マッツ〜

Twitter→@matk_59 福岡県大野城市生まれ、アメリカユタ州セントジョージ…

マッツ〜

Twitter→@matk_59 福岡県大野城市生まれ、アメリカユタ州セントジョージ育ち。 京都の某大学文学部卒業。 とりま現在は福岡のヲタク兼エッセイストやってます🥱 福岡のことを中心に、旅、ユニドル、恋愛や人生論などのエッセイをいろいろ書いていこうと思います。

最近の記事

蝉。

お盆が、あっという間に過ぎていった。 歩いていると、一生を終えた蝉が、道端に何匹も転がっている。 汗を拭う事も忘れて、感傷的な気持ちになって見つめてしまう自分がいる。 お盆は、国際的な視点をよく考えさせられるものになった。 パリオリンピックの疑惑の判定や、長崎の平和式典へのイスラエル不招待など、枚挙にいとまがない。 海外に住んでた自分からすれば、海外に出れば日本人はそこまで対等な人間だとは見られないのが実情である。 とりわけヨーロッパでの日本人の扱いは、眉を顰める

    • 「幸せ」へのスタート

      仕事に行く途中の道で、紫陽花がお出迎えしてくれるようになった。 雨上がりのなんとも言えない匂いがする道を歩く僕を、彼女はほくそ笑むように見ている。 偏頭痛と戦いながら仕事していると、雨の中買い物に来たお客さんが、お目当ての物を買って、安堵した顔で帰っていく。 …僕の心の中にだけ、梅雨の中休みが訪れるのである。 幸せを考える瞬間は、いつの時でも訪れるものである。 去年幸せに結婚した友達は、いつしか冴えない顔をしていた。 去年の幸せな顔は、どこに消えたのか… 既婚の

      • 大阪。

        大阪駅のホームは、相変わらず照り返しが強かった。 こんなに平日からホームに外国人だらけなのは、記憶がない。 人混みを掻き分け、環状線の電車に飛び乗った。 大阪に降り立ったのは、実に5年か6年ぶりになる。 あれほど大学時代の遊び相手だった大阪の街は、時代の流れと共に様変わりしていた。 新規のスイーツ店だらけの生野コリアンタウンだったり…… ここまで若い女の子が集まる場所に変化している事に驚いた。 相変わらず変わらないのは、鶴橋の匂いと行きつけの理容店もそうであった。

        • 出会い。

          あれほど咲き乱れた桜も、すっかり僕の元から離れていった。 近くの小学校の校庭からは、真新しい一年生と、ツツジが顔を出している。 年度末が過ぎ、職場でも大学を卒業したバイトが退職していった。 「ありがとうございました。マッツーさん、また福岡来たら飲みましょう。」 そんな言葉を置き土産に、それぞれの地元へ戻っていった。 別れがあるとはいえど、当然出会いもいっぱいある。 毎年のように、不可思議な気持ちに駆られるものである。 そうかと思えば、相変わらず同い年の独身の連中は

          バイト。

          大学の頃、遺跡発掘のバイトをした事がある。 大学での専攻が考古学だったので、長期休暇に帰省しては遺跡を掘っていた。 福岡市博多区は、今でこそコンクリートジャングルになったが、下には弥生時代から中世までの価値ある遺跡が眠っている。 現場に赴くと当然文化財課の現場監督がいて、作業員さんがいた。作業員さんはみんな、60代・70代の日雇いの方々ばかりであった。 僕みたいな若造が勉強目的で来るのは珍しいので、随分と可愛がってもらった。 休憩中、悶えるような暑さの中、とあるお

          「好き」がある街

          飼い猫の鳴き声で、目が覚めた。 随分と目覚めが悪かったが、もう11時である。 寝癖だらけの髪の毛を直し、いつものジャケットを羽織ってバス停までのんびりと歩き出した。 大橋駅も特急が停まるようになってから、人も街も、たいそう雰囲気が変わったものである。 イタリアンなどのお洒落な店から、人気のラーメン店まで。 電車を急ぐ人、役所に急ぐ人、笑顔で待ってる愛する人のもとへ急ぐ人… 僕が好きな人に会う為に、バレンタインを渡しに来ていた大橋駅は、すっかり別の街になっていた。

          「好き」がある街

          ユニドル。

          油山の山肌に、白い雪が見えるようになった。 ビルの間から吹く北風が、頬に強く当たった。 心まで温まりたいと、何度思った事だろうか。 年末になり、年末調整だの、源泉徴収だの、お正月の商品の陳列だの、慌ただしく働く機会が増えてきた。 学生との兼ね合いもあって、ゆっくり休む機会は接客業の人間にはない。 余念がないのは、ユニドルの演者のみんなも同じだろうと思う。 昨日は九州の冬予選であった。 生でライブ会場に赴く時間がなかった事を、甚だ残念に思う。 特定の誰かにえこひいき

          ユニドル。

          中央区。

          平尾霊園の山肌も、すっかり秋の顔になった。 鴻巣山のテレビ塔が、秋晴れの太陽に照らされて光っていた。 平和2丁目のあの道は、車で通る時も、バスで通る時も、ついつい時間を忘れてしまう。 …今日は友達の結婚式で、急いでいるのに… ついに僕もアラサーという歳になった。 地元の同級生は次々と結婚し、中には子供がいる友達もいる。 年々比例して結婚式の招待が多くなってくるわけだが、どうもマッツーが挨拶を頼まれる事が多い。 中には昔ケンカもした事がある友達さえ、有難い事に門出の言

