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自己紹介〜すべてはalright #5 「死にたい」→「生きていてよかった!!」

田中弥三郎と申します。ギリ昭和、ゆとり第一世代の男です。
鍼灸マッサージ師として働いています。

noteを始めて、日々の学びの大切さと喜びを改めて実感しています。
仕事の日々の中で気付いたことや参考になったようなことを発信して、私も誰かのお役に立てたらと思っています。

今回は

「死にたい」→「生きていてよかった!!」


です。

好きなもののことを書こうと思って書き進めてたら、こんなタイトルになりました。なので、始めは好きなもののことを語ります。
子供にはよくありそうなことで、大したことでもないんですが、生きていてよかったと思えるようになったことを残しておきたいのです。


何よりも好きなもの

何よりも好きなもの、それは

「妻」

です。

すきで好きでたまらなくて結婚しました。
夫婦となるとまた、見えてくるものも変わって色んなことがありました。よくあることですが、妻だけとの付き合いでは済みませんし。
真剣に悩んで苦しいこともありましたけど、それも必要なことだったんでしょう。
以前よりももっと、好きになっています。

妻のどこが好きなのか、最近になって改めて実感するようになったのは
「いつも上機嫌でいてくれる」
ということです。
いつも穏やかでにこにこと微笑んでいます。
ときどきは膨れてるときもありますが、憎たらしくはないんですよね。どこか可愛らしい。
自然と、こちらも穏やかな心地になってきます。

昔の私は、不安と疑心暗鬼のカタマリでした。目つきも悪く、姿勢も猫背でいつも不満顔。ちょっとしたことにいちいち噛み付いては文句ばかり垂れていました。
めちゃくちゃイヤなヤツですね。小学生のときのいじめられた経験が、必要以上に臆病にさせてたんだと思います。そのいじめも、自分のせいの要素が極めて強いことに大人になって気付きました。
あとで少し書きます。

そんなめちゃくちゃイヤなヤツだった私を、妻が受けとめてくれた理由は分かりません。
でも本当に、初めてやり取りしたときから何だか心地よかったんですよね。
それは、妻も同じように感じてくれていたそうです。気が付いたらお付き合いが始まっていました。
そしてそこから、もう20年を超えました。
今も妻は、可愛いです。

信号待ちだったりふとしたときに、空に向かって妻の名前を呟きます。
それだけで心が温かくなります。

次に好きなもの

妻の次に好きなものは、やはり自分です。
ナルシシストとかなんとか言う人もいるけど、結局はみんなそうだろと思います。
自分のことを自分で、
「変なやつで面倒くさいやつ」
だと思っていますが、でもそれが良いところだとも思っています。
(いわゆる)欠点があってこそ、面白いのだ。それこそが人間だ、と思うのです。
そう思えるようになって、やっと生きていてよかったと言えるようになりました。

そして自分の次には、両親ですね。二人とも健在で、ときどき畑で作った野菜やジャムなんかを送ってくれます。
父には、人生の楽しみ方を教わりました。釣りや料理、ファッション好きは父からの影響です。
母からは、感性を養ってもらえました。博物館に連れて行ってもらったり、音楽や芸術への関心は母の影響を請けています。
しっかり愛情を注いでもらいました。恵まれた環境だったと思います。そしていまも、恵まれています。


死にたいと思っていた過去


生きていてよかったと思うのは、死にたいと思っていたからです。子供の頃のことです。
今となってはどうってことないですが、それこそ他人様から見れば本当にどうってことないんですが、当時は真剣に悩んでいました。
子供って見えてる世界が狭いから、居場所が他にもあることに気付けないんですよね。
そして解決策も見つからないから、極端なことしか思い付かないんですよね。
死ぬ勇気がなかっただけです。毎日、真剣に死にたいと思っていた時期がありました。


保育所〜小学校低学年

両親がフルタイム共働きだったので、ものごころ付いたときから保育所でした。そして、3歳の頃から喘息とアトピー性皮膚炎が出てきました。
5歳くらいの頃だったと思いますが、キショい(気色悪い、気持ち悪いの意味)と言われたりすることが出てきました。アトピー性皮膚炎はパッと見て分かる病気ですから、子供の反応としては普通のことです。
同じ学年の子たちから言われることはなかったんですが、他園の子や他学年の子から言われてショックでしたね。

