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ヤンチョー・ミクローシュ『Electra, My Love』革命、その名が祝福されんことを

1975年カンヌ映画祭コンペ部門選出作品。ヤンチョー・ミクローシュ長編14作目。プラハの春の惨劇を間近で見て以降、東欧の映画作家たちはその傷を抱えたまま映画製作に励んでいた。中でも大きく作品の方向性を変えたのがヤンチョー・ミクローシュである。彼の1969年以降の作品では、その特徴であった長回しという要素だけが骨格として残り、より抽象的でアレゴリックな方向へと傾倒していくようになる。極端な長回しで巡るのは、大量のエキストラを注ぎ込んだ人間ピタゴラスイッチとも言える"人間の背景"であり、カメラは視点人物に寄ったり離れたりを繰り返しながら、圧倒的情報量を誇る平原を練り歩いていく。ミニマルすぎて、霧の平原を駆ける騎馬隊が石造りの廃墟に近付く冒頭1分で、この映画の舞台紹介は完結してしまう。様々な人々が入り乱れる長回しは、『8 1/2』のラストが永遠に続くかのような、時間を超越したドリームライクな感覚を共有していくのだ。ずっと昼間である『ミッドサマー』は本作品を大いに参考にしたことだろう。なにせ大量にいるエキストラは全員エレクトラの敵なのだから。

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本作品はアイスキュロス『オレステイア』三部作を元に、父親アガメムノンを母親クリュタイムネーストラーとその愛人アイギストスによって殺されたエレクトラの苦しみと、プラハの春以降の世界に暮らすハンガリー人引いては東欧の人間の苦しみを重ね合わせている。アガメムノンの死から15年経った今、エレクトラは"覚えている者がいる限り、忘れられることなどない"と呟いて、混沌とした世界を歩き続ける。エレクトラに好奇の目を向けながら距離をおいて広がる人々は、手を繋いで飛び跳ねることで彼らが連帯していることを示し、鳴り響くムチを打ち付ける音は銃声のようにこだまする。そして、"私を殺しても、私はエレクトラであり続ける"とか"お前が踊っているのは死んだ王の骸の上だ、それを知らないかのように振る舞っている"とか"お前を殺しても無駄だ、殺すべきはシステムだ"などエレクトラの発言はアレゴリックどころかド直球な政権批判、政権シンパ批判へと繋がっていく。

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映画は政府の悪辣なプロパガンダのパロディまで展開してみせる。殺されたアガメムノンはクソだった、妻のクリュタイムネーストラーはその一番の被害者だった、三人の子供たちのうち長女のエレクトラは狂人で、クリューソテミスは我々とともに幸せな人生を歩み云々。独立記念日のように扱われる前王アガメムノンの死が祝祭と化している中、行方不明になった弟オレステレスについての発言を二転三転させるアイギストスを前に、"真実を語れ"と強要されるダブルスタンダードぶりにも強烈な皮肉が込められている。逮捕されたエレクトラが民衆に"目覚めるべきだ"と説きながら人海を歩くと、近くに居た人間は耳を塞いでエレクトラの言葉を遮ってしまう。映画は終始こんな調子でエレクトラとアイギストス(とその従者)による絶望的な戦いが展開していく。しかし、目先の戦いはアイギストス王政を打倒することであるが、それを生み出すのは人民でありシステムであることを指摘し、本当の悪は為政者一人だけに負わされるものではないことすら明示する。つまり、王政に連帯して支持を表明し、盲目に(無表情に)躍り狂う"背景"の人民たちは、単なる"背景"ではなく黒幕なのだ。

デレク・ジャーマンのように、このギリシア悲劇の中にブーツや拳銃やヘリコプターなどの現代的なアイテムが登場し、幾度となくカメラに向かってトゥルーチク・マリ様の鋭い目線を投げかけるショットで現実との奇妙な橋渡しを完成させる。そして、アイギストスを殺すことをだけを目的としない物語は文字通り物語を天に上げることで一般化され、東欧世界のみならず、時代すら超越した抵抗の物語として語られることになる。ギリシャ神話やギリシア悲劇が原案であることを忘れてしまいそうになるくらい、あまりにも素晴らしい。

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・作品データ

原題:Szerelmem, Elektra
上映時間:70分
監督:Miklós Jancsó / Jancsó Miklós
公開:1974年12月12日(ハンガリー)

・評価:100点

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