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恐るべき緑ーーモア・ザン・ヒューマン対談の余白
小林エリカさんとの対談「〈人間以上〉(モア・ザン・ヒューマン)の展望」(2024年4月24日、隣町珈琲)で、時間切れのため話せなかったことを書き留めておきたい。
エリカさんの近著『彼女たちの戦争ーー嵐の中のささやきよ!」が、歴史-history-his storyに埋もれた、あるいは消された、her storyを掘り起こそうとしていることは対談でも述べた。Her storyというよりも、herも
白、ロゼ、赤のポテサラ
単身用ワンルームの極小キッチンでよくつくるのがポテトサラダ。サンドイッチによし、そのまま食べてもよし、なんか足りない時の一品によし。高血圧によいと言われるビーツを料理に取り入れてからは、ビーツを混ぜ込んだピンクポテサラも定番になった。
この前、美大に通う娘が上京した。ピンクポテサラのサンドイッチを出したところ、「これってビーツの配合によって、ロゼにも赤にもなるね」と。なるほど、おもしろい発想だと
「はんぱもの」として全力で生きる
河﨑秋子にハマっている。前回の『肉弾』に続いて、『ともぐい』(新潮社 2023年)を読んだ。帯に「熊文学」と書かれているとおり猟師と熊の死闘が物語を縁どってはいるけれど、熊vs人間、山vs.里といった二項対立図式などどこ吹く風といった趣。圧巻の迫力で、熊も犬も人間も含めて〈いのち〉の罪深さと尊厳が身体にビンビン伝わってくる小説だ。
この小説には、獣の、生身のにおいが充満している。それは、仕留めた
マルチスピーシーズの光と影
河﨑秋子『肉弾』(2017年、角川文庫2020年)を読み始めてすぐ、私はこれまでマルチスピーシーズの光の部分しか見ていなかったと実感した。多種が絡まりあい、食い食われ食わせて・・・と連なるいのちに着目してきたはずなのに、人間を食われる側のものとして捉えていなかった。「安全な場所」からマルチスピーシーズという概念を考えていたに過ぎなかったのだ。
ニートのキミヤが父親に言われるままに北海道での狩猟に
お椀の中の長い時間(ロングタイム)
富ヶ谷の山手通り沿いにある半地下の京料理店「阿うん」は、目立たないけど潔い佇まいで、通り過ぎるたびに気になっていた。ふと行ってみようかと思い立ちネットで調べたら、完全予約制のランチが6000円。こんな贅沢してよいのだろうかと悩んだが、たまには自分へのご褒美だと甘やかし、勤労感謝の日に行ってみた。
すっぽんの茶碗蒸しに始まりデザートの黒胡麻プリンに至るまですばらしかった。京料理を代表するお椀はクロ
原子力とダイアローグ
日本では「核」(兵器)と「原子力」(発電)は別個のものと捉えられがちだけど、英語では両方ともnuclear。広島で生まれ育ち、福島に暮らす安東量子著『スティーブ&ボニー 砂漠のゲンシリョクムラ・イン・アメリカ』(晶文社、2022年)は、原爆(核兵器)と原発の同じ根っこであるnuclearという問題を、異文化体験というナラティブに織り込んで、わからないことは多いけど考えつづける、というスタンスで書か
もっとみる思考としてのダゲレオタイプ
新井卓『百の太陽/百の鏡ーー写真と記憶の汀』(青土社、2023年)を読み、ダゲレオタイプ(銀板写真)の奥深さに感じ入った。感度が低く、数十分にわたる露光が必要なダゲレオタイプは、はいチ〜ズ、パシャと表情を切り取るタイプの写真ではない。被写体は数十分もの間カメラに向き合うことになる。だから、ダゲレオタイプに記録されるのは「彼女/彼らの「真顔」」であり、身体と魂の一部である。これは写真黎明期だけでなく
もっとみる庭園という方法(モード)
津久井五月『コルヌトピア』(早川書房 2017年, ハヤカワ文庫 2020年)の舞台は、2084年の「緑のメトロポリス、東京」。植物の計算資源化や緑地発電システムというヴィジョンは、最初、化石燃料の代わりに植物を技術的に利用して便利で快適な生活を求める未来を描いたNetflixの"The Future of Houseplants" (2022)と重なるように思えた。けれども途中で、それは違うと気
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