「緑のやつ」 ショート実話怪談
はじめに
これは私(Kitsune-Kaidan)がキャンプに出かけた時に緑の妖怪を見たショート実話怪談です。いまだにはっきりとした正体はわからないのですが、あの時に目撃した不思議な緑色の存在を今でもはっきりと思い出せます。
それでは、不気味な世界へとつながる扉をお開けください。どうぞお気をつけて、行ってらっしゃいませ。
買い出し
あの夏、久しぶりの遠出でワクワクしていた。ところが、この町に入ってからはなんとなく落ち着かず、私はソワソワしていた。
(かなり田舎だな)
海沿いの小さな町に不釣り合いな中型の某スーパーが町のはずれにあった。新鮮な野菜、魚、肉類や飲み物に加えて、バーベキュー用の炭と着火剤も忘れずに購入した。休日だというのに町には人が少なく、スーパー特有の明るい音楽ががらんとした店内で妙に大きく鳴り響いていた。
その町を出ると、さらに人里離れた山の中へと道が続いていた。おそらく、このスーパーのある地区が最後の買い物チャンスだと思われた。
道に迷う
主人は運転に慎重で、道に迷うことは滅多にない。ところが、山の中に入ってからどんどん方向感覚がなくなっていくのを感じていた。私たちは久しぶりの休みでリラックスしていたので、特に焦ることなくいつか目的地に着くだろうと気楽に考えていた。
窓を開けると飛び込んでくる森林の香りが心地よかった。初めのうちは整備された道路がまっすぐ続いていたが、ある地点から砂利道に変わった。
ガサ、ガサ、ガサ。
どんどん道幅が狭くなり、熊笹が車にあたって音をたてている。この道をこのまま走っていていいものかどうか、少しだけ心配になってきた。
しばらくすると、あたりが薄暗くなりはじめた。太陽が陰ると森林の中は余計に暗く感じる。鳥の声が響き渡る。さすがに不安になりかけた瞬間、
「あっ」
ふたりで一斉に声をあげた。
「海だ」
草木がうっそうと生い茂った山中から突然飛び出した私たちの目の前にきれいな海景色が広がった。夏のキャンプ場なのに人がほとんどいない静かな海に心が躍るとともに、一瞬不安がよぎった。しかし、人がぎゅうぎゅうにひしめき合うキャンプ場が苦手な私には、少し寂しいくらいの海辺が嬉しかった。
バーベキューグリル
「お腹すいたね」
長時間のドライブでお腹がペコペコだった。おそらく午後4時を少し回ったくらいだろうか、少し早めの夕食にちょうどいい頃合いだ。
「野菜、魚、肉、飲み物、すべて買ったし…」
すると、主人が突然大声をあげた。
「やばい!」
確かにバーベキューグリルを物置から出したのは覚えているが、車に積んだのは記憶にないと言い出した。慌てて停車し、トランクを確認した。
やはりグリルを積むのを忘れてしまったそうだ。さっきのスーパーに戻っても、きっと閉店時間に間に合わないだろう…。
「あっ!」
今度はふたり同時に叫んだ。山中から出て大きな海が目に飛び込んできた瞬間、なぜかふたりとも同時に真新しいバーベキューグリルが海辺にポツンと落ちているのを覚えていたのだ。その時はまさかグリルを積むのを忘れているとは思っていなかったため、ふたりとも口には出さずに心の中にとめていたのだった。
急いでさっきの海辺まで戻ると、やはりそこにはほぼ新品同様のバーベキューグリルが落ちていた。周りには誰もいない。明らかに一度だけ使ってその場に捨てていった様子だった。
もしこのグリルがなければ今晩食事にありつけなかっただろう。私たちはありがたくグリルを車に積んで、再びキャンプ場へと向かった。
駐車場と書かれた寂しげな看板の下に着くと、どこからともなく駐車料金を回収する係員が近づいてきた。一通りキャンプ場の説明を受け、好きな場所に車を停めてテントをはるよう案内された。
私たちは海に近い静かな場所に決めた。隣のテントまでは十分に距離があった。美味しそうなバーベキューの香りが風にのってやってきた。
(なんとなく視線を感じる)
そのことは自分の胸にしまっておいた。
夕暮れ
きれいな夕焼けと静かな波の音が贅沢だった。真夏の海辺は涼しくて最高だ。都会の幻想から離れ、自然の音しか聞こえないこの場所は最高だった。そして、バーベキューグリルがあったことに改めて感謝した。
しいたけ、ピーマン、玉ねぎ、ほたてバター、ほっけ、焼き肉、おにぎり。
ゆっくり夕食をとりながら、私たちは人生の話をした。あれこれ空想の話をしながら未来に思いを馳せていると、波の音がやけに気になった。
空気が変わった。
