蝉。
お盆が、あっという間に過ぎていった。
歩いていると、一生を終えた蝉が、道端に何匹も転がっている。
汗を拭う事も忘れて、感傷的な気持ちになって見つめてしまう自分がいる。
お盆は、国際的な視点をよく考えさせられるものになった。
パリオリンピックの疑惑の判定や、長崎の平和式典へのイスラエル不招待など、枚挙にいとまがない。
海外に住んでた自分からすれば、海外に出れば日本人はそこまで対等な人間だとは見られないのが実情である。
とりわけヨーロッパでの日本人の扱いは、眉を顰めるレベルである。
そういう意味で、パリ五輪はあまり見る気になれなかった。
ポリティカルな話は置いておいて、結局のところ、日本人はちっぽけな存在なんだなと、つくづく感じるのである。
コロナ禍を経て、内面的にもちっぽけな人間はたいそう出てきたが、国際的には日本人そのものが見透かされてるのが現実である。
生きている間に、我々に何ができるのだろう。
やはり、生は有限であるという前提に立つ事を大事にしてほしいと思っている。
違った視点やベクトルを持つこと。
ステレオタイプを捨てること。
それ以上に得られるものは無いと思う。
僕もアメリカにいなければ、もっとちっぽけな人間だっただろう。
言うまでもなく、いずれ我々も息絶え、骨になってしまう。
有限である生の中に、無限の価値観を持つことを、僕はこれからも伝えていくつもりである。
8月15日。
朝から家族が仏壇でお線香を炊いていた。
その香りを感じて玄関を出ると、クマゼミがひっくり返って落ちていた。
ただ僕は、息絶えた彼を見つめた。
……彼はこの事を、お盆に伝えにきてくれたのかもしれない。
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