きにやりませんか。自分とは違う解釈は一切受け入れないのではなく、あれやこれやの事実を見ませんか。多分夏目漱石は私よりもはるかに、あなたよりもほんの少し頭が高級にできています。その事を認めないで見下ろしてばかりいては、馬の様な幸福な死が待つだけです。

 





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