自然の中にいると、いつもこの一瞬の空気感の変化に身が引き締まる思いがする。さっきまで気持ちが良い自然に包まれているような気分でいたかと思えば、あっという間に厳しい自然界の掟のようなものを思い知る羽目になる。その時も一定のリズムで打ち寄せる波の音の心地よさに会話が弾んでいたはずだったのだが…。
身の毛がよだつ感覚に襲われた次の瞬間、足元をフワフワとした柔らかい感覚のものがサッと通り過ぎた。
「わぁ!」
私は思わず声をあげた。
白いふわふわ
それはふわふわの毛をした白い犬であることがすぐにわかってホッとした。その犬は何かに怯えた目をして私を見上げていた。犬が大好きな私は犬が恐怖で震えているのを感じた。
「どうしたの?」
頭や体をそっと撫でると、少し落ち着いた様子で相変わらず私を見つめていた。飼い主からはぐれたであろうその犬をしばらくの間保護しようと思っていた。
「すみませーん。白い犬を見ませんでしたか」
飼い主らしき男性が少し遠くから懐中電灯を照らして叫んでいる。足元にいる犬を撫でながら私はこう答えた。
「ここにいますよ」
安心した様子の飼い主が急いでこちらにかけてくるのが見えた。
ザッパーン。
大きな波の音が背後に響き渡ったと同時に、再び先ほどと同じような空気感がが漂った。時が止まったかのように辺りの空気がピンと張り詰め、静まり返っている。
「ワン、ワン、ワン、ワン!」
大人しくなった犬が再び落ち着きなくなったかと思うと、大声で吠えはじめた。飼い主が懐中電灯でこちらを照らし、犬の名前を呼びながらさらに近づいてきた。すると突然、犬がものすごい勢いで海辺へと駆けていった。慌てた飼い主が闇雲に懐中電灯で海の方を照らした。
懐中電灯の灯りの先にその犬の姿があった。光に照らされた目が緑色に光っている。すると、犬は吠えるのをやめ、何かをじっと見つめて波打ち際に佇んでいる。まるで何かに取り憑かれたかのように硬直していた。
次の瞬間、私の脳裏に緑色のやつが浮かんだ。それは背が低く、二足歩行の妖怪のようないでたちで、ニヤニヤと笑う悪戯っ子のような顔つきをしていた。緑の妖怪?妖精?とでもいうのだろうか…。私は日頃から不思議なものを見かけることが多いので、自分だけの秘密にすることが癖になっている。この時も特に主人に伝えるわけでもなく自分の心の中に収めていた。
白い犬が相変わらず金縛りにでもあったかのように身動きひとつせずに波打ち際にボーッと立っている。飼い主がやっと犬の側に辿り着き抱き上げようとした。
「ワン、ワン、ワン、ワン!」
飼い主に向かって大声で吠え出した。驚いた飼い主は興奮する犬をなんとかなだめようと必死だった。
丑三つ時
そこは夜遅くまで騒いだり花火をするような人たちがまったくいないとても静かなキャンプ場だった。ソロや家族連れのキャンパーたちが数組いるだけで、皆早々にテントの中に入り静かに過ごす様子が伝わってきた。
私たちも夏とはいえ肌寒くなってきたので、テントの中に入って暖をとることにした。話をしているうちに眠気が襲ってきた。先程の犬と緑のやつのことはすっかり忘れた私はふかふかの寝袋に包まれて、心地よい眠りに落ちた。
どのくらい経った頃だろう…。
ザッ、ザッ、ザッ。
私たちのテントの外を歩く何者かの足音が聞こえてきた。横を見ると主人がぐっすり眠っている。はっきりとした時刻は覚えていないが、午前2時くらいをまわった頃だったと思う。
(また逃げ出した犬を飼い主が探しているのだろうか)
そんな風に思おうとした瞬間、その足音がこちらに向かってさらに近づいてきたのを感じた。
ザッ、ザッ、ザッ、ザッ。
足音が早くなり大きくなった。少し奇妙な気持ちになった私はその足音の主に気づかれないよう、うつ伏せになり息を潜めた。外は真っ暗だったが、遠くのテントの明かりや街灯がぼんやり灯っているのがテント越しにわかる。
ザッ、ザッ、ザッ、ザッ。
足音が私たちのテントのすぐ側にやってきて止まった。テントには外の空気を入れるための小さなメッシュの窓がついている。中からしか開けることができないその小さな窓が目に入ったが、外にいる誰かの気配がこちらの様子を伺っているような気がして私は動けずにいた。
しばらくお互いに様子を伺っているような気味の悪い時間が流れた。その何者かの影がぼんやりテントに映っているのが見える。耳を澄ますと、主人の寝息とは違う息遣いがかすかにテントの外から聞こえてくる。
私は自分を落ち着かせるためにゆっくり深呼吸をした。
(緑のやつに違いない)
