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看護師歴20年エピソードその2。今回は笑いよりシリアスです。

③平成12年・総合病院169床・千葉県

自分の中でいちばん「お世話になった感」が強い病院です。ここに就職した理由は「住む所を準備してくれる」「住みたい場所から近い」ということです。

住みたい場所といっても、すごく都心とかではなく、限りなく茨城に近い千葉でした。その場所に住みたかった理由は、ズバリ、「当時交際1年だった千葉県に住む彼の側に引っ越したい」です。

この理由からも、いかに何も考えずに就職先を探していたかがよく分かりますよね。

大阪で働いていた病院(②の病院)に、東京と大阪で遠距離恋愛していたナースが入職してきました。そのナースとすごく気があって仲良くなり、そのナースを通して千葉県に住む彼と縁ができ、付き合う事に。1年くらい遠恋していて、ついに、自分が千葉に引っ越して近くに行く事を決意。

この引っ越しを期に父親から勘当されました。

はい。今思うと親なら当然止める状況でした。が、若いから全く親の気持ち分からず。「いーもんいーもん、私には彼がいるもんっ!!」ってな感じで、千葉へお引っ越し。

21歳でも簡単に引っ越して自立して行けるという環境が看護師には用意されています。

大抵の病院は、看護師を獲得する為なら何でもします。

普通、ないですよね。21歳のコムスメの、大阪から千葉へくる引っ越し費用を出し、住む所を準備してくれるような会社。でも、とにかく、多くの病院が「看護師不足」に苦しんでいるので、引っ越し費用の負担なんて、大した事じゃないんです。

私はこの時、自分で住みたい所にある病院を調べて、直接電話して就職出来るか聞く方法で就職しました。自力パターンです。

昨今では、自力で病院を探すのではなく紹介会社経由で入職するパターンが増えています。その場合、病院側は紹介会社に、その看護師の年収の何パーセントかを紹介会社に手数料として支払います。ひとり百万単位です。

病院にとっては無駄金です。

そして、ぶっちゃけ、紹介会社を介して入社した人って、すぐ辞める人が多い。きっと、「合わなかったら辞めればいいや〜、他にも病院沢山あるし〜」という考えがあると思います。そして、紹介会社もちやほやちやほやするもんだから、若い看護師は、「看護師というだけで自分には価値がある」と勘違いするのです!!!大抵、ちょっと「おいおい!そりゃねーだろ!!」的な看護師の方が、勘違い度が高い。

自信を持って言い切れるのは、自分がそういうタイプだったから。明らかに勘違いしてたから。

後々、管理者として看護師を募集するのに関わるようになってから特に強く感じました、この件は。これについては、また後で詳しく記したいと思います。

話を戻し、この病院でのエピソードなど。

私は今、訪問看護をやっていて何か緊急事態が起きても、あまり動じる事がありません。

救急救命を長くやっていたから自分のスキルに自信があるとか、そういうことではありません。

ジタバタしたって、どうにもならないことってある。ということを知っているからだと思います。

20代の自分には、ショッキングだった出来事のひとつ。

夜勤の最中に患者さんが飛び降り自殺。(ただし、自分の受け持ちチームでは無かった)

という事にこの病院で遭遇しました。


※この先、リアルな表現もあるので、そういうのダメな人はここら辺で読むのをやめてください。




看護師が、病院で勤務している最中に飛び降り自殺するのに遭遇す確率ってどのくらいあるのでしょうね?

実は、この後勤める病院でも一度遭遇しているのですが、そちらも自分の受け持ちチームではありませんでした。

でも、発見者は自分。

今でも覚えているのが、廊下にびゅうびゅうと風が吹き込んで来て、真っ暗な病室を覗き込むと窓が全開で、真っ白なカーテンがバサバサと踊ってる。

「◎◎さん、窓開けっ放しだよ〜。トイレでも行ったのかな〜」

と、室内に入る。

ふと、床を見ると、バルン(おしっこの管)が引き抜かれて落ちている。

あれ、なんかおかしいぞ、と。

ここになってやっと感じる。

開け放たれた窓、そこから吹き込む風に、とてつもなく嫌な予感を感じ、おそるおそる、おそるおそる、窓の下を覗き込む・・・・・・・・・発見。

という形でした。

患者さんは少し認知症が出て来ている状態で、「家に帰りたい、家に帰りたい」と言っている方でした。

今思えば、十分家に帰れる病状だったのですが、家族の受け入れ問題があり、病院に入れられっぱなしだったのです。3ヶ月の入院期間の規制が始まる前は病院側も退院を急かす事が少なく、「お預かり入院」や「入れっぱなし」という、死ぬまで入院している人が結構いたのです。

施設に預けるより安く、病院だから安心と、退院出来る状況になっても家族が退院させないことがよくありました。

病院側も、入院していればそれだけお金になるので、無理矢理退院させることは無かった時代です。

その方は即死でした。

警察が来て、色々対応したと思うのですが、私の記憶は、1階に駆け下りて行ったところで途切れています。

この経験があったため、2度目の自殺遭遇の時はすごく冷静でした。

フロアが2階と3階に別れていて、夜勤では受け持ち看護師がフロア毎に在籍する状況。

3階担当者が仮眠時間を過ぎてもなかなか申し送りに来ないのでおかしく思い、2階を担当していた私が3階に渡ると、廊下に点滴のポンプのアラームが鳴り響いています。

第六感、でしょうか。

「これ、なんか、ヤバい」

と感じた私は、アラームが聞こえている洗面所へ。

窓、全開。

鳴り響く点滴アラーム。

引きちぎられた点滴ルート。

この時は全く怖さはなく、とにかく早く発見して助けなければ!という思いが強かったです。(前の病院より少し成長した頃でした。)

窓を覗き込むと、案の定、飛び降り。

身体に動きがあり生存確認が出来たので、すぐに警備員や医師を呼びました。

運が良いのか悪いのか、窓の屋根みたいなところに落下したので即死にはいたらなかったのですが、その部分から室内に身体を移動させるすべがなく、四苦八苦したのを覚えています。

病院で自殺なんて、あってはならないこと。

その後、この病院でも窓が全部開かないようにするなど対応が取られました。

あってはならないことも、起きる事はあるし、どうにもならない事もある。

人が死のうと思ったら、どうやってでも死ねてしまうんだなあというむなしさ。

そして、病院にいながら自殺するしかなかった方達への思い。

こんな経験からも、大抵の事に動じない看護師に成長できたのかもしれません。

私は、死んだ後に自殺した事を責める事はしません。

「死んじゃダメだよ」と安易に止める事もしません。

それは、死ぬという事で「死にたい」という願望を叶えた方は、既にこの世にいないのだから、責めるより、ゆっくり休んでねと言いたいからです。

そして、死んじゃダメと安易に止めないのは、自分には想像もつかないくらいの死にたいくらいの苦しみに耐えている事はまぎれも無い事実だから。

死にたいくらい辛いのに、まだ、生きてる。

その事実がすでに素晴らしいと思うから。

「死にたい」という気持ちを否定する事はしない。

だけど、

生きていられるならもう少し生きようよ、その苦しみ、私に話してみてよ。

それでも、何も変わらなければ、

1分、お話しして、

ぎゅうっとハグをして、

それでも死にたかったら、止めないから。

私は、そう思っています。

何が起きても驚かないようになったのは、人は簡単に死ぬ事を知っているからかもしれません。

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