見出し画像

【日記】「みんな同じなんだね」という優しいフィクションから削ぎ落としていることで作ったフィクションが私は欲しいのだ

長谷川潮著『児童文学のなかの障害者』(ぶどう社)を読んだ。私に必要な本だと思ったので、出版社に問い合わせて買った。児童文学を主に取り上げ、その中で障害者がどのように描かれているか、その時の社会背景、学校制度、社会思想はどうだったかなどが体系化されていて、嬉しい本だ。

その中でも、物語の中で障害が比喩として使われていた、という話に私は注目した。障害が、その当事者や実態を書いているのではなく、「弱さ」「愚かさ」「怠惰さ」「悪業の報い」を表現する様式として使われていたのではないか、という指摘だ(なお著者は、これらの様式通りの障害者観には賛同しているわけではないと書いている)。

フィクションにスティグマが「使われる」ということについて、本を探して読んでいる。「使ってるな」ということが感じられるフィクションに出会うと「自分もこれから現実生活であんなふうに言われることがあるかもしれないんだ」と思って悲しいし腹立たしいし、白けるから。なんで白けるかと言えば、使ってるなって感じたらフィクションになってないと思うから。

長谷川さんの本から顔を上げて、私が自覚した「使ってるな」と感じたフィクションについてメモしよ。障害は恋愛の障害の比喩にもなってないかな? あくまで、フィクションの中でに考察を今回は限る。例えば、障害者と健常者の恋愛を書く場合、「僕、もしくは私が障害を持っていること」「あなた、もしくはキミが障害を持っていること」が恋愛の進展を葛藤させるだろう。フィクションの場合、恋愛の多くのゴールが結婚で、障害は「僕、もしくは私がパートナーとして自信が持てないこと」「あなた、もしくはキミに苦労をかけてしまうこと」で二人の仲を一時的に引き裂く。そして二人は「お互いへの愛」で乗り越える。「自分が支える」とか「二人で生きていこう」と言って。

私は白ける。この社会に福祉サービスは存在しないのか? そもそも「ぼくとキミ」あるいは「あたしとあなた」の外に社会があるのか? まるでセカイ系じゃないの。頑なに二人で障害を乗り越えようとする二人は、健気を通り越して不健康なくらい周りを見ない。フィクションを作る人が二人に見せようとしない、とさえ考えてしまうくらいだ。

二人の愛で乗り越える、二人だけの優しいセカイの筋書きは、愛で解決させることによって、私が気になっているところを削ぎ落としている。「僕、もしくは私がパートナーとして自信が持てない」のは、何故か? 「あなた、もしくはキミに苦労をかけてしまう」のは、何故か? 自信を持てなくしたのは何だ? 何故、パートナーの障害が自分の苦労になるのか? その苦労の中身はなんだ? 何故、独立した人間の持つ障害がパートナーのステータスに関わるのか? そんな価値観を持つものは何だ? そういうふうに「ぼくとキミ」「わたしとあなた」を見るのは誰だ?

話を一旦、変える。

もう1つ感じる「使ってるな」というフィクション。それは性的少数者をどんでん返しに使っていること。これも恋愛だな。片想いしてる主人公がいて、相手に告るんだが、実はと打ち明けられ、絶対に叶わぬ恋だったんだ……。というあらすじ。「実は」っていう、どんでん返しに持ってくること、なおかつ、それだけで終わってしまう場合がキナ臭く感じる。「実は」の後から起こるかもしれないと私が考える葛藤が削ぎ落とされている。端から見ている私は逆恨みによるアウティングの心配をする。または、打ち明けた相手役にその葛藤が無かったのだろうか、何を理由に打ち明けたのか。「タイプじゃないから」とかの断り方を選らばなかったのは? よくある理由が「誠実に向き合いたいから」だとしたら、それは打ち明けた相手役の人徳に甘え過ぎだ。打ち明けられた片思い側も打ち明けられてからの葛藤が無かったのか? フィクションの社会思想はそんなに進んでるのか? それならば、カミングアウトはフィクションの中でどんでん返しにならないのではないかな?

これらのような比喩とどんでん返しを使ったフィクションの結びは、優しい。「障害も性的少数志向も、みんなの恋愛を難しくさせている事柄と変わらないよ」「みんな本当は同じ人間なんだ」「みんなと同じようなことでみんなと変わらず、ままならないものを抱えてるんだ」と、優しい。しかし、実はこれ、「差異の同一化」という、すでに言語化され、指摘されている。差異によって実際に起こる困難や問題を結果的に無視してしまうから。それにより、困難や問題を抱えてる人たちは余計に疎外感に苛まれ学習性無力感に陥り、優しい人たちはよっぽどのことがない限り自覚無く無視し続ける。優しい人たちは、おそらく目の前のことに真摯になり過ぎていて、体系的に捉えるまでに手が回らないのかもしれない。同じアイデンティティーを持つ人は程度に違いはあれ、過去の人が受けた傷を、つけられた痣を知らないうちに引き継ぐ。ぼくとキミ、もしくはわたしとあなたのセカイだけでは、ない。

フィクションは人生とは違うのだ。人生から拾って来たものをフィクションの型にはめて終わりになっていないか、見る目を鍛えよう。優しさで削ぎ落とされているもので、一から作ろう。

長いメモだった。指先がキシキシする。指紋無くなっちゃう。

この記事が参加している募集

#コンテンツ会議

30,756件

頂いたサポートは、本代やフィールドワークの交通費にしたいと思います。よろしくお願いします🙇⤵️