喘息は苦しいし、苦しくて泣いたら余計に苦しくなるし。走ったら苦しくなるから走るのは嫌いになりました。すると、走らないからさらに足は遅くなるし心肺も鍛えられない悪循環です。

アトピーはかゆくてかゆくて、毎朝目が冷めたら爪が血だらけ。寝てるときに掻きむしるんですよね。子供だから汗もかくし、汗の刺激が痒みになって気が付いたら掻きむしってる。
母親や保育の先生から掻いちゃいけないと言われましたが、無理ですあんなの。大人でも無理です。掻かずに居られるなら、アトピー性皮膚炎なんて病気は存在してませんから。

みんなみたいなツルッときれいな肌だったら良かった。走っても苦しくない身体だったら良かった。
なんで自分だけが、こんなに悲しくて辛い思いをするのかと悔しくて悲しくてやりきれない思いでした。

決定的にショックだったのは、小学校に入ったときですね。
小学校は、他の幼稚園や保育所からの子がほとんどでしたが、自然と仲良くしてくれた子も多くいました。
両親がフルタイム共働きなので、低学年のころは学童保育(私の小学校では留守学級と読んでいました)に通うことになりました。
親の帰りが遅い1年から3年までの子たちが、全部で25人ほどでしょうか。小学校の一室で、夕方5時まで過ごすんです。
初めましての日に、3年生の子に
「めっちゃキショいヤツがいてる」
って指をさされたんです。それから上級生の子たちにはずっとびくびくしてましたね。
先生も注意はしてくれるけど、先生の居ないところや見えないところで言われてました。
1年生から見た3年生の子って、すごく怖くて。
そうやって言ってくるようなヤンチャな子たちですから、言い返すこともできなくて。
夏になる頃には、さすがに3年生の子たちも言わないでくれるようになってたと思いますが、とにかくショックで悲しくて怖かったのが残っています。

いま大人になって考えれば、その子たちの気持ちも分かるので恨む気持ちはありませんよ。
ただ、やたらと大人からかわいそうって言われたのはイヤでしたね。病気もですが、共働きってだけでかわいそうって言われた時代でした。
「ウチのお母さんは働いてんやぞスゴいやろ!!参ったか!!」って思ってました。
あと、「同じ病気の子を知ってるから!あなたの気持ちは分かるから!」とか言ってくる人もイヤでした。
「どれだけ苦しいか、どれほどかゆくてたまらんか、病気になってないヤツに分かるもんか!」
って子供ながら腹を立ててました。

低学年の時点で、もうイヤなヤツの原型ができ始めてますね、、、
そうでもしないと自分を保てなかったんだと思います。まだこの時は、辛いことはあったけど悩むほどではなかったです。

小学校高学年

高学年になって、学童保育も終わり露骨ないじめはなくなりました。ですが当時の私は、コンプレックスの塊になっていました。
普通に接してくれている子たちにも、ちくちくと嫌味なことを言うようになっていました。自分のプライドを保つために、必死で人を攻撃していたような感じです。

ちょっと自分がテストでよく出来たら、自分より下の子を探してはわざわざイヤなこと言いに行って。
そのくせ自分の苦手なことになると、不満ばっかり言って努力もせずにスネてました。
本当に嫌なヤツですね。

なので当然、無視されたりするようになっていきました。時々はからかわれたりすることもありました。
露骨な暴力はなかったので、事件になってるようなものに比べたらよっぽどマシなんですけどね。

当時の私の心境で言えば、
「自分は間違ったことはしていないし、言っていない」
「なのにどうして無視されて、からかわれるのかがわからない」
「一方的に意地悪されてる」
と思ってました。めちゃくちゃですね。
確かに言っていた内容は事実ではあるんですが、人を傷付けていることに気付いてない。
傷付けてられた人は、当然ながらスキを見て反撃してくる。それだけのことです。