なぜかはわからないが、そう思ったのだ。あの緑のやつがテントの外に立って私の様子を伺っていると思った瞬間、薄いテントの壁が透明になり外がはっきりと見えた。私は夢を見ているのかと思い、目だけをキョロキョロさせてテント内の様子を確かめた。相変わらず隣で主人がぐっすり眠っている姿を横目で捉えた。再び目線を外に戻すと、
すぐ目の前に緑のやつがいた。
キョロキョロと何かを探している。
緑の妖怪
私は思わず息をのんだ。
しばらくの間、その緑のやつを見つめたまま動けずにじっとしていた。
背丈は約100センチあるかないかだと思う。
皮膚は爬虫類のようなザラザラとした質感、
ぎょろっとした大きな目、
手足があって二足歩行、
口の中には歯がきちんとはえている。
とにかく悪戯好きな風貌をしている。
特に何を仕掛けてくるわけでもなく、ニヤニヤしながらこちらを覗いている。怖さを通り越し、少し興味が出てきた。ただ、深く関わってはいけないという思いが脳裏をよぎった。
不思議なことに、緑のやつと一向に目が合わない。
明らかに何かを探しているそぶりだが、それは私ではなさそうだった。こちらが気がついていることを知っているようだったが、あえて知らないふりをしているような様子だった。
緑のやつの好奇心の的にならないよう、心を強く持ち直した。興味が薄れたのか、途端に冷たい表情になったかと思うと、くるっと体の向きを変えてスタスタと向こう側に向かって歩き出した。
私は思わず立ち上がり、テントの小窓から外を覗いた。そこには確かに緑のやつの後ろ姿が見えた。暗闇の中、遠くの街灯の光の中で白い霧がゆらゆらしていた。緑のやつが別のテントの方へと歩いていくのが見えた。他の誰かに悪さをしにいったのだろうか…。
いったいどうやって再び眠りについたのかあまり記憶がない。気がつくと朝だった。天気のいい清々しい朝だった。
キャンプ場内のトイレ施設に顔を洗いに行くと、子供たちが楽しそうに朝の支度をしていた。昨夜のミステリアスな雰囲気とはまったく別の海に見えた。あの緑のやつは私じゃない別の誰かの元を訪れたのだろうか。
キャンプ場を後にするとき、主人も私も口に出さずに真新しいバーベキューが落ちていた場所を見つめた。まるで何事もなかったかのようにきれいで、ただ静かな海辺の風景がそこにあるだけだった。私はその美しい海を眺めながら、この海に再び戻ってくることはないと思った。特に大きな理由はないのだが…。あんなにきれいな海なのに、縁のようなものをまったく感じなかったのだ。
数ヶ月後、緑のやつを見たことを主人に打ち明けた。主人は妖精の一種ではないかと言っていた。何度考えても、私が見たものはやはり妖怪の類いだったのだと思う。
おわりに
怖くなかったと言ったら嘘になります。正直言って怖かったです。
私は幼い頃から妖怪に興味があります。妖怪辞典を見ては、まだ見ぬ不気味な姿に想いを馳せていました。実際に見ると案外冷静なものです。「怖いもの見たさ」という表現を借りると、まさにその時の自分は「怖いもの見たさ」と「関わってはいけない」という思いの間にいたのでしょう。
人間の理解を超える存在に出会した時は、自分の心を強く保つことがいかに大切かをいつも痛感させられます。近くのキャンパーの飼い犬が見たものと私が見た緑のやつは、われわれに何を訴えたかったのでしょう。はたまた、私と犬と緑のやつが空間をたまたま共有しただけに過ぎないのではないでしょうか。
私にはあの緑のやつが、私ではない誰か(何か)を探していたように思えるのです。私がやつの存在に気がついていることを知っているにも関わらず、私とはあえて目を合わせなかったように感じます。
それとも、あの時もしも私が気を緩めていたら、あの緑のやつは恐ろしい一面を見せたのでしょうか。そう思うとやっぱり身の毛がよだつ思いがします。
縁がある場所や人だと感じた場合、特に誓いをたてなくてもまた会えるような気がします。理由ははっきりとわかりませんが、一種の感です。あの海とあの緑のやつは、あの時限定の一期一会だったような気がします。きっとあの緑のやつも海もわかっていたのでしょう。
皆さんも妖怪に遭遇した時は、くれぐれもお気をつけください。
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Kitsune-Kaidan
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