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お返しという行為

山麓の家には畑があって、時期が来るとエンドウ豆、トマト、キュウリ、ナスなど食べきれないほど一気に実る。不思議なことに、自分で収穫した野菜は冷蔵庫で保存することがためらわれる。採れたてを食べないと野菜に申し訳ないという気持ちになる。採ったらすぐに食べるなり加工したりすることが自分の責任であるように思えるのだ。

これは、いわゆる自然からの贈与に対する気持ちなのだろう。アメリカ先住民ポタワトミ族の生物学者ロビン・ウォール・キマラー著『植物と叡智の守り人』に、木を伐って籠を編む人たちのことが書かれている。「編み始める前に、木のこと、木がしてくれた仕事のことを考えなさい。」「この籠のために木はその生命をくれたんだから、あんたらは自分の責任がわかるだろ。お返しに、美しいものを作りなさい。」先住民の伝統は、自然との互恵性(レシプロシティ)を伝えている。

自然からの贈与に対して人間がお返しをするという行為は、市場経済でいう「環境保護」よりしっくりくる。環境保護は対立を生みがちな言葉だけど、自然への「お返し」という発想を重ねることで、環境保護が自然の贈与に対する人間の責任だと捉えられてくるのではないか。