そんなことにも気付かず、からかいには本当に傷付いていました。
担任には相談したんですが、
「あの子はかわいそうな子だから仕方ない」「あなたにも悪いところはあるし、辛抱してあげて」
みたいに言われたんですね。
というのは、からかいの中心人物は家庭に問題のあるような子だったようです。苦手な子のことですから、よくは知りませんが。

「かわいそうな子だから、人をいじめていいのか?」
「かわいそうな子にいじめられる僕は、かわいそうじゃないのか?」
「いじめられることからは逃げられないんだ」
勇気を出して相談して、まったく理解のできない返事で、絶望してしまいました。
1番死にたいと思っていたのは、この頃です。5年生の秋から冬くらいでした。結局、死ぬのが怖くてそれも出来なかったんですが。

そんなとき、学習塾で
「自殺って、ダサい死に方やんなー」
なんて、女の子たちが話しているのが聞こえてきてハッとしたことがありました。その当時はいじめ自殺が社会問題になりつつある時代で、ニュースにも頻繁に取り上げられてたんです。
「自分も死んでしまいたいなぁ」
なんてぼんやり思っていたときに、ダサいという考え方に触れられたことは有り難かったです。
「ホンマや、そんなんダサい!!」
その考え方で踏みとどまって、中学は離れたところに進学して乗り切りました。


両親への思い

私の両親は、本当に私を大事に育ててくれました。小学校の担任のことを相談したときも、理解をしてくれ、無理に通わせることはしないでくれました。
実際、その担任には母も思うところがあったそうです。
ある生徒が問題を起こしたときに、
「やっぱり片親育ちの子はアカン」みたいなことを言ってたそうです。
あの担任教師だけは、大人になっても受け入れらませんね。ダメな大人の具体例を見られて良かったと思うことにしていますが。

鍼灸マッサージ師になりたいと突然言い出したときも、いきなり結婚すると報告したときも、好きにさせてもらいました。
多少、驚きはしていましたがある程度は想定していたようです。それだけ、息子のことを分かってくれているんですね。分かっていて、危なっかしいときも口出しせずにいてくれて、感謝しています。


生きていてよかった、その理由

生きていてよかったと思える理由は、好きなものに出会えたことと気付けたことです。

妻と知り合い惹かれ合って、本当に日々が色鮮やかに温かくなっていきました。
こんなに穏やかな気持ちでいられるのかと感動しています。

そして自分のことも受け入れられるようになって、毎日の仕事も休日の息抜きも充実感を得られています。

両親には、悲しませるようなことをせずにすんで本当によかったと思います。親より先に、それも自ら死ぬようなことは、絶対にダメです。

私の人生プランの最重要課題は、

妻と両親よりも長生きすること


になりました。

小学校5年生当時の私には、
「そんな当たり前のことも分からんで泣いてるんかい、ダサいヤツやなぁ」
「一方的に傷付けられたら、何かの機会で必ずやり返されるやろう、そんなことも分からんのか」
はっきり言ってやりたいです。
うまく叱ってもらえたほうが、1度ドン底まで落ち込んでその後にやる気を出せるタイプなんです。

保育所から低学年のいじめ、高学年でのトラブル、大人になってから見れば本当にどうってことないことなんですよね。

私なんかよりももっともっと苦しんでいる方、苦しんできた方がいっぱいいらっしゃるんだと思います。
無責任を承知ですが、いま苦しんでいても耐えてほしいと思います。
耐え方には、色々な形があります。もちろん逃げるのも1つの戦略です。逃げるというより、避難すると言っていいと思います。
世の中は本当に広いんです。
どこかにそれぞれにとっての安全な居場所があるんです。

「死にたい」は「自分らしく生きたい」

この言葉は、私の好きな漫画からの引用です。
『極東学園天国/日本橋ヨヲコ』という漫画です。
本当に、こういうことなんじゃないかと思うんです。
自分がのびのびと生きられる場所で、自分の幸せを探してほしいと思います。


気付いたら5000字を超えていました。ここまで大風呂敷を広げることになるとは思いませんでした……

気持ちのままに吐き出してそれを飲み込んで。反芻することでやっと振り返ることができるんですね。
皆さまにより良い1日が訪れますように。




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