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白衣の天使、白衣を脱ぐ。〜病院ギライな訪問看護師の話〜

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例の長谷川豊さんの透析の話(白衣の天使番外編)

例の長谷川豊さんの透析の話(白衣の天使番外編)

☆番外編ものすっごい炎上してたみたいですけど、少し落ち着いてきたんでしょうか。

「自業自得の人工透析患者なんて、全員実費負担にさせよ!無理だと泣くならそのまま殺せ!今のシステムは日本を亡ぼすだけだ!!」

とブログで発信した長谷川豊アナウンサー。

話題になったブログ読みましたし、彼のブログを分析したり批判したりしているブログも少し読みました。あ、コメントも読んだな。

長谷川豊さんのブログのコ

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患者さんを追いつめてしまいました。

患者さんを追いつめてしまいました。

③平成12年・総合病院169床・千葉県(その12)ここ2回のタイトルとんでもないね・・・・
印象深い患者さん、その2です。

なんていうか・・・・・
本当は臆病だったり小心者だったりする人ほど、いばったり、他人を攻撃すると思いませんか?
あの頃の私・・・若かった・・・そういうことも、あんまり分かってなかった。

てやんでぇでべらんめぇな江戸っ子!?江戸っ子きどりなの!?
みたいな患者さんがいました

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患者さんを殺すところでした。

患者さんを殺すところでした。

③平成12年・総合病院169床・千葉県(その11)私に看護師として再スタートさせてくれた透析看護。
看護師としての変化や成長は、患者さんがいてくれたからこそです。

この病院で出会った、特に記憶に残っている患者さんとのエピソードをいくつか書きたいと思います。

「患者さんを殺すところでした。」
かなり物騒なタイトルですが、事実です。今思い出しても、焦ります・・・・

透析は延命治療であることを何度

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いつも患者さんがいてくれた。

いつも患者さんがいてくれた。

③平成12年・総合病院169床・千葉県(その10)あっという間に3ヶ月過ぎてました。久しぶりの白衣を脱ぐです。
この3ヶ月の間にも、現職の訪問看護の利用者様で何名か旅立たれた人がいます。その中に、透析が必要な状態だけど、透析を受けずに亡くなった方がいらっしゃいました。

透析は、治療ではなく、延命・・・腎機能がとても悪い状態だったので、シャントという透析を受ける為に必要な血管を手術で造っており、い

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透析患者さんが教えてくれた「逃げない」生き方。

透析患者さんが教えてくれた「逃げない」生き方。

③平成12年・総合病院169床・千葉県(その9)

みなさんにとって病院ってどういう場所でしょうか?風邪をひいた時に診てもらいにいく。

怪我した時に運ばれる。

盲腸で入院する。

家族が入院したからお見舞いにいく。

そんな場所でしょうか?

働く看護師からみた病院はどういう場所でしょうか?外来なら、毎日どこかしら具合の悪い人が集まってくるでしょう。

点滴や注射を受けたり、治療を続ける為に継

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ダメ看護師、修業時代突入。

ダメ看護師、修業時代突入。

③平成12年・総合病院169床・千葉県(その8)看護師は法律上、「医師の指示の元」色々なケアをすることができます。これはあくまで建前で、いちいち医師の指示をもらって働いていたら今の医療・看護業界は成り立っていません。

医師の指示があるから、採血できる、注射できる、内服薬を投与できる。

これが、こと透析に関しては、その施設の方針にもよりますが大雑把。

患者にとって「今日」必要な透析をやってね。

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初めてまじめに看護師した。

初めてまじめに看護師した。

③平成12年・総合病院169床・千葉県(その7)透析室に勤務して、初めてまじめに看護師しました。

「え?」透析室に勤務して、初めてまじめに看護師しました。

「ええ?」大事なことなので2回言ってみましたよ・・・・・

さて、「まじめに看護師」とはどういうことなのでしょうか。

私ははっきり言って、15年くらいまじめな看護師ではありませんでした。ここでいうまじめな看護師とは「患者さんに向き合ってる

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おしっこって当たり前じゃないんだよ。

おしっこって当たり前じゃないんだよ。

③平成12年・総合病院169床・千葉県(その6)透析室のT師長との出会いで、未知の世界である透析看護に飛び込む事を決めた私。透析看護との出会いが、今の看護師としての自分への変化をもたらせてくれました。

ところで「透析」を知っている人ってどのくらいいるでしょうか?

