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ヤンチョー・ミクローシュ『My Way Home』敵対民族間に生まれた奇妙な友情の終焉とは

ヤンチョー・ミクローシュ監督三作目(ミクローシュ・ヤンチョーと呼ばれることもある)。第二次大戦終結後、故郷に帰ろうとするハンガリー人青年とソ連兵の心の交流を描いた作品。戦時中ハンガリーは枢軸国側に立っていたため、ソビエト側はハンガリー人を好ましく思っていなかった。加えて製作当時はハンガリー動乱が鎮圧された後であり、ヤンチョーの冷徹な目線がソ連兵を複雑な感情で見つめている。

ソ連兵に捕虜にされた青年ヨージェフは学生という身分のおかげで解放されるも、ドイツ兵の軍服で暖を取っていたため別のソ連軍に捕虜にされる。再び学生であると認められたヨージェフは乳牛の世話をするコーリャというソ連兵の手伝いを命じられる。コーリャとヨージェフの間には奇妙な友情が芽生え始め、ヨージェフはコーリャの仕事を手伝い始める。階級や民族、言語を超越した友情はいつ壊れても不思議でない。しかし、通りかかったハンガリー人難民の集団に対してのコーリャの対応によって彼らの友情はより強固なものとなる。その後のシーンは最高で、特にふたりが上裸で遊ぶシーンが眩しいくらいの若さに満ち溢れている。
やがて、コーリャが戦傷から不調を訴え始め、ソ連兵に医師を求めるが言葉が通じない。日に日に弱っていくコーリャを見ていたヨージェフはソ連兵に扮してハンガリー難民から医師を探し出す。しかし、医師と戻ってきたときにはコーリャは亡くなっており、ヨージェフはソ連兵の格好のまま帰郷するための列車に乗る。しかし、彼をソ連兵と勘違いしたハンガリー人にリンチされ、泣きながら駅を離れる。

ミクロな友情が破綻したとき、ヨージェフはマクロなナショナリティーも同時に失ってしまい、帰郷途中に捕まったはずが"帰る場所"すら失ってしまった。図らずも敵側の人間に"協力"する形となってしまった多くのハンガリー人の物語を重ね合わせているのだろう。素晴らしい。

個人的に"必要性のある"ロングショットの本懐は横ではなく縦に伸びる空間であると考えるから、『Red Psalm』などのように平面的に広がった空間をショットで切り取るよりもロングショット用に広がった空間をロングショットで掬い取る方がキマると思うんだけど、そういう演出って神経使うから飽きちゃったのかしら。平面空間に雑然と並んだものを切り取るだけだったら演劇とそう変わらん気がするけど、どうなんかね?
と、色々言ったものの本作品における広大な空間にポツンと存在する物体を追ったロングショットは最高の一言に尽きる。情報量を増やしちゃならんってことか。

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・作品データ

原題:Így jöttem
上映時間:108分
監督:Jancsó Miklós
公開:1965年1月14日(ハンガリー)

・評価:99点

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