          天神。

          10月。 朝起きて、慌ててジャケットをおろした。 思いがけない寒さに、身体がついていかなくなってきた。 衝動買いした服は、まだ届いていない。 毎度の事だが、福岡で秋を感じることは少なくなった。 一気に気温が下がり、朝と夜が底冷えする。 せっかちな僕は革靴を履いて、バス停まで小走り向かい、飛び乗った。 窓の隙間から、甘い香りがする。 金木犀の花びらが、ふわりと、空に向かって飛んでいくのが見えた。 そういえば、最近は何かとユニドルのライブに足を向けている。 ユニドルとは

          宮崎。

          あっという間に、夏が過ぎていった。 軒先に咲いていた朝顔がもうシワシワになり、蝉の鳴き声もとっくに聞こえなくなった。 福岡から宮崎までバスで5時間。 宮崎駅では友人より先に大雨が僕を出迎えた。 それにしても8月末の宮崎は悶えるような照り返しと暑さである。 友人はえびのと日南と青島に連れて行ってくれた。 長年の友と毎年ここで夏を感じられることに、感謝しかない。 帰宅後、彼の父親がお肉を振る舞ってくれた。 食事の前に天を見上げ、彼のお母さんとも乾杯した。 今頃横にいらっ

          高松。

          午前7時。紫外線が強すぎる朝だった。 電車待ちのサラリーマンに紛れて、僕はぶっかけうどんを食べていた。 つまり高松にいたわけである。 僕みたいな人間は思い立って一人旅に出るのが何かと気に入っている。 知らない土地に行き、知らない駅で降り、歩く……知らない何かを探しに行く事に、この上なく好奇心をくすぐられる。 今回のDestinationが高松だったわけじゃなく、僕の好奇心のdirectionがたまたま高松だった。 そんなわけで、街中をゆっくり進む琴電に乗り、栗林公園を

          桜坂。

          もう7月になってしまった。 例によって、小雨の中僕はバスに飛び乗った。せっかちな僕をよそに、バスは小笹の山を越え、桜坂をゆっくりと走ってゆく。 この辺はバスがゆっくり走る道が多いが、桜坂や浄水通の景色はいつ見ても飽きない。 高そうな料亭、おしゃれなケーキ屋さんや真っ白なチャペル。 この辺に住んだら天神まですぐなのに…と、何度思ったことだろうか。 車窓をぼーっと眺めながら、雨が止むのを待っている自分がいる。 そんな事をいつも考えていると、降りるバス停にすぐ着いてしまう

          声なき涙

          6月。また今日も、予報にない雨が降った。 唐突のお天道様の涙に、心もずぶ濡れである。 バスを降りて、薬院二丁目から大名にかけて歩く。無論、高騰するバス代を節約するために…。 それにしてもこの辺はいろんな人間模様が映る。カジュアルな古着屋に入っていくカップル。ソフトクリームを頬張る観光客。酒が身体に沁みる、角打ちで飲んでる人々…。 そういえば最近になって、身近な人達との別れを経験する。場所を移す人もいれば、この世から旅立つ人もいる。大人から、幼き子まで。 その反面、ふと

          心の天気予報

          こんばんは、マッツーです。 季節の移り変わりはもう早いもので、もう梅雨入りらしいです、、 満開だった桜があっという間に我々に別れを告げ、新しいツツジが顔を出し、雨が降る度に地面から不思議な匂いを感じるようになりましたね。。。 さて、最近は色んなところに足を向けてます。 行く先々で人間味ある光景をよく目にするようになりました。 車窓から見える昔住んでた場所。 お花を大事そうに持って歩くおじいちゃんの後ろ姿。 スーツ姿の男女が、そっと手が触れ合う瞬間。 言葉を交わさなく

          心の天気予報

          春よ来い。心の中にも。

          2月がもう終わろうとしている。 テレビをつけると、入試、卒業式、新生活応援のCM…出会いと別れの季節がやってきたなぁと感じます。と、同時に年度末という社会人にとっては頭の痛いシーズンでもありますね、、 別れというのは人間だけではありません。 昨年、ウチのチワワと猫がそれぞれあの世へ旅立ちました。随分歳を取っていたとはいえ、いざ亡くなって家からいなくなると、空虚感は否めないっすね。。 古文で死別のことを「さらぬ別れ」(避けようがない別れ)と言うけど、1000年も前の人間が感

          春よ来い。心の中にも。

          秋。太宰府。

          10月がもうすぐ終わろうとしている。僕は太宰府にいる。この時期になると太宰府は気温以上に冷え込む。あぁ…また服装ミスった…そう思い、参道の路地を歩く。 雨上がりだった。地面からなんとも言えない匂いがしている。角を曲がった途端、ほのかな香りが鼻を突き抜けた。キンモクセイである。水溜まりの水面に、落ちた花びらが煌びやかに映えている。 それにしてもこの時期の太宰府は底冷えがする。末端が冷える。寒がりの僕はパンツのポケットに手を突っ込んで歩く。途中、男女が手を繋いで、寒いねと言い

          秋。太宰府。