私が透析看護をやっていました、と言った時に「透析ね・・・大変ね・・・」と答えられるのは、家族や近しい存在の人に「透析を受けている人が

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とある師長との出会い。

とある師長との出会い。

③平成12年・総合病院169床・千葉県(その5)いろんな人の協力を得て正看護師を取得した春、とある師長に出会います。

その師長は、舞台女優みたいな人で、ぱっと見は、白衣を着ていても看護師に見えないどう見ても銀座のママ(しかも老舗)みたいな人でした。

私の人生は、このT師長によって変わり始めました。その頃、月に8回くらい夜勤をしていた私には、当然のように8回夜勤明けがありました。

私が受け持ち

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今から謝りに行きたいくらい自己中。

今から謝りに行きたいくらい自己中。

③平成12年・総合病院169床・千葉県(その4)
働き続けながら正看護師を取得したと言うと、大抵の人が「すごいね!働きながらよくがんばったね!!」と言ってくれます。

そう言われると、「ほんとスイマセン」って気持ちになります。

なぜなら、すごーく自己中心的な行動と考えで働いていたから。

今思っても、なんであんな風に考えていたのか、謎。コワい。

「私、働きながら学校行ってるんだからすごく大変な

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そうだ、正看護師、とろう。

そうだ、正看護師、とろう。

③平成12年・総合病院169床・千葉県(その3)この千葉の病院は、10年と6ヶ月働いた場所でした。10年もいれば、人生の転機もやってくるというものです。

私の場合、それは千葉の病院で働いて6年目。准看護師として働き始めて10年の時でした。

親に勘当され、たったひとりで千葉に出て来てでも一緒にいたかった最愛の彼との別れです。

うつの波もどん底にいくくらい落ち込み、ああ、もう、私、生きてる価値な

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病院に行けば、こんな私でも必要としてくれる患者さんがいる、という心の支え。

病院に行けば、こんな私でも必要としてくれる患者さんがいる、という心の支え。

「この病院で何年」「あの病院で何年」なんて、ちゃちゃっと書き終わると思ってたんですが、ついつい、エピソードが盛り上がってしまいますね。この辺り、まえがきみたいなものなのですが、避けて通れないエピソードが多いことに気付いた今日この頃です。

③平成12年・総合病院169床・千葉県(その2)今のところ、この千葉の病院で働いた期間がいちばん長いです。10年と6ヶ月働いていました。千葉県と茨城県の境目のよ

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看護を提供する側の元気、倖せ。

看護を提供する側の元気、倖せ。

前回の話はちょっと重たかったですかね?でも、実際に死の現場に立会う事がとても多いので、ナース自身がメンタルをどう保つかがとても大切なんです。

人の死に多く触れる仕事をしていると、メンタルをコントロールするためには「死について向き合い自分なりの考え方を持つ方法」と、「死を感じない方法」とがあります。

前者は、亡くなる方に対して感じる事が毎回あると思います。自分の受け持ち患者さんが亡くなった時、泣

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看護師歴20年エピソードその2。今回は笑いよりシリアスです。

看護師歴20年エピソードその2。今回は笑いよりシリアスです。

③平成12年・総合病院169床・千葉県自分の中でいちばん「お世話になった感」が強い病院です。ここに就職した理由は「住む所を準備してくれる」「住みたい場所から近い」ということです。

住みたい場所といっても、すごく都心とかではなく、限りなく茨城に近い千葉でした。その場所に住みたかった理由は、ズバリ、「当時交際1年だった千葉県に住む彼の側に引っ越したい」です。

この理由からも、いかに何も考えずに就職

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