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ヤンチョー・ミクローシュ『ハンガリアン狂詩曲』ハンガリー、激動の1910年代を生きる

1979年カンヌ映画祭コンペ部門選出作品。ヤンチョー・ミクローシュ長編16作目。同年に公開された『アレグロ・バルバロ』、及び終ぞ完成しなかった『コンチェルト』へと連なる三部作"Vitam et sanguinem"の第一作。ハンガリー近代史を一人の人物の目線から展開するヤンチョー・ミクローシュ的叙事詩であり、三部作は順に1910年代(一次大戦期)→1940年代(二次大戦期)→1950年代(スターリン時代)を描いている。1910年代はハンガリーにとって激動の時代だった。1867年以来オーストリア=ハンガリー二重帝国による平和が続いていたが、枢軸国側として参戦した一次大戦の戦果は悪く、ロシアでの11月革命の厭戦感が強まり、アスター革命による共和国樹立と崩壊、翌年のハンガリー革命による共産主義国家樹立と崩壊、そしてホルティ・ミクローシュを中心としたハンガリー王国の成立、これが10年間に起こっているのだ。それは端的に言えば支配階級の崩壊であり、豪農の息子として横暴に振る舞う主人公ジャダーニ・イシュトヴァーンは、その変化に順応せざるを得なかった。

物語は1911年、豪農ジャダーニ家の当主が国政選挙の候補者となったお祭り騒ぎで幕を開ける(ヤンチョーの映画はどれもお祭り騒ぎみたいな感じだが)。支配階級が浮かれ騒ぐ裏では、農民運動の指導者が貧農たちに決起を説き、感化された人々がジャダーニ家の宴会になだれ込んだ。怒り狂ったイシュトヴァーンは部隊を率いて指導者の家に向かい、射殺した。第一次世界大戦で、農民たちの部隊を率いることとなったイシュトヴァーンは、ここでも脱走兵をせっせと処刑してまわり、共産革命の失敗を声を上げて喜んでいる。この主人公はバイチ=ジリンスキ・エンドレという小貴族の息子をモデルとしているらしい。彼も同様に農民運動の指導者を殺した過去を持ち、一次大戦で英雄となり、反共産革命の先鋒となり、続いて反ドイツからレジスタンスの指導者となって処刑された人物のようだ。初期作品に比べると、格段に人の動かし方が下手くそになっているように思え、その一端が明白な主人公と物語を得たということにあるように思えてくる。ヤンチョーがスローモーションを入れるのは初めて観たが、こちらもあまりハマっているとも思えず。途中のロシアンルーレットパーティの会場がハンス=ユルゲン・ジーバーベルグ『ヒトラー、或いはドイツ映画』のセットみたいだった。

本作品は1982年のハンガリー映画祭で上映されており、そのときのインタビューによると、彼がリアリズム手法を嫌っているのは、ラーコシ時代にリアリズムの手法で大嘘の短編ドキュメンタリーを大量生産する羽目になったかららしい。プラハの春以降の急速なアレゴリーへの転換の謎が少し紐解けた気がした。

・作品データ

原題:Magyar rapszódia / Hungarian Rhapsody
上映時間:103分
監督:Jancsó Miklós
製作:1979年(ハンガリー)

・評価